およそ日刊「俳句新空間」
-BLOG俳句新空間‐編集による日替詩歌鑑賞
今までの執筆者:竹岡一郎・仮屋賢一・青山茂根・黒岩徳将・今泉礼奈・佐藤りえ・北川美美・依光陽子・大塚凱・宮﨑莉々香・柳本々々・渡邉美保
2017年4月30日日曜日
続フシギな短詩106[樋口由紀子]/柳本々々
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軽症だから道の真ん中を歩く 樋口由紀子 以前、そんなに遠くはない昔に、 むこうから白線引きがやって来る 樋口由紀子 という樋口さんの句の感想を『週刊俳句』に書いたことがある。それは「境界破壊者たち」というタイトルだった。 そのときはまだよくわかっ...
2017年4月27日木曜日
続フシギな短詩105[池田澄子]/柳本々々
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ピーマン切って中を明るくしてあげた 池田澄子 田島健一さんが『現代詩手帖』の連載「俳句のしるし」において池田澄子さんの俳句の特徴を次のように指摘している。 氏の作風の特徴は、作者と読者の間に第三者的主体が想定される点にある。…口語独特の呼びかけ...
2017年4月25日火曜日
続フシギな短詩104[介護百人一首]/柳本々々
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いつの間に一人暮らしが三人になっているかと母不思議がる 辻田早代美 NHKの番組「ハートネットTV 介護百人一首2017」からの一首。 大阪在住の辻田早代美さん。母親に少し認知症があることがわかり、いまは同居しているという。 辻田さん夫婦と9...
2017年4月19日水曜日
続フシギな短詩103[加賀田優子]/柳本々々
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おにぎりをつくるみたいにわたしたちされてできたのかもしれないね 加賀田優子 『大阪短歌チョップ2』のテーマ「集」に投稿された加賀田さんの一首。 以前、このフシギな短詩において、俵万智さんと岡野大嗣さんのサンドイッチの歌を主体性をめぐって考えたことがあ...
2017年4月17日月曜日
続フシギな短詩102[まひろ]/柳本々々
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あいうえおかきくけこさしすきでしたちつてとなにぬねえきいてるの まひろ ひとはたくさんしゃべることができるはずなのに、なぜひとはそれでもなお〈短いことば〉を選択することがあるのだろう。 その意味で、《短》詩は、どこかで、〈不能性(ごめんできないんだ)〉の文学で...
2017年4月14日金曜日
続フシギな短詩101[高屋窓秋]/柳本々々
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頭の中で白い夏野となつてゐる 高屋窓秋 川名大さんがこの句の「白」に関して文化的側面からみた興味深い指摘をしている。 川名さんはこの句が生まれた昭和初期のモダン都市下の政治・文化情況を素描した上でその多面的情況としてのポジティブ・ネガティブどちらを...
2017年4月9日日曜日
フシギな短詩100[目次]/柳本々々
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【1、 御中虫さんと揺れ 】 2016年の〈今〉も、わたしたちの〈すべて〉の関さんは、揺れる。 【2、 北大路翼さんと乳輪 】 俳句は、乳房に、たどりつけない。 【3、 イイダアリコさんとゴジラ 】 わたしたちは俳句を通して〈初めてのゴジラ〉や〈初めての乳輪〉に出...
2017年4月6日木曜日
フシギな短詩99[明恵上人]/柳本々々
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あかあかやあかあかあかやあかあかやあかあかあかやあかあかや月 明恵上人 定型詩は定型がある以上、定型を満たすまでしゃべり続けなければならない。以前このフシギな短詩で富野由悠季さんの富野ゼリフをめぐりながらそんなことを書いた。 丸の内の出光美術館で江戸時...
2017年4月2日日曜日
フシギな短詩98[谷川俊太郎]/柳本々々
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建物は実にかすかに揺れているそのことだけに気がついている 谷川俊太郎 短詩に対しては谷川さんのこんな発言がある。 七・五調のもっている日本的な情感というのに、僕はちょっと不感症的なところがあって、俳句止まりなんです。 短歌になると、もう、...
2017年3月30日木曜日
フシギな短詩97[大川博幸]/柳本々々
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あやふやなものがあって確かめたらあやふやだった 大川博幸 石寒太さんが『俳句はじめの一歩』という本のなかでこんなことを書かれている。 私の先生の加藤楸邨も、「俳句はもののいえない文学」と、はっきりいっています。 ( 石寒太『俳句は...
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