およそ日刊「俳句新空間」
-BLOG俳句新空間‐編集による日替詩歌鑑賞
今までの執筆者:竹岡一郎・仮屋賢一・青山茂根・黒岩徳将・今泉礼奈・佐藤りえ・北川美美・依光陽子・大塚凱・宮﨑莉々香・柳本々々・渡邉美保
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2017年8月30日水曜日
続フシギな短詩187[北野岸柳]/柳本々々
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歳時記の中で密会してみよう 北野岸柳 飯島章友さんがたしかそう書かれていたのだと思うのだが、川柳でも季語は使われることはあるのだけれど、川柳においては季語は〈私的(プライベート)〉に活用されるのだという。だから俳句にとって季語は公的でありオフィシャルなものなのだが、...
2017年8月20日日曜日
続フシギな短詩166[寺山修司]/柳本々々
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肉屋の鉤なまあたたかく揺るるとききみの心のなかの中国 寺山修司 ときどき短詩のなかの国名について考えることがある。たとえば、 サバンナの象のうんこよ聞いてくれだるいせつないこわいさみしい 穂村弘 という歌があるが、このときの「サバンナ」とはなんだろう...
2017年3月26日日曜日
フシギな短詩96[石田柊馬]/柳本々々
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妖精は酢豚に似ている絶対似ている 石田柊馬 不思議な句だ。 「絶対」とは言いながらも、その「絶対」を言ってしまったがために、「絶対」が〈絶対〉をくつがえしてしまっている。 いったい私はなにを言っているのか。 つまり、こういうことだ。《...
2016年5月3日火曜日
フシギな短詩15[なかはられいこ]/柳本々々
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いとこでも甘納豆でもなく桜 なかはられいこ 「AでもBでもなく桜」と二度の〈否定〉を通してはじめて「桜」にたどりつくのが掲句だ。「いとこ」や「甘納豆」という具体名はあがるもののそれらがスルーされ、ながいながい遠回りをして語り手はやっと「桜」にたどりつく。 だか...
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