2014年11月28日金曜日

黄金をたたく 5 [攝津幸彦]  / 北川美美


もしもしにもしもし申す雪月夜  摂津幸彦


攝津幸彦の第一句集『姉にアネモネ』(1973年青銅社)を、それが句集名、あるいは俳句と知らず言葉として知っていた。恐らく、兄が押入に隠し持っていた男性誌の書籍紹介に<姉にアネモネ>を見た、とおぼろげな記憶がある。母音とイントネーションが同じ語、母音が同じ語、同音異義語などを当てはめる洒落は雑俳の一部だ。雑俳は70年代のカウンターカルチャーにより、例えば大橋巨泉の「はっぱふみふみ」のようにテレビ・ラジオの電波に乗って人々に広く愛誦された。

<もしもしにもしもし申す>は<姉にアネモネ>同様、言葉遊びの洒落がある。<もしもし>はもちろん、電話の呼びかけの「もしもし」から来ているし、その「もしもし」は「申す」から転じている。受話器から相手が「もしもし」とまず発声し、自分も「もしもし」と申し上げた、それは雪のある月夜だった、という読みが一番落ち着くだろう。周囲の雪はノイズキャンセラーの役目を果たし、小さな音もクリアになる。電話の相手が恋人であっても間違い電話であっても、人と繋がることにドラマがあり、そしてストーリーが生まれる。

(『鹿々集』1996年ふらんす堂所収)




※The Penguin Cafe OrchestraTelephone and Rubber Band






2014年11月27日木曜日

貯金箱を割る日 5 [平田倫子] / 仮屋賢一



夏帽子母を休んでをりにけり  平田倫子


帰省だったり、旅行だったり。母が、母を休んでいる場面。ゆったりとした時間かもしれないし、はしゃいでいるのかもしれない。そんな母親らしからぬ母がまた、好きなのかもしれないし、愛おしささえ感じているのかもしれない。夏帽子の持つ純真無垢な少女らしさが、母に母を休ませ、純粋な一人の女性として、少女としての一面を引き出しているようにも思える。夏の家族の思い出に、こういう一ページがあるのも、またいい。


<角川『俳句』2014年11月号(第60回角川俳句賞候補作品『木の家』)所収 >

2014年11月26日水曜日

鴇田智哉句集『凧と円柱』を読む 5 /今泉礼奈


菜の花と合はさるやうに擦れちがふ   鴇田智哉


菜の花の黄色が、パッと目に入ってくる。その黄色を見ながらその方へと歩いていたら、もしかしたら合わさってしまうのではないか、と一瞬思った。次元を越えた不思議な感覚に陥る。しかし、実際には擦れちがっただけであった。

「やうに」の前に思い描いていた菜の花と自分との夢のようなイメージが、「やうに」後では、あっさりと否定され、現実味あるフレーズへと転換されている。菜の花と自分だけではじまった景だったが、やはり、終わりも、菜の花と自分だけだった。

平易な言葉だけで書かれているからだろうか。すこしせつない。


<鴇田智哉句集『凧と円柱』(ふらんす堂2014年) 所収>

2014年11月25日火曜日

1スクロールの詩歌 [小川双々子] / 青山茂根


息白く命令しつつ死にしこと   小川双々子

 古びたカウンターに座り、私は生まれた東京都下の一角が<ある時期>を境に全く変貌をとげてしまったことを語り、一方、双々子氏の住みつづけている尾張一宮も<ある時期>を境に例外なく姿を変えていったことを、わずかにお聞きしたように記憶している。
(『真昼の花火 現代俳句論集』高橋修宏著 2011 草子社)

 前回、榮猿丸の句を取り上げたのは、高橋修宏著『真昼の花火 現代俳句論集』の中に、これらの記述を見つけたからだった。引用を続けてみる。

 その<ある時期>とは、1960年代から70年代まで余韻のつづいた高度経済成長と呼ばれた―「産業構造の大転換が、郷土と家族を歪ませたこと、都市へ駆りたてられた夥しい若者の夢と願望が、花火のように集約され、はじけ散った」(江里昭彦『生きながら俳句に葬られ』1995年)、そんな時代である。

 ここに語られているジャパニーズドリームの変貌、その象徴であった郊外の衰退後を、てらいなく句にあらわしている一人が榮猿丸であり、手法は違えども、(当人は意識していなくても)、双々子(ひいては江里昭彦や高橋修宏)の系譜の一端であることを再確認したからだった。

 そして、高橋修宏の語る小川双々子が、そうした変容を見つめ、意識的にそれを俳句にしていたことを知って、何か救われたような、はるか遠くに思いがけず援軍を見つけたような心持ちがした。 冒頭に掲げた句を収めた句集『荒韻帖』は2003年に出版されたものだが、その中にこうした、戦後を生きたことから見えてくる戦争の句があることにも。

 最近の漫画『あれよ星屑』1,2巻(でもストーリーとしても面白いし、よく出来た漫画だ)の世界とも重なって、戦争の底辺やその少し上、性に従事した者たちなど様々な角度から、<人類の悲劇>がこれからももっと語られることを願う。

  さまざまな戦争の麦踏んでゐる      小川双々子
  あとずさりするあとずさり戦争以後
  回想の野火「我輩ハ犬デアル」
  あ、逃げた。地が灼けてゐる俺一人
  叱る十二月八日はさみしけれど
  所持品ノ一箇ノ殊ニ黴ゲムリ
  蠅取紙閉ヂ戦争へ行キマシタ
(『荒韻帖』邑書林2003年所収)



2014年11月24日月曜日

きょうのクロイワ 5 [佐藤成之]  / 黒岩徳将


曼珠沙華火焔土器より寂しいか  佐藤成之


 曼珠沙華は取り合わせに多用される印象が私にはある。火焔土器の持つめらめらしたイメージともかなり近い。その近さのために、互いをぶつけるという挑戦はあえて避けられてきたのだろうか。

 「寂しいか」で一気に引き寄せられた。「火焔土器」までは字面も質感も重たい。しかし、「この人は寂しさで二つを比較しようとしている」と思うと句の印象が和らいでくる。どちらの方が寂しいだろうかという謎かけを残し、作者は去ってしまう。

火焔土器は何色だろう。パッと思いつくのはどうしても赤茶色なのだが、もっと土の色に近い火焔土器であってほしいとも思う。

(『 超新撰21』邑書林2010年)


2014年11月22日土曜日

黄金をたたく 4 [巣兆]  / 北川美美


渋柿や鐘もへこめと打つける   巣兆

今年は柿が豊作らしく田舎道にはまさにたわわと柿が実っている。隔年で豊作と凶作を繰り返すのは特に柿に見られる特徴らしい。柿が豊作だと大雪になるという説もある、今年の降雪はどうなることやら。

柿と鐘というのはゴールデンコンビだ。そして、柿・鐘・夕暮れ・鴉の鳴き声、これだけで秋の舞台道具は万全である。

渋柿と甘柿の見分け方を調べてみると、渋柿は先の尖っているような形をしていることが多いらしく、掲句はこの釣鐘型の渋柿と鐘の形を想起しているとも考えられる。

また作者の眼目は<鐘も>の「も」に込められていよう。凹んでほしいのは、俗世の災いと思える。出家している坊主であればすでにその災いからは逃れているはずである。よってこの鐘を打付けているのは作者の巣兆だろう。

なんだ渋柿か!なんてこったと人生の災いに鐘を打っている。本来、鐘打ちは、強く打っては良い音は響かなく、願う心があってこそと思えるが、何やらやけっぱちな風情。しかしだが決して嘆いてはいない。すべての災いを打ち消してくれとばかりに鐘を叩くのである。

掲句は江戸の千住連を組織して、俳諧や俳画に興じた建部巣兆(たけべ・
そうちょう)の作である。『巣兆句集』に「大あたま御慶と来けり初日影」とあり、頭が大きかったらしい。酒飲みで、酒が足りなくなると羽織を脱いで妻に質に入れさせ、酒に変えたという逸話も残っている。典型的な江戸気質とも思える気配が上掲句からも伝わる。ウィットに富んだ洒脱な句が多い。

蓮の根の穴から寒し彼岸過  巣兆
木の下やいかさまこゝは蝉ところ
かへるさに松風きゝぬ花の山
菜の花や小窓の内にかぐや姫

思い切り鐘を打ちスッキリした作者の心情と同時にストンと陽が落ちる夕景が目に浮かぶ。


<『俳諧発句題叢』1820(文政3)年刊所収>

2014年11月21日金曜日

貯金箱を割る日 4 [川又憲次郎]  / 仮屋賢一



足裏の日焼見せ合ふ畳かな  川又憲次郎


足裏なんてなかなか焼けない。ビーチなんかでうつ伏せにずっと寝転んでいたのだろうか。「うわあ、こんなところまで焼けちゃってる」「私も」なんて言いながら畳の上で足裏を見せ合う、レジャーの後日譚。いや、海で遊んだ後の旅館かもしれない。どちらにせよ、足裏の日焼けを見せ合っている人たちは、いま一緒にいるだけでなく、日焼けをした場所でも一緒に行動していただろうということが容易に想像される。そして、ほっと一息ついている畳の上、藺草の香りを感じながら、仲睦まじく、リラックスした楽しい時間を過ごしているのだろう。


<角川『俳句』2014年11月号(第60回角川俳句賞候補作品『頭上』)所収 >

2014年11月20日木曜日

鴇田智哉句集『凧と円柱』より 4 /今泉礼奈


近い日傘と遠い日傘とちかちかす   鴇田智哉


近い日傘、と、遠い日傘というものは、なんともはっきりとしない言い方だ。しかし、この曖昧さに景はどんどん膨らんでいく。わたしは、「近い日傘」とは、直前を歩いている人の日傘、「遠い日傘」とはさらに距離を置いて前を歩いている人のものだと思った。日傘といわれれば、大抵の人は、フリルのついた白のものを想像だろう。その同じようなものと思われる日傘を、距離で分類したとき、確かに、近い日傘には細かな装飾を確認することができ、遠い日傘はそれの全体の形を確認することができる。そして、その二つの情報を重ねたとき、はじめて、日傘というものがぽっと浮き上がってくるのだ。字余りも、景の曖昧さを助長する。

そして、これらを「ちかちか」するという。「ちかちか」とは、ネガティブなイメージをもつ言葉だが、ここではあまり嫌な感じがしない。むしろ、嫌なことを楽しんでいるようだ。平易な言い方が、句全体の雰囲気を愉快なものにする。

気持ちのいい一句だ。

<鴇田智哉句集『凧と円柱』(ふらんす堂2014年) 所収>

2014年11月19日水曜日

1スクロールの詩歌 [榮猿丸] / 青山茂根


按摩機にみる天井や湯ざめして      榮猿丸

地下を流れる水のように、かすかな虚無、というものがこの作者の句には含まれている気がして、熱狂するときも身体のどこかに醒めた視点がある、それが句を静かに屹立させている。
 
旅の仲間と楽しく寛いだ時間を過ごしたあとの、ふと一人になった瞬間に、はっと気づく天井から見られているような感覚、思わず見上げた羽目板の、照明の淡い陰影が、身ほとりのものとして皮膚に寄り添う。
 
すでに高度成長期を過ぎてゆっくりと失速しつつある現代に生まれたことへの諦念、とりたてて贅沢を望まなければ何不自由ない生活の一方で大きな未来が描けない社会の中で、しかし世界を否定したり、反感をあらわにするわけでもなく、淡々と物事を享受する、いわば早熟な子供の持つ冷徹な眼が、ずっと大人になっても機能している、(大人になってしまったら「ビニル傘ビニル失せたり春の浜」なんて気づかなくなってしまうのだ、ときにそれが予期せぬユーモアを生む)、それを纏める大人としての知性と形式による抑制、そんな句がこうして同時代に読めることをうれしく思う。

あをぞらを降るは刈られし羊の毛     榮猿丸 
看板の未来図褪せぬ草いきれ 
コインロッカー開けて別れや秋日さす 
雪の教室壁一面に習字の書

(『点滅』2014ふらんす堂所収) 

2014年11月18日火曜日

きょうのクロイワ 4 [松野苑子]/ 黒岩徳将



豊年や鍋に鍋蓋ひとつづつ    松野苑子


鍋は冬の季語だが、ここでは豊年が主となっているので構わない。

豊年→祝う→料理を振る舞うという発想はある。私も、「豊年のシチューの鍋を抱く両手」という句を書いたことがあるが、優しさよりも俳諧味の方がじわじわと感興を呼び起こすのではないかと掲句を挙げた。鍋が次々とぱかぱかと開いていく様を見たのだろう。三つ以上の鍋と思いたい。目出度さと面白さがブレンドされている。

(『真水(さみづ)』 角川書店 2009年)

2014年11月17日月曜日

黄金をたたく 3 [鴇田智哉]  / 北川美美




照らされて菌山より戻りきし  鴇田智哉 




多分月に照らされれながら<菌山>から戻ってきた情景だろうとまず読む。戻ってきたのは、作者のようにも思えるが、人なのか何かの錯覚かもしれない異次元的謎めきがある。更に何によって照らされたのかは、太陽かも蛍光灯かもしれない、はたまた犯人を連行するときの取材のフラッシュかもしれない、なんともアンニュイ。 

アンニュイとは仏語から来ていて、倦怠感のこと。退屈。世紀末的風潮から生まれた一種の病的な気分。文学的には,生活への興味を喪失したことからくる精神的倦怠感をいう。自意識の過剰,生の空虚の自覚,あるいは常識に対する反抗的気分などが含まれる。(ブリタニカ国際大百科事典)

照らされるからには周囲は暗い、後方に陽の光があるが暗い田園、そのかすかな光で人物が浮かび上がるミレーの絵のような風景を想う。<菌山>というだけで謎めく物語の舞台であるし、<照らされて>の措辞による空間の陰影が空虚さを、そして<戻りきし>で悲しみともおかしみともなる。

鴇田氏の作に共通するアンニュイ性は、抽象を具象にする過程に言葉が動き出す感覚をおぼえる。第一句集にて独自性を打ちだし、空虚感漂う世界が確立されている。

鬱イイ気分というのか、その感覚が五七五の短詩定型で起こっているのだから不思議な体験をした気分なのだ。トワイライトゾーンに浮遊する一句である。




(『こゑふたつ』木の山文庫 2005年)

2014年11月15日土曜日

貯金箱を割る壊す日 3 [遠藤由樹子] /仮屋賢一



裏おもてつめたき葉書霙降る   遠藤由樹子


最近は、葉書が届くだけで嬉しい。そのくらい、葉書が届くことも少なくなってきた。掲句の葉書は、そのような嬉しさだとか、それがダイレクトメールだった時の落胆だとか、そういったものとは完全に切り離されている。「つめたき」「霙」という言葉だけを見れば、それは予定調和であり、因果である。だが、この句はそうじゃない。掲句の世界をそれ以上のものにしているのは「裏おもて」という措辞にある。

裏と表があると言っても、所詮は薄い紙だから、寒いところにあれば両面同じように冷たくなるだろう。ただ、葉書の表は宛名面、裏は通信面、どちらも重要な役割を担っていながら、役割が全く違う。葉書の受け取り手として、表と裏で感じる心理的な温度感は全く同じでない。そういうことにはっと気づかされる。当たり前のことを当たり前に書いているようで、そこには大きな発見があるのである。でも、それは大げさなものじゃなくて、日常の中の些細な出来事。それを再確認させられるかのように、霙が降っている。


<角川『俳句』2014年11月号(第60回角川俳句賞候補作品『生者らの』)所収 >

2014年11月14日金曜日

鴇田智哉句集『凧と円柱』を読む 3 /今泉礼奈


囀の奥へと腕を引つぱらる  鴇田智哉


すこし不思議な句。(おそらく人間だが)何に腕を引っぱられたか、主語がなく、この句の構成だと、囀に引っぱられたかのようだ。おそらく、何者かによって腕を引っぱられ、そのとき、視覚でその先を確認するよりも前に、聴覚が囀を感じとったのだろう。触覚→聴覚(→視覚)と、一瞬をいくつかの感覚に分けてから、詠んでいる。

囀の奥、も分かりにくいが、奥、は自分にとっての奥である。つまり、これは自分と囀の距離感を、自分本位にいっているのだ。

身体感覚の優れた一句。春の光が、まぶしくこの句の景を包む。

<鴇田智哉句集『凧と円柱』(ふらんす堂2014年) 所収>

2014年11月13日木曜日

1スクロールの詩歌 [藤井雪兎] / 青山茂根         


自分の影に鍬振り下ろしている   藤井雪兎

 俳句における有季と定型とは、具象を抽象化するための仕掛けのようなもの、と自分では考えているのだが、

ときに客観写生や花鳥諷詠に拘泥し過ぎてそれを鎖のように身にまとったやせ衰えた姿になってしまってはいないか。

 一方で、自由律句、それも長律においてはむしろ具象としての描写が多いように思う。自由律句における境涯詠や、諧謔、社会性の具体的な描写は、現在ではより川柳の世界と近いものになっているようにも感じる。今日の伝統系の俳句ではあまり詠まれなくなったこれらの世界は、進化の過程で無くしてしまった器官のようで、それが私には羨ましい。きょうの句は、その具象であるがゆえに、普遍的な世界の一端を描き出していて。有季定型の全く別の作者の句に以下の例があることと比較してみたい。

「冬田打みづからの影深く打ち   藤井亘」

的確な描写による完成された句であり、定型俳句として評価される句であることは揺るがない。

が、きょうの句に掲げた「自分の影に鍬振り下ろしている」を目にしてみると、<冬田打>という語から、土の凍て、耕人の寒そうな様子、その気候の中での労働の厳しさといった要素がより印象に残り、人間の生きる業よりは風土詠としての感傷、その地に生きるものの矜持を感じる。自由律句のほうは、純粋に行為のみを描写しているために、影といいつつ自らの身を削り労働して生きていかねばならぬ人間の性がより浮き彫りになる。広大な世界の中のちっぽけな存在、といったアイロニーも含んで、具象に徹底することで、抽象的な読みの概念を引き出すような。有季および定型は、季語という要素と575という制限を与えられているがゆえに抽象化した描写が可能であり、抽象に季節感という要素が加わることでさらに飛躍した世界を表現することもある。たしかに具象のみの名句もあるが、それだけで留めてしまうには惜しい器であることを忘れずにいたい。


男かもしれない人と月を見ている  藤井雪兎 
この広い野原いっぱい咲く花から急いで逃げる  
ふたり海辺で裸足になっては何度も世界を滅ぼしてきた 
土下座の頭に蚊の止まる

             (自由律俳句誌「蘭鋳」)

2014年11月12日水曜日

きょうのクロイワ 3 [広渡敬雄]/ 黒岩徳将



馬好きで入りし高校草の花    広渡敬雄


農業高校だろうか。「し」なので、回想として読んでもいいし、作中主体が高校生と考えてもよい。草の花の近くに、馬の細くて強い脚がうつる。作中主体と馬と草の花との三点倒立。△の頂上は、草の花だ。作中主体が馬術部に入らないと私はきっと怒るだろう。馬にも、馬が好きな人にも会っていただきたい。余談だが、荒川弘の人気漫画「銀の匙」が思い浮かんだ。

(『ライカ』 ふらんす堂2009年)

2014年11月11日火曜日

黄金をたたく 2 [芳賀啓/打田峨者ん]  / 北川美美


クルマイス 月ノ里ヘト イソギユク    芳賀啓  



サヤウナラ 電池ガ切レサウ 核ノ冬   打田峨者ん





両句、漢字仮名混じりの独自の一行詩。クルマイス、核の冬に反逆のブルースが漂う。


芳賀啓(はが・ひらく)氏は、古地図研究家であり地図関係の文献を専門とするコアな出版社を営まれている。TV出演もされているのでお顔を知っている方もいるかもしれない。句集とは名乗っていないこの短詩集、全てが漢字片仮名混じりの句切れ一文字アキ。この集が初の個人名での刊行というのだから芳賀啓が短詩から出発していることに驚く。不自由な身体を自由にする器具<クルマイス>が詩を作り出す。<月の里>というのもロマンがある。1949年生まれ。

薬師坂 黒髪一束 タフレキテ        芳賀啓 
魚籃坂下 夜鴉啼キヌ 
蟷螂ハ 鎌ヲ抱ヘテ 轢死セリ


地形の専門家だけあり坂・地名の句も多いが、戦闘を思わせる句もある。 

打田峨者ん(うちだ・がしゃん)氏は、奥付によると、俳諧者、朗詩人、画家(内田峨)、句歴26年、無所属。この句集は第二句集となる。1950年生まれ。

月の道 翼なき背にランドセル       打田峨者ん 
あとはただ月の花野を道なりに 
ふるさとは月に灼かれし墓一基


下駄にジーンズ、フォークギターを背負い、反逆のブルースを歌った世代のその後の心情が伺える。(チューリップハットをかぶると<みんなの歌>のノッポさん風になる。)もちろん打田峨者ん氏がそのような井手達で日本を放浪していたかは想像である。


両者同世代であり、両集とも自由な作風ながら、句集は春夏秋冬に分類されている。偶然の一致かそれとも同世代だからこその時代の雰囲気か。漢字片仮名混じりの表記は音律を意識すると同時に日本国憲法をも意識する。両者とも憲法に異議を唱えバリケードを突破しようとした世代である。


後ろ髪を引かれつつ故郷を後にした50年世代へ敬意を込めて二句掲出。 両句に時代の波を感じる。



※季語: 両句とも秋から冬の気配だが無季


※核の冬:核戦争が起った場合,核爆発による破壊や火災から生ずる大量の噴煙が太陽光線をさえぎり,気温が大幅に低下してきびしい冬の現象が生起するとの仮説。 1983年,世界の科学者などによる「核戦争後の地球-核戦争の長期的,世界的,生物学的影響に関する会議」が開かれた際に発表され,関心を呼んだ。(ブリタニカ国際大百科事典)



<芳賀啓短詩集 (『身體地図』深夜叢書2000年)所収>
<打田峨者ん句集 (『光速樹』書肆山田2014年)所収>

2014年11月10日月曜日

貯金箱を割る日 2 [平井岳人] / 仮屋賢一



団栗を踏みにじりたる待ち合はせ  平井岳人


並ぶ言葉にいきなりどきりとさせられる。一方で、非常に説得力がある。「踏みにじる」に悪意はない。そもそも、このように言われるまで意識されていない。

団栗の転がっている待ち合わせ場所。それも、踏みにじるほどなのだから、結構な量なのだろう。そんなところでの待ち合わせ、それだけで物語は広がる。とても楽しそうだ。皆の気持ちが高揚していて、もしかしたら早速色々な話に花を咲かせているかもしれない。誰も足元なんて意識しない。そういうところに敢えて目を向けてみると、団栗が踏みにじられている。言い得て妙なのかもしれない。悪意のなさが、無邪気さが、ここに酷ささえ感じられる。日常の中に転がる光と陰の発見である。


<角川『俳句』2014年11月号(第60回角川俳句賞候補作品『手で作る銃』)所収 >

2014年11月8日土曜日

鴇田智哉句集『凧と円柱』を読む 2 / 今泉礼奈



歯にあたる歯があり蓮は枯れにけり     鴇田智哉

自分の身体の中で起きていることと、目の前で起きていることを取り合わせている。まず、「歯にあたる歯があり」だが、これは一見、視覚情報によるものだと思わせる書き方をしている。しかし、実際は触覚(と言えるかどうか微妙だが)情報なのだ。自分の口の中を思ったとき、実際に、歯が他の歯にぶつかっていた。カチカチ。それは、まるで、自分のものではないかのような感覚に陥る。それゆえ、このような無機質なフレーズとなっているのだ。

そして、枯蓮。すこし前まで生きていたものとは思えない、無残さをもつ。

この二つは、それ単体では、生と死をつよく感じさせるものではないが、取り合わされたとき、そこに、生と死を感じる。歯は、確かに人間という生物の一部であり、枯蓮は、生物から突き放された部分である。この、単なる対比関係ではない、自分の身体を通して感じさせる、生と死、は私たちをしばらく立ち止まらせる。

<鴇田智哉句集『凧と円柱』(ふらんす堂2014年) 所収>



2014年11月7日金曜日

1スクロールの詩歌 [町川匙/齋藤芳生] / 青山茂根



破裂するあかるい花火われわれの約束の地が向かうにあった       町川匙


  様々な国籍の子どもたちがいた。 
パレスティーン、と少年答えその眼伏せたり葡萄のように濡れいき    齋藤芳生



  未来なんて花火のようだったね、とおく眺めているときは輝かしくて眩しいけれど一瞬で過ぎさってしまえば闇に沈んだ、かすかな残響。ふたり手をとって走り出しても走るたびに遠ざかる、永遠に近づけない気がして、ふと見上げれば軋みながら回転する観覧車。


 聞いてはいけなかった、とはっとしたときには少年の眼は閉じられていて、瞳からなにも読み取らないで欲しい、という願望の代わりに眼は泉になる、砂に囲まれた異国での乾いた感情の日々に、潰えてしまいそうな小ささな濡れたひと房の持ち重りする葡萄。思いがけなく手渡された事実。


 砂嵐のなかに混じる硝煙のにおい、約束の地を取り戻すにはときに武器を必要として、いつかその少年も武器をとる日がくるのかと、故郷にいながら故郷を奪われた思いと綯交ぜに、胸の花火のように、ずっとあとになっても、遠く極東の地のわれわれを苛む。

  ねむりても旅の花火の胸にひらく   大野林火

(「中東短歌 3」所収) 



関連1:中東短歌

2014年11月6日木曜日

きょうのクロイワ 2 [小島健] / 黒岩徳将



秋風を掠めとつたる牛の舌  小島健


 眼目は中七の「掠めとつたる」。景としては秋の屋外で牛が舌を出す、ただそれだけ。明瞭この上ない。しかし、「掠めとる」は本来悪いニュアンスで使われる。ぼんやりしているように見えて、牛の賢しさを言っているようにも解釈できる。

 また、「掠めとる」という動詞にはスピードを感じるが、中七を丸ごと使われるとそうでもない。まさか、牛にとっては「掠めとる」だが、人間の立場からだと遅いということだろうか?

 そもそも、掠めとったからなんだというのだろうか。掠めとった先に、秋風は牛の体内におさめられたのだと読みたい。目に見えぬ秋風に喪失感がだめ押しされる。

(『小島健句集』 ふらんす堂2011年)

2014年11月5日水曜日

黄金をたたく 1 [山本紫黄] /北川美美


秋の秋子は微熱の源氏物語  山本紫黄


<秋子>という名が妖艶で物悲しく、そして秋子の息使いが聴こえてきそうだ

上掲句は山本紫黄が亡くなる前日に上梓した句集『瓢箪池』に<秋子抄(五句)>として収録されている。<春の秋子は赤い鳥居に照らさるる><夏の秋子は黒地の服の草模様><冬の秋子は髪の匂いの防空頭巾><秋子の忌痩身の鳩なかりけり>とともに並ぶ。

春・夏・秋・冬、四季を通して秋子を想うどれも恋の句と思う。1980年代の『四季・奈津子』(五木寛之)の四姉妹を彷彿してみたり、「源氏物語」に登場する女性たちを重ねたりと想像が膨らむ。

任意の言葉に春夏秋冬を付け、春のXX、夏のXXとする手法は、そうは簡単に当たりが出ないが、紫黄の師である三鬼に、<中年や独語おどろく冬の坂>の句がある。春夏秋冬の中では、「もののあはれ」の季節を感じる秋を冠にしている有名句に遭遇する。

筒袖や秋の棺にしはがはず 漱石 
くろがねの秋の風鈴鳴りにけり 蛇笏 
秋の就一代紺円盤の中   草田男 
風干しの肝吊る秋の峠かな  三橋敏雄 

<秋子>にこだわる紫黄には実在の<秋子>がいる。長谷川かな女創設「水明」を継承した長谷川秋子のことだろう。秋子の父・沢本知水と、紫黄の父・山本嵯迷は兄弟であり、秋子と紫黄は従兄妹同士にあたる。紫黄は「水明」を飛び出し、三鬼の「断崖」東京支部に参加。昭和32年より三鬼門となった。長谷川秋子の美貌は名高く、その美しさ故か昭和48年46歳で早世した。「水明」には今も秋子を慕う同人が大勢いらっしゃる。

鬼のぞく窓に夜の咳あるばかり   長谷川秋子  
犬吠ゆる冬山彦になりたくて      〃

紫黄の<秋子>五句抄を見ていると、幼少から知っていた秋子への思慕、そして俳句に魅せられながら数奇な運命を辿った二人の近くて遠い距離が伝わる。秋子が読破した『源氏物語』の光源氏と最初の正妻・葵の上も従兄妹同志という設定というのも意味深である。


紫黄にとって、<夏の夏子>も<冬の冬子>も存在せず、遺稿の中には、たくさんの<秋子>の句がきっとあったはずと想像する。<秋の秋子>のエレジー度は五句抄の中で群を抜いて高く、<微熱>という状態が痛くさえ感じられるのである。


<『瓢箪池』2007年水明俳句会 所収>


2014年11月4日火曜日

貯金箱を割る日 1 [岡田由季] /仮屋賢一



登高の最後は岩に触れてをり    岡田由季



 九月九日、重陽の節句。茱萸の実を入れた袋を肘に提げたり、菊酒を飲んだり、菊雛を飾ったり。こう書き並べてみると盛りだくさんなのだが、今では他の四つの節句と比べれば非常に知名度が低く、全国的におこなわれる行事はほぼ皆無と言っていいだろう。「高きに登る」という季語も、もともとこの節句の風習の一つであるのだが、秋のピクニック日和とも言えるいい気候も相俟って、必ずしも単なるその範疇には収まらないのかもしれない。

 掲句、「最後」というのは、登りきったところを言うのだろう。高台に登りつめ、そこがゴールとも言わんばかりに存在する岩。触れた途端に、秋の空気が全身を包み込み、目の前に景色が広がる。岩の冷たさもとても心地よいものだろう。

高きに据わる岩、たったそれだけであるが、その触感が実感として喚び覚まされ、そこから視界が一気にひらけるようだ。「登高」が単なるピクニックでなく、秋の季感や、風習として持つ喜ばしい気分を持った言葉として、この句全体を包み込む。さりげない巧さである。



<角川『俳句』2014年11月号(第60回角川俳句賞候補作品『夜の色』 )所収 >

2014年11月3日月曜日

鴇田智哉句集『凧と円柱』より 1 / 今泉礼奈



すりぬける蜥蜴の縞の流れかな  鴇田智哉



止まる、うごく、止まるを絶妙な時間感覚をもって繰り返すのが、蜥蜴である。ここでは、その中の、うごく、が急にはじまっている。そのとき作者は、驚きとともに、蜥蜴の縞模様に流れを感じたのだ。
蜥蜴の独特な色と模様が、読者の頭の中にしばらく残る。上五のすりぬける、も秀逸。蜥蜴は、決して何かを避けてうごいた訳ではないが、その動きは確かに、人間のすりぬける動作と重なるものがある。

感覚的な句かと思いきや、描写の効いた一句。ひやっとする感じが、まさに夏だ。


<鴇田智哉句集『凧と円柱』(ふらんす堂2014年) 所収>

2014年11月1日土曜日

1スクロールの詩歌 [正岡子規] / 青山茂根


鐘つきはさびしがらせたあとさびし 正岡子規

 子規俳句の鑑賞といえば、大野林火のものが好きで、それ以外不勉強にもあまり読んでいないのだが、この句から浮かび上がってくる明治という時代の面影に、しばしタイムスリップしてみたい。

江戸の町の人々に時を伝えた時鐘は、明治の世にも残り、二十四時間雇われた鐘撞男がその音を響かせていたという。単純な労働のようで、遠くまで音を響かせるのはなかなか熟練を要した。

子規が日々耳にしていたと思われるのは、上野の精養軒前の鐘だろう。『明治百話』上(篠田鉱造著 岩波文庫 1996)の中に、「上野の鐘の話」が収録されているのだが、明治35年の話として、

五、六年前に死んだ」鐘撞名人のことが書かれている。「数十年この方、鐘撞を勤めていた仙蔵という七十にもなる爺さん」「もうよる年波で歩行すら自由にできぬくらいで、トボトボと鐘楼へ上り、漸く橦木に捉って鐘をつくのだから、何の力も入らない。傍で聞いていると実に音が低くこれがどうして遠方へ届くかと怪しむほどだったが、ある時堂主が駒込へ行った折、鐘を聞いたが、その響が非常に強く、余音嫋々としていうにいわれぬ幽情が籠って、何となく鬼趣をさえ感じ

とある。「さびしがらせたあとさびし」、ふーーっと、その幽玄の鐘の音と、ぶらさがるように鐘をつき終えた老翁のひそかな溜息が、この(明治24年の項にある)句から立ち上がってくるようだ。なにげなく句にその音を書き留めた子規、その佇まいも時代を超えて現代の我々に届く。

(『寒山落木』巻一)