2021年11月20日土曜日

DAZZLEHAIKU59[茅根知子]  渡邉美保

  突堤の先が冬日の中に消ゆ  茅根知子


 海に突き出た突堤は、どこよりも海を近くに感じられる場所だと思う。潮風に吹かれながら、打ち寄せる波音を聴きながら、散歩をしたり、釣りをしたり。海に沈む夕日を眺める絶好のスポットでもある。

 さて、掲句。突堤の先が冬日の中に消える(消えている)つまり、見えなくなっているという。よく晴れた冬の一日、日差しは特有の明るさを持つ。突堤には目に痛いほど眩しい光が降り注ぎ、周りの海面もまた光の乱反射。どこまでが突堤なのか、どこからが海なのか、境目がわからないままキラキラと輝いている。そんな〈冬日の中に〉なのだろうと思う。突堤の先が見えない。突堤を真直ぐ進んでいくと、そのまま海へ入ってしまいそう。

 突堤の先へ行きたいけれど、先へ進めない。今まで見えていたものが、見えなくなるという不安と魅力。

——ここにおいで ここにおいで 

——きてはだめ きてはだめ

 そんな声が聴こえはしないだろうか。

〈句集『赤い金魚』(2021年/本阿弥書店)所収〉

2021年10月15日金曜日

DAZZLEHAIKU58[岡田一実]  渡邉美保

 熊ん蜂釣船草に頭を深く    岡田一実


  野山を歩いていて、ふだんあまり見ることのできない草花に出会うと、思わず興奮してしまうことがある。

 〈釣船草〉もそういう花のひとつだと思う。

 山麓の湿地や小川の縁に自生。花の様子が、吊り下げられた帆掛け船に似ていることから付けられた名前だという。

 か細い茎から下がる船の形の紅紫の花は、可憐で、風に揺れるさまは儚げである。

 花の後側にはクルリと巻いた渦巻(距)があり、中にたくさんの蜜が入っているそうだ。

 一方、〈熊ん蜂〉は、ずんぐりむっくりした黒い大きな体、ブーンと大きな音を立てて、好物の花粉や蜜を集めるために花から花へと飛び回る。

 そんな熊ん蜂が釣船草にやって来る。釣船草の蜜を吸うためには、熊ん蜂は花の中に〈頭を深く〉入れなければならないのだ。

 掲句の、その光景は、ちょっとユーモラスな感じもするが、華奢で儚げな釣船草に潜る熊ん蜂が、なんだか狼藉者のようにも思える。

〈句集『光聴』(2021年/素粒社)所収〉

2021年9月4日土曜日

DAZZLEHAIKU57[津川絵里子]  渡邉美保

 暮れかかる空が蜻蛉の翅の中    津川絵里子


 夕方、シオカラトンボが一匹、ツーとやって来て、自転車の荷台の上に留まった。すぐに飛んで行ってしまったが、透き通ったその翅は空の色をそのまま映していた。


 〈とんぼの はねは そらの いろ そらまで とびたいからかしら 〉

(「とんぼのはねは」まどみちお)という詩の一節を思い出す。

そして、掲句から、とんぼの翅が「そらのいろ」なのは、翅の中に空があるからなのだと、気付かされる。


〈暮れかかる空〉が〈蜻蛉の翅の中〉にあるという発見。

とんぼの翅の中に空がある。そして、周りには広い空。とんぼは空に包まれていて、自分を包む空を、その薄い翅の中に取り込んでいる。


とんぼの翅の中で空は、どんどん広がって、とんぼの翅もどんどん広がって、蜻蛉の存在が宇宙へと拡大する。そんな光景を思い描かせてくれる。

〈句集『夜の水平線』(2020年/ふらんす堂)所収〉

2021年8月5日木曜日

DAZZLEHAIKU56[石井清吾]  渡邉美保

  リール巻く傍に青鷺従へて      石井清吾

 釣りの一場面、〈リール巻く〉は竿にアタリがあり「きた、きた、きた」とばかりに、今しも魚を引き上げようとしている瞬間なのだろうか。傍に従えているのが〈青鷺〉というのがなんともユーモラスである。青鷺はたまたま近くにいただけで(従者じゃないよ)っていう顔しているかもしれない。

  一句の中に明らかなのは「リール巻く」という釣りの動作と傍に青鷺を従えているということだけである。一人と一羽の物語は読み手にゆだねられている。

 緑に囲まれた人気のないひそやかな水辺。澄んだ空気の中で、釣り人(少年がいいな)も青鷺もただ静かに水面を見つめている。静謐なひととき。青鷺の青い容姿と釣り人が水辺に立つ光景は、涼やかで、魅力的だ。

 やがて静寂がやぶれ、釣り人はリールを巻き始める。魚は釣れたのだろうか。釣り上げた魚を青鷺に自慢する場面。或いは、餌だけ取られて、獲物に逃げられ青鷺に笑われる場面。どちらを想像しても愉快。一句の中を、心地よい涼風が吹き抜けていく。

句集『水運ぶ船』(2020年/本阿弥書店)所収〉


2021年6月27日日曜日

DAZZLEHAIKU55[内田美紗]  渡邉美保

  昼寝覚この世の水をラッパ飲み     内田美紗  


 昼寝覚めには、朝の目覚めとは違う、独特の感覚がつきまとう。

  夏の暑さの中で、元気回復によいとされている昼寝であるが、二、三十分のつもりが一時間以上寝てしまい、妙にだるさが残ることがある。目覚めてしばらくはぼうっとして体が重い。汗で額に髪が貼りついていたりする。何かに追われ、必死に逃げてきたのか、或いは水中を歩いてきたのか。夢を見ていたのかもしれないが、何も覚えていないのである。


 さて掲句、「この世の水」を「ラッパ飲み」と表現されることで、昼寝覚めのただならぬ気配が迫って来る。水を飲まねばならぬのだ。「ラッパ飲み」の勢いで。(最近はあまり使われなくなった言葉だが)「ラッパ飲み」にはなりふり構わぬ必死さが感じられる。水を飲むことでようやく一息。乾いた喉を潤す水は、まさしく「この世の水」なのだ。


 「この世の水」は自分を取り戻す水であり、明日を生きる水ではないかと思う。昼寝の間、作者はいったい何処へ行っていたのだろうか。

   

  異次元をすこし出入り昼寝覚     柴崎英子

  この世よりあの世よかりし昼寝覚   鷹羽狩行

  生き返る方をえらんで昼寝覚     井上菜摘子


〈『鉄砲百合の射程距離』(2017年/月曜社)所収〉

2021年5月28日金曜日

DAZZLEHAIKU54[川嶋一美]  渡邉美保

 蛇が身を解くころあひ春の闇     川嶋一美 

 

 以前、冬眠中の蛇の巣穴を、掘り起こしたという人の話を聞いたことがある。仕事中の偶然の出来事だったそうだが、何匹もの蛇が縺れ合い、ひと固まりに丸まっていてギョッとしたという。掘り起こされた蛇たちにとってはいい迷惑だったに違いない。

  掲句、ほんのりと春の温みが感じられる夜。木々の匂い、水の匂いのこもる甘やかな春の闇である。春の闇の中で作者は、冬眠から目覚める蛇に思いをはせる。〈蛇が身を解くころあひ〉そう思う作者もまた、長い冬のトンネルを抜け出し、春の闇の中で伸びやかに身を解こうとしているのではないだろうか。

 句の中に実際の蛇は登場しないのだけれど、つい想像してみたくなる。冬眠から覚めた蛇は、いきなり穴から外へ出るわけではないのだ。冬眠中に凝り固まった身を、思い切り伸ばしたりひねったり。圧し縮めていた全身をふるふると伸ばしていくだろう。

「ころあひ」という言葉のひびきのやすらかさにも惹かれる。

〈句集『円卓』(2021年/本阿弥書店)所収〉


2021年3月25日木曜日

DAZZLEHAIKU53 [岡田耕治]  渡邉美保

 家中に草のびている朝寝かな    岡田耕治  

 「朝寝」は一年中することだけれど、春の朝の寝心地は格別。春の季語である。

 この季節、一度目が覚めてから、またとろとろと眠る時間はどうしてあんなに心地よいのだろう。目覚時計のベルを止めてほんの数分と思っていたら、数十分過ぎていてあわてて起きることしばしば…である。

 さて掲句、「家中に草が伸びているような気のする朝寝だ」ということだろうか。

 朝の光を浴びて生長する植物の旺盛な生命力、その瑞々しい空気の中で朝寝している主人公の健やかな眠り。おおどかな民話の世界のようで愉快である。

 一方、「朝寝している間に家中に草が生い茂っている」と思うと、少々怖い光景に思えてくるから不思議だ。

  家中に生い茂る草は、地面から、床を破って伸びてきたのだろうか。眠っている主人公の体に絡まったり首を絞めたりはしないのだろうか。想像がどうもホラーめく。

 一見、のどかな光景の裏に怖さが隠れているような、そんな気がする一句である。

〈句集『日脚』(2017年/邑書林)所収〉

2021年2月16日火曜日

DAZZLEHAIKU52[北川美美]  渡邉美保

 囀りの後の羽音と枝の揺れ    北川美美  
 

 庭の白梅が咲き始めると鳥たちがやって来る。チチチ、チュチュチュ…まだ冷たい朝の空気の中、鳥たちの羽音や鳴き声で目が覚める。
〈囀りと聞きとめしとき目覚めけり   林翔〉
 その声を聞きながら、しばしまどろむ。早春の朝のたのしみである。鳥の姿を見ようと、窓を開けると、その瞬間、鳥たち飛び立ってしまう。あ、残念。

 歳時記によると、囀りは繁殖期の鳥の雄の鳴き声を言い、いわゆる地鳴きとは区別して使われるとあるので、掲句の場合、高らかな鳴き声が聞こえていたのかも知れない。

 先程までの、降りそそぐような囀りはもう聞けない。飛び立つときの羽音が耳に、枝先の揺れが目に残っているばかり。
 囀りの明るさに対して、鳥たちが飛び去った後の景色を見ている作者の心の翳りのようなものが感じられる。ほんの些細なことなのだけれど、その一瞬の取り残されたような淋しさ、微かな喪失感が滲む一句である。

〈俳句新空間NO.12 (2020年実業公報社)所収〉

2021年1月14日木曜日

DAZZLEHAIKU51[谷口智行]  渡邉美保

 神ときに草をよそほふ冬の月    谷口智行  
 
 青白い冬の月が、透きとおる大気の中で輝いている。
透徹した空気のため刺すような寒さが感じらる月はさびしく、美しい。
そんな時、風や樹や山に宿る神々も、大地が恋しくなるのだろうか。そして
荒ぶる神々も、「ときに草をよそほふ」のだろう。

 道端や樹木の下、野原の草々をよそおう神は、路傍の菫ほどの小さな姿にちがいない。草の実、草紅葉、草氷柱、枯草、七草、草木成仏。草のつく字はどれもやさしい。草になじんで生きてきた遠い祖先の日々の暮らし。それを受け継ぐ私たちもまた草を身近に感じながら生きている。
掲句からは、神もまた、草に寄り添い、人々の暮らしに深く寄り添ってきているような安らぎが感じられる。冷たい冬の月に照らされた大地を覆う草々に、神の気配があたたかい。

句集のあとがきに「私たちの祖先は鳥獣、草木虫魚、などに対しても自然の恩寵と畏怖を抱き、そこに篤い信仰を見出だして来たのである」と述べられている。
いわゆる土俗の神の存在を身ほとりに感じながら生活されている作者の視座の温かさを思う。

〈句集『星糞』(2019年邑書林)所収〉