花の陰ぼくはゆつくり退化する 土井探花
桜は美しく咲き満ちているのだけれど、樹下はうっすらと影を帯び、蒼ざめていたり、灰色だったりする。花の間から透かし見る空もまた薄青い。人影のまばらな静かな花の陰に坐る、あるいは横たわる。目を瞑る。桜の持つ神秘的な力を浴びながら、ぼくはゆつくり退化する。
掲句の「退化する」という言葉は、そこはかとない寂寥感や切なさを含みながらも、不思議な心地よさを感じさせてくれる。過剰に進化し、尖鋭化したシナプス、視覚、聴覚、痛覚、その他諸々の感覚が、ゆっくり退化することで、鋭敏な器官たちから解放され、ぼくは再生する。ここでは「退化」が再生の道へ通じているようだ。
春月の呼吸聞こえるほどのやまひ 土井探花
鳥だった記憶が蝶を食ひさうで
間腦に蝶ゐて動かない痛さ
薔薇は実に少年は空を痛がり
長安に男児あり
二十にして心已に朽ちたり (李賀「陳商に贈る」)
唐突に、中国唐代の詩人李賀の詩の一節が浮かぶ。早熟で繊細、研ぎ澄まされた感覚を持つ特異の詩人の、深い絶望に覆われた生き方を思うと、李賀を「花の陰」に誘いたいと思う。
〈句集『地球酔』(2023年/現代俳句協会)所収〉