2015年9月28日月曜日

処女林をめぐる 8 [古沢太穂]  / 大塚凱


飛雪のホーム軍手という語なお生きいる  古沢太穂
軍手はそもそも戦時中に海軍が使用していたものであった、と聞いたことがある。もはや我々には「聞いたことがある」と伝聞的に述べる他にないことが切ないが、太穂は既に前の戦争を経て「軍手」という言葉が残った''あはれ''を感じていた。飛雪とは違う、薄汚れた白さの軍手。その存在は時を経ても、雪に紛れることはないのかもしれない。

出典:古沢太穂『三十代』
昭和25年
神奈川県職場俳句協議会刊

2015年9月27日日曜日

今日のクロイワ 30 [杉山久子]  / 黒岩徳将



手が伸びて昼寝の子らをうらがへす  杉山久子

日焼童子洗ふやうらがへしうらがへし 橋本多佳子 を思い出した。


手が伸びて という措辞からは、あたかも自分の意志ではない動作だということを思い出させる。多佳子句と比べて、複数の子を「うらがえす」という書き方が異なっていることが興味深い。久子は「ら」と「うらがえす」で、上五の非人為的表現と相俟って淡々としており、「隣の家のお母さんがママ友と旅行に行く間、小さい子どもを預かる」などといった状況を想像させるが、多佳子の「うらがへし」をリフレインさせて主観性を打ち出した姿は、明らかに「カーチャン」である。

もちろん、久子の「うらがへす」は横転であり、多佳子の「うらがへしうらがへし」は回転である。

2015年9月23日水曜日

目はまるで手のように言葉に触れる 22[渡辺水巴]/ 依光陽子




天渺々笑ひたくなりし花野かな   渡辺水巴



安保法案可決の翌日、句帳を持って花野に立った。まさに天渺々、どこまでも晴れた一日で、芒も萩も女郎花も彼岸花も蓼も虎杖も咲き誇り、翅あるものは飛び交い、草草の光が交差し合っていた。それは、ここのところずっと立憲主義とは何かを考えながらメディアを注視し続けてきた目に、まるで初めて見るような異質な光景に映った。現実から遠く、しかし確かに現実であり、句帳を手に対象に向っている自分は明らかに異物だった。

山本健吉みたいだ。『現代俳句』の中で健吉は、掲句については珍しく自身の体験、感情に引きつけて鑑賞している。水巴の訃報をきいた時、健吉は京都洛西宇多野の花野にいた。そしてふと思い出したのが、他のどの名句でもなく掲句だったという。健吉は自己分析する。敗戦後のやり切れないようなみじめさを思い切って虚空に哄笑を発散させてみたいという鬱積した気持ちが、晴れ渡った花野の景色に触れて掲句を引き出してきたのだろう、と。

掲句の背景には関東大震災がある。掲句は水巴が震災であらゆるものを失った直後の句なのである。しかし句の背景を知らずともこの「笑ひ」が明るく楽しい笑いだと受け取る者はいないだろう。何故なら季題が「花野」だからだ。そして私が健吉と受け止め方が少しだけ違うのは、健吉は掲句から水巴の特徴のある高笑いを聞き取っていること。「どうやら人間の笑いとは思えない高い乾いた声が虚空のどこからか聞こえてくるような気持に引きずりこまれるのだ」(『現代俳句』山本健吉)

私は掲句からベルクソンの言う笑いの背後にある「悲観論の兆し」を見てとった。

「もっと自発的でない苦々しいなにか、笑う者が自分の笑いを考えれば考えるほどますますはっきりしてくるなんともいえない悲観論の兆しを直ぐに判別できるはずだ。」 
「生に無関心な傍観者として臨んで見給え。数多くの劇的事件は喜劇と化してしまうだろう。」
(『笑い』アンリ・ベルクソン)

「笑ひたくなりし」と「花野かな」の間に「笑うことはできなかった」姿が見える。「僕笑っちゃいます」的なトホホな笑い以上の痛切な想いがここには確かにあって、この不条理を笑えるのならばいっそ笑って喜劇化してしまえたら、といった空しい願望も感じる。あっけらかんとした物言いが逆に道化師の笑いのように悲観的な心情を滲ませる。実際、生命の最後の饗宴である花野の圧倒的な景を眼前にしてどうして笑うことができようか。

大空にすがりたし木の芽さかんなる><家々の灯るあはれや雪達磨>のような句からも水巴のものの見方の偏向が見てとれる。大空を仰ぎ心を解き放つでなく「すがりたし」と思い、雪達磨のある家の灯には家族の団欒を見るではなく「あはれ」を見てしまう目。

さて、掲句を含む句集『白日』は水巴の第五句集であり、明治33年から昭和11年までの36年間の定本句集である。水巴の句は、殊に繊細な句が人口に膾炙しているが、蛇笏、鬼城り、普羅、石鼎等と「ホトトギス」の第一全盛期を築いただけの骨太さがある。そして季題への着地地点が独自だ。今読んでも唸らされる句が多い。

「十年も経てば大抵の作品は色が褪せてしまふ。廿年も経てば大抵の作品は色が失せてしまふ。それは現に此の句集が明確に語つてゐる。(中略) 此の句集とて、畢竟は、それだけの存在でしかありえない。」 
(『白日』あとがき) 

炯眼である。


水蜜桃や夜気にじみあふ葉を重ね

秋風や眼を張つて啼く油蝉

菊人形たましひのなき匂かな

紙鳶あげし手の傷つきて暮天かな

一つ籠になきがら照らす螢かな

会釈したき夜明の人よ夏柳

どれもどれも寂しう光る小蕪かな

向日葵もなべて影もつ月夜かな

幼な貌の我と歩きたき落葉かな

手をうたばくづれん花や夜の門

伽藍閉ぢて夜気になりゆく若葉かな

牡丹見せて障子しめたる火桶かな

樹に倚れば落葉せんばかり夜寒かな

家移らばいつ来る町や柳散る


(『白日』昭和11年刊。『現代俳句大系 第2巻』所収)

2015年9月21日月曜日

処女林をめぐる 7 [古沢太穂]  / 大塚凱



ロシヤ映画みてきて冬のにんじん太し 古沢太穂
太穂は東京外国語学校でロシア語を学んだ学生であった。それだけに、ロシア映画を観る機会も度々あったのだろう。

「太し」の背景にはロシア映画に映るにんじんの「細さ」がある。まだ貧しかった日本。その冬に負けじと、我が国のにんじんの太さが象徴的に立ち上がってくる。それは太穂の心象風景であったと言えよう。「冬の」という措辞は無駄ではない。遠い北方を想像する太穂のこころにとって、眼前のにんじんが「冬」のにんじんであることが切なさを感じさせる。

出典:古沢太穂『三十代』
昭和25年
神奈川県職場俳句協議会刊

2015年9月14日月曜日

処女林をめぐる 6 [古沢太穂]  / 大塚凱



胸ふかく呼吸せよ欅みな太し  古沢太穂

無季俳句だが、僕には欅の瑞々しい緑色が瞳にあふれてくる。夏の活力が肺の隅々にまでゆきわたるかのようだ。呼吸を繰り返す胸の隆さは、太々とした欅と重なり合う。われわれ動物の呼吸と、欅の光合成。太穂の作品はそのテーマ性ゆえに第一句集においても冬の印象が強いが、この句は夏の清冽さに満ちている。そのプロレタリア的傾向はイデオロギーではなく、生の讃歌としてあふれるのだ。

出典:古沢太穂『三十代』
昭和25年
神奈川県職場俳句協議会刊

2015年9月9日水曜日

目はまるで手のように言葉に触れる 21[松本たかし]/ 依光陽子




たまに居る小公園の秋の人     松本たかし


妙な句である。なんとなく妙だ。内容も、こんなことを句にする作者も妙だ。


そこらへんにある、これといって特徴のない公園。通常「小」などと入れると失敗するのがお決まりであるのだが、「小」と念押しするくらい余程たいしたことない公園なのだろう。住宅街に申し訳程度にある公園だ。毎日の通い路か、家から見えるのか、普段は特に気にしていないが、ふと見るとたまに人が居る。説明はなくとも大人で一人だとわかる。その人物は同じ人なのか、はたまた違う人なのか。兎も角「秋の人」なのである。「秋の人」としか表現しようのない存在としてそこに居るのだ。

本を読んでいる青年、ただぼんやりと遊んでいる子ども達を眺めている男性、犬を連れてベンチに座っている女性。同じ人であれば、その人物の心象が外見に顕れたような「秋」を感じるし、同じような人というのであれば、「秋の」という全体的な季感が一層強く感じられてくる。結局、この人物はどんな人でもいいのだ。作者はただ、眼前のシーンを切り取っただけだ。ぶらんこも砂場も滑り台も木々もそこに居る人も、一と色に溶けているシーン。

そこで再び句に戻って見ると、この「小」と「秋」が動かしがたく置かれていることに気付く。やわらかな秋の日差しの中にうっすらとした哀感がある。存外、この「秋の人」は作者自身かも知れぬ。

川端茅舎に「芸術上の貴公子」と言われた松本たかしは、能の宝生流十六世家元の高弟でシテ方宝生流の能役者松本長の子として生まれ、本来であれば能役者の道を進むべき運命であったが、肺尖カタルなどの胸部疾患に併せて神経症が痼疾となり能役者の道を断念し俳句道を進むことになった。幼い頃より重ねた能の鍛錬が、枯淡な句姿として表れている。

たかしの短文に<間髪――俳句の表情は一瞬間で決まる――>というものがある。一部分を引く。

だから俳句の表現は、時に、一貫した意味のある叙述といふより、何かの合図か、気合の声にすぎないと思はれることがある。気合をかけられ、ハツとした読者の眼にあるひらめきが映り、かすかに精神が伝はつてゆく――――。

経験、把握、表現という複雑な総工程がほとんど無意識に近い状態で間髪を入れずに一挙に行われ、そんな工合に結晶した作品は「一粒の白露が、ぽろりと掌の中にこぼれてくるやうなものでもあらうか」とたかしは書く。

気合いの声によって掌の中にこぼれた白露。そんな句が散りばめられているのが、第一句集『松本たかし句集』である。端正で且つ清冽、一方、どこか舞台劇のような趣の句も多く、掲句もその一つだ。しかし何故か心に残る。たかしの精神がかすかに伝わってくるということだろう。松本たかしは昭和31年5月心臓麻痺のため長逝。享年50歳であった。

すこし待てばこの春雨はあがるべし
いつしかに失せゆく針の供養かな
仕る手に笛もなし古雛
恋猫やからくれなゐの紐をひき
たんぽぽや一天玉の如くなり
羅をゆるやかに著て崩れざる
一夏の緑あせにし簾かな
柄を立てて吹飛んで来る団扇かな
金魚大鱗夕焼の空の如きあり
月光の走れる杖をはこびけり
秋扇や生れながらに能役者
とつぷりと後ろ暮れゐし焚火かな
水仙や古鏡の如く花をかかぐ
赤く見え青くも見ゆる枯木かな
枯菊と言捨てんには情あり

(『松本たかし句集』昭和10年刊。『現代俳句大系 第2巻』所収)

2015年9月8日火曜日

人外句境 20 [竹岡一郎] / 佐藤りえ


白皙の給仕に桜憑きにけり  竹岡一郎

 人心を惑わせる植物として、桜はしばしば引き合いに出されるもののひとつである。
 掲句では「桜」は白皙の給仕に「憑いて」いる。桜の実景がそこにあるかどうかは、わからない。樹木でなく、人から「桜」を感じたのだ、というふうに読むと、かえって花の気配が強まって感ぜられる。桜の化身、桜の精、などという言い方でなく、「狐憑き」ならぬ「桜憑き」として、桜が擬人化されず人のなかに気配として在る、そんな「在り方」が暗示されているからだろうか。

 この給仕は人間なのだろうか。音もなく現れ、静かな所作で盆のものをテーブルに移す、給仕の姿が目に浮かぶ。

 そこが桜の下であろうとなかろうと、この人物は「桜憑き」なのだと感ぜられる。透き通るという表現もあてはまらぬほど、図抜けて白い皮膚を持つ給仕が佇む。たとえば淹れ立ての紅茶を置かれたとしよう。テーブルの上に白い茶器が美しく配置されている。かすかに湯気をたてる紅茶。美味しそうだな、と感じると同時に、これは一体何なのか、と手が止まる。自分の知っていた「紅茶」とはこういうものだったか?

「桜憑き」が饗するものとはどんなものだろう。口にしてみたい気もするし、そもそも怖くて触れられないのかもしれない。永遠に時間が止まってしまったような構図に、魅入られてしまった。

〈「蜂の巣マシンガン」ふらんす堂/2011〉

2015年9月7日月曜日

処女林をめぐる 5 [古沢太穂]  / 大塚凱


税重し寒の雨降る轍あと  古沢太穂
今や、国の借金が1000兆円を超えたらしい。僕が幼い頃は800兆だか900兆だかだったような気がするのだが、いつのまにか増えている。僕らは生まれた頃から1人あたりウン百万円の借金を背負っている、という言説があるが、僕らの世代にある閉塞感はその背中の重たさなのだろうか。重たい背中は、自然と視線を俯かせる。

太穂が生きた時代には、こんな重たさはのしかかってはいなかっただろう。それはもっと直接的で、実体のある税の重たさだったはずだ。轍あとーー太穂の詠んだ貧しさは、どこか律令制のもとで取り立てられた税をも想像させる。古代、太穂の時代、そして我々の時代へと轍は繋がっているのだ。
出典:古沢太穂『三十代』
昭和25年
神奈川県職場俳句協議会刊

2015年9月1日火曜日

人外句境 19 [飯田有子] / 佐藤りえ


夏近し火星探査機自撮りせよ  飯田有子

 NASAの無人探査機「ニューホライズンズ」が冥王星に最接近し、撮影された高解像度画像が公開された。氷の山脈があるとか、正確な直径が観測されたとか、日々新発見がニュースとして報じられている。

 もし無人探査機に人工知能が搭載されたとしたら。そんな発想はSFの界隈ですでにしつくされているだろうけれど、「自撮り棒」はどうか。小型化されたスマートフォンが高機能のカメラを搭載していて、長く伸ばした棒の先にそれをくっつけ、自分を撮影するのが流行する―などという予想はある程度なされていたのだろうか。

 小惑星「イトカワ」から帰還、大気圏で燃え尽きた「はやぶさ」に涙した人々は、無人探査機に人工知能が搭載され、自撮り写真が公開されたりしようものなら「カワイイ~」と色めきたつに違いない。

 動物にしろ、無機物にしろ、人間に似た所作をするものを人は「カワイイ」と評しがちである。それがどんなスケールのものでも、どんな距離感のものでも「そう」なるものなのだろうか。かつて「ナイトライダー」という海外ドラマに「ナイト2000」という「しゃべる自動車」が登場した。スペースシャトルが「てへぺろ」でもカワイイのだろうか。

 宇宙空間のなかで、火星と自分が最も美しく映える画角を探し、自撮り棒をウィンウィンと操作する探査機。なぜだろう、私にとっては考えただけで泣けてくる絵だ。「自撮り」の側面である孤独がこれほどまでに際立つシチュエーションも他になかろう。太陽だけが探査機をまばゆく照らしている。
〈「別腹」8号/2015〉