飛雪のホーム軍手という語なお生きいる 古沢太穂軍手はそもそも戦時中に海軍が使用していたものであった、と聞いたことがある。もはや我々には「聞いたことがある」と伝聞的に述べる他にないことが切ないが、太穂は既に前の戦争を経て「軍手」という言葉が残った''あはれ''を感じていた。飛雪とは違う、薄汚れた白さの軍手。その存在は時を経ても、雪に紛れることはないのかもしれない。
出典:古沢太穂『三十代』
昭和25年
神奈川県職場俳句協議会刊
-BLOG俳句新空間‐編集による日替詩歌鑑賞
今までの執筆者:竹岡一郎・仮屋賢一・青山茂根・黒岩徳将・今泉礼奈・佐藤りえ・北川美美・依光陽子・大塚凱・宮﨑莉々香・柳本々々・渡邉美保
飛雪のホーム軍手という語なお生きいる 古沢太穂軍手はそもそも戦時中に海軍が使用していたものであった、と聞いたことがある。もはや我々には「聞いたことがある」と伝聞的に述べる他にないことが切ないが、太穂は既に前の戦争を経て「軍手」という言葉が残った''あはれ''を感じていた。飛雪とは違う、薄汚れた白さの軍手。その存在は時を経ても、雪に紛れることはないのかもしれない。
手が伸びて昼寝の子らをうらがへす 杉山久子
天渺々笑ひたくなりし花野かな 渡辺水巴
「もっと自発的でない苦々しいなにか、笑う者が自分の笑いを考えれば考えるほどますますはっきりしてくるなんともいえない悲観論の兆しを直ぐに判別できるはずだ。」
「生に無関心な傍観者として臨んで見給え。数多くの劇的事件は喜劇と化してしまうだろう。」
(『笑い』アンリ・ベルクソン)
「十年も経てば大抵の作品は色が褪せてしまふ。廿年も経てば大抵の作品は色が失せてしまふ。それは現に此の句集が明確に語つてゐる。(中略) 此の句集とて、畢竟は、それだけの存在でしかありえない。」
(『白日』あとがき)
ロシヤ映画みてきて冬のにんじん太し 古沢太穂太穂は東京外国語学校でロシア語を学んだ学生であった。それだけに、ロシア映画を観る機会も度々あったのだろう。
胸ふかく呼吸せよ欅みな太し 古沢太穂
たまに居る小公園の秋の人 松本たかし
だから俳句の表現は、時に、一貫した意味のある叙述といふより、何かの合図か、気合の声にすぎないと思はれることがある。気合をかけられ、ハツとした読者の眼にあるひらめきが映り、かすかに精神が伝はつてゆく――――。
すこし待てばこの春雨はあがるべし
いつしかに失せゆく針の供養かな
仕る手に笛もなし古雛
恋猫やからくれなゐの紐をひき
たんぽぽや一天玉の如くなり
羅をゆるやかに著て崩れざる
一夏の緑あせにし簾かな
柄を立てて吹飛んで来る団扇かな
金魚大鱗夕焼の空の如きあり
月光の走れる杖をはこびけり
秋扇や生れながらに能役者
とつぷりと後ろ暮れゐし焚火かな
水仙や古鏡の如く花をかかぐ
赤く見え青くも見ゆる枯木かな
枯菊と言捨てんには情あり
白皙の給仕に桜憑きにけり 竹岡一郎
税重し寒の雨降る轍あと 古沢太穂今や、国の借金が1000兆円を超えたらしい。僕が幼い頃は800兆だか900兆だかだったような気がするのだが、いつのまにか増えている。僕らは生まれた頃から1人あたりウン百万円の借金を背負っている、という言説があるが、僕らの世代にある閉塞感はその背中の重たさなのだろうか。重たい背中は、自然と視線を俯かせる。
夏近し火星探査機自撮りせよ 飯田有子