2015年1月26日月曜日

今日の小川軽舟 30 / 竹岡一郎


闇寒し光が物にとどくまで      「手帖」

光の速度とは、最も速いのであって、この地上においては一瞬に等しいであろう。光が現れて物を照らす、その間隙は恐らく人間の目では認識できない。だから、掲句を冬の夜明け前の寒さに朝を希求する、人間の本能的な焦燥と読む。物は室内にある、或いは戸外にある物体である。物に光が当たる事によって、朝の喜びが実感できる。その喜びは暖かい日を浴びることが出来るという期待である。これで一応の鑑賞は出来る。しかし、光年という概念を思うと、掲句はまた違った色合いを見せる。

ここで言われる「闇」を、もっと恒久の闇、即ち宇宙空間と考えた時である。光が物に届くまで、(人間にも認識できるほどの)一定の時間を要する場合とは、光が宇宙の闇を進んでいる時であろう。ならば、上五の「寒し」は、単に地球上の寒さではない。空気が凍り、生物の血が沸騰するような、地上におけるあらゆる寒さを凌駕する極寒を、宇宙を知らぬ頃の人間が考えた寒さに例えるなら、それはあの世の寒さ、殊には死後堕ちるかもしれぬ地獄の寒さである。

ならば、光には「魂の救済」という暗喩も含まれる筈だ。ここまで読むと初めて、下五の「とどくまで」、特に「まで」に籠められる距離感、或る遙かさが匂ってくるだろう。更に付け加えるなら、光の速度よりも早いもの、それは人間の思惟の速度であろう。平成十六年作。