雪空の羊にひくし出羽の國 幸田露伴
干支に因み羊を詠み込んだ句を作られた読者も多くいらっしゃると想像する。新年にふさわしいかはさて置き、明治・大正・昭和に三代にわたる文豪がつくると羊の句がこうなる。
具体的な地名、「出羽の國」で留めているところにそこはかとなき俳句の迫力があると思う。青森の寺山修司の俳句雑誌が『牧羊神』と名付けられているのだから東北での牧羊の文化は長い歴史があるのだろうなと想像はしていたが、この句により、出羽国(東山道の山形県、北東部除く秋田県の領域)もしかり、東北に羊が根付いていることが確信できた。
荒涼とした風景に雲が低く垂れこめ、羊たちが草を食べている風景。羊と人間の繋がりは8000年もの歴史がある。
作句年代は明らかではない(『鑑賞現代俳句全集』第12巻 村山古郷の解説から明治23年頃と推測可能)が、収録は「十二神獣」の中の句である。いわゆる題詠であるので作り込んだ句だろう。
正岡子規は露伴に小説「月の都」の批評をみてもらう(明治25年2月)が、露伴はこれに賛辞を呈することもなく、子規が失望してこれを契機に俳句に専念するようになったとある。子規はその頃、何々十二か月連作風の作に没頭していて、ちょうどその頃から露伴も「僧十二か月」「職人盡」「独史余詠」「十二神獣」などの連作体の句を作るようになったようだ。
文豪はやはり机の上で俳句を作るのである。
「十二神獣」の他の題詠を下記に二句ひく。
蛇穴を出れば飛行機日和也
春の海龍のおとし子拾いけり
<連作『十二神獣』所収。明治23年頃>