およそ日刊「俳句新空間」

-BLOG俳句新空間‐編集による日替詩歌鑑賞
今までの執筆者:竹岡一郎・仮屋賢一・青山茂根・黒岩徳将・今泉礼奈・佐藤りえ・北川美美・依光陽子・大塚凱・宮﨑莉々香・柳本々々・渡邉美保

2016年5月31日火曜日

フシギな短詩19[米川千嘉子]/柳本々々

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   人生の主人公ときに替はる気せり 白湯(さゆ)に浮かびし顔ふつと飲む  米川千嘉子 太宰治『晩年』の最初に収められている「葉」のいちばん最後にこんな断片がある。    生活。   よい仕事をしたあとで   一杯のお茶をすする   お茶のあぶくに ...
2016年5月24日火曜日

フシギな短詩18[野間幸恵]/柳本々々

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   この世でもあの世でもなく耳の水  野間幸恵 句集『WATER WAX』のいちばん最後に収められたのが掲句である。最後まで読んだあとにもう一度頭から読み始めて気がついたのが、この句集はこんな句で始まっている。   耳の奧でジャマイカが濡れている  野間幸恵...
2016年5月17日火曜日

フシギな短詩17[リチャード・ブローティガン]/柳本々々

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  ・・・・・   ・・・・・・・   (十二個の)赤い実だ  リチャード・ブローティガン 「イチゴの俳句」と題された一句。イチゴは、夏の季語だ。しかしブローティガンにとっては、かれの小説ではおばあさんや階段が小川のせせらぎに見えたりすることもあるように、あらわれてき...
2016年5月10日火曜日

フシギな短詩16[中澤系]/柳本々々

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理解したような気がした 理解したような気がした、ような気がした  中澤系 ときどき、中澤系さんにとって〈理解〉とはなんだったのだろうと考えている。中澤さんには〈理解〉をめぐるとても有名な歌がある。    3番線快速電車が通過します理解できない人は下がって  中澤系...
2016年5月6日金曜日

人外句境 39  [寺山修司] / 佐藤りえ

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旅鶴や身におぼえなき姉がいて  寺山修司 あくまで「旅鶴」ということばに引きずられながらの連想ではあるけれど。旅籠の自室に戻ろうと襖をあけた途端、「おかえり」と言って迎える女が室内にいたとする。面食らって立ち尽くす自分をよそに、女は楽しそうに他愛のない話をまく...
2016年5月3日火曜日

フシギな短詩15[なかはられいこ]/柳本々々

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  いとこでも甘納豆でもなく桜  なかはられいこ 「AでもBでもなく桜」と二度の〈否定〉を通してはじめて「桜」にたどりつくのが掲句だ。「いとこ」や「甘納豆」という具体名はあがるもののそれらがスルーされ、ながいながい遠回りをして語り手はやっと「桜」にたどりつく。 だか...
2016年4月26日火曜日

フシギな短詩14[久保田紺]/柳本々々

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  大好きな隙間に誰か立っている  久保田紺 隙間、ってなんだろう。 この句で語られているのは、〈大好きな誰か〉のことではない。「大好きな隙間」のことだ。 語り手が大好きなのは「誰か」ではなく、「隙間」なのである。すべては「隙間」から始まっている。隙間誌上主義者に...
2016年4月24日日曜日

黄金をたたく30  [桑原三郎]  / 北川美美

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生涯の顔をいぢつている春よ  桑原三郎   「春よ」としたことで、春の歓喜を詠っていると解せる。冬の間の強張った顔がやわらぐ季節に顔をいじる。おそらく他者の顔ではなく自分の顔。鏡を見ずに眉や鼻や頬、髪や髭をいじるのであれば、何か考え事をしているとき、というのが大筋だけ...
2016年4月21日木曜日

人外句境 38  [曾根毅] / 佐藤りえ

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立ち上がるときの悲しき巨人かな  曾根毅 「巨人」はこれまで扱ってきた「人外」のなかではちょっと特別な存在である。「擬人化」という言葉があるが、「巨人」は「大きすぎる人」であり、人になぞらえるどころか、大きさ以外の要素は人と同じであるように考えられがちである。神話・伝承...
2016年4月19日火曜日

フシギな短詩13 [喪字男]/柳本々々

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  たまに揉む乳房も混じり花の宴  喪字男 季語は「花の宴」。お花見のさいちゅうである。宴の文字からもわかるとおり、すこし祝祭的で、やや入り乱れている。桜も、舞っている。 そのなかで語り手が注目しているのは「乳房」でとらえる世界である。お花見のなかで、語り手は「乳房...
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