2018年10月30日火曜日

DAZZLEHAIKU28[金山桜子]  渡邉美保



  魚の鰭虫の羽音に水澄めり    金山桜子

  秋の長雨や、台風による出水からも日を経て、晴天が続き、朝夕の冷やかさを感じる頃。空気も澄み、川の水も、湖も沼も透明度を増し、水底まで見通せるくらい澄んでくる。
そんな水際に立ち、作者は水面を見つめたり、水の中を覗き込んだりしているのだろう。
掲句、「魚の鰭虫の羽音に」からは、周囲のしんとした静けさが伝わってくるようだ。助詞「に」の使い方にはっとする。〈水中のいきものの動きが鈍くなったから水が澄む〉のではなく、魚の鰭の動きの緩やかさ、虫の羽音のかそけさに、呼応するかのように水が澄んでいくと言っているように感じられる。
 「水澄む」の清らかさの中に、私たちは近づいて来る冬の気配を感じたり、自分の心の中を見つめたりするのではないだろうか。「水澄めり」にさびしさが漂いはじめる。


〈句集『水辺のスケッチ』(2018年/ふらんす堂)所収〉 

2018年9月28日金曜日

DAZZLEHAIKU27[内田 茂]  渡邉美保



  夏萩や母の棺のひよいと浮く    内田 茂

 涼やかな緑の葉蔭から紫紅色の花をのぞかせる夏萩の、控えめで細やかな美しさ、どことなくさびしげな風情が「母の棺」に情感をそえている。
 「母逝く(享年八十九歳)」と前書きが付されている一句の、天寿を全うされたであろう母上との別れの一場面。
 それなりの重さを覚悟して持ち上げた棺はひょいと浮いた。
 思いのほか軽くて、そう感じたか。或いは、本当に浮いたのかもしれない。作者の小さな「あっ」が聴こえてきそうだ。
 「ひよいと浮く」という軽やかな表現から、母上の生前の人となりが思われる。優しく、朗らかで、明るい人だったような気がする。ひょいと浮いたのは、残された者への母の思いやりともとれそうだ。
 高齢の母との別れの場面が、さらりと述べられていることで、見送られる母の安らぎ、見送る側の安堵感が伝わってくる。そして、作者の母に寄せる思いの深さも。

〈句集『管制塔』(2018年/ふらんす堂)所収〉

2018年8月31日金曜日

DAZZLEHAIKU26[花谷 清] 渡邉美保


  朝かと問われ夜と答える水中花    花谷 清

不思議な一句だと思う。 
水中花の飾られた部屋に、朝かと問う人がいる。夜だと答える人がいる。どういう場面設定を想起するかは読者にゆだねられている。
或いは…と別の解釈もできそうだ。
真夜中にふと眼覚め、朝かと思う刹那がある。「いや、まだ夜だ」と自分が気付くより先に水中花がそう答えた。と読むことはできないだろうか。問いはそのまま答えとなる。
色うつくしい花の姿にひらいて、コップの水の中に凝としづまっている水中花は、華やぎと哀れさとを合わせ持つ人工の花。いつだって「夜」と答えそうな気がする。水中花に朝は来るのだろうか。
夜と朝のあわいの短い会話から、或いは、自問自答から、人間のこころもとなさが感じられる。水中花という幻想の花もまた、こころもとなく、両者をとおして、生と死について考えさせられる。

〈句集『球殻』(2018年/ふらんす堂)所収〉

DAZZLEHAIKU25[友岡子郷] 渡邉美保

  舟音を追うて舟音明易し    友岡子郷

眠れぬ夜を過ごしている耳に、舟音が届く。その舟音に続く舟音は、夜が明けていくのを気付かせる。舟は夜明けとともに沖へ向っていくのだろう。夏の夜明けは早い。次第に明るくなる空の色。新しい一日のはじまり。
穏やかに一定のリズムで進んでゆく舟音は、作者の心を引込むような親しい音にちがいない。潮風、波の揺れ、海の広さが目に浮かぶ。
「舟音を追うて舟音」のリズムの心地よさ、一句の力強さ。
夏暁の清々しさの中、舟音だけが聴こえる、シンプルな句の世界。舟音は読者の耳に届き、読者の心を引込んでいく。

  朝の舟梨のはなびらのせゆきぬ

  足もとに舟のあつまる涼夜かな

  夕風は舟の七夕笹をこえ


同句集中の舟の句はとても魅力的だ。

〈句集『葉風夕風』(2000年/ふらんす堂)所収〉

2018年6月19日火曜日

DAZZLEHAIKU24[市川薹子]渡邉美保



  麦秋の水のせてゐる忘貝    市川薹子

浜辺を歩いているとき、二枚貝の片方が離れて一片ずつになった貝殻をよく見かける。それを「忘貝」というそうだ。離ればなれになった二枚貝の片方が、他の一片を忘れるという意の名称だという。また、ワスレガイという名の二枚貝もあるそうだ。「忘貝」の音の響きにはどこか郷愁を感じさせるものがある。
掲句、小さな貝にのった、ほんのひとしずくの水にちがいない。初夏の澄んだ空気の中で、忘貝にのった水は、丸くふくらみ、光り輝いていただろう。周囲の緑も映していただろうか。ささやかな発見。
麦秋の水をのせ、小さな器となった貝を一句に仕立てる作者の繊細な手腕と心延えを思う。
「麦秋」「水」「忘貝」が心地よく響き合う。
「忘貝」は、忘れていた懐かしい世界を思い出させてくれるのかもしれない。

〈句集『たう』(2017年/ふらんす堂)所収〉 

2018年5月22日火曜日

DAZZLEHAIKU23[山田佳乃]渡邉美保


  潮風に錆びゆく村や仏桑花     山田佳乃
   

 「潮風」「仏桑花(ハイビスカス)」という言葉から連想されるのは、真夏の明るい太陽を浴びた南国の海辺。
 しかし、掲句には明るさや青春性といったプラスのイメージはなく、海辺の村のさびれた光景が目に浮かぶ。
 潮気を含んだ海からの風が金属類を錆びさせるという現実もあるが、村全体が錆びてゆくという把握には、どこか寂しげで、哀しみを含んだ光と風がある。
 漁業の衰退、過疎化、高齢化の波。活気もなく、古びゆく村、老いてゆく村、まさしく「錆びゆく村」なのである。
 同句集中の〈風五月漁師は老いて浜を歩す〉もまた同じ情景が詠まれていると思う。
「潮風に錆びゆく村」は今や各地の沿岸部に見られる光景にちがいない。
 真紅の仏桑花(ハイビスカス)が村の寂しさを際立たせているし、錆びゆく村への供花のようにさえ思われてくる。岸を打つ波音も聞こえそうだ。

〈句集『波音』(2018年/ふらんす堂)所収

2018年4月28日土曜日

DAZZLEHAIKU22[白石正人]渡邉美保


ぎしぎしやひとり登れば皆登り   白石正人


本格的な登山というよりは、里山、野原や川辺を散策しているときだろうか。誰かが小高い所へ登り始めると、皆も登る。自由な散策なのだから後に続かなくてもいいのにと思うのだが、ついついつられて登る。 
誰もがしそうな、ありふれた光景だが「ぎしぎし」との取り合わせが、なんともおかしい。「ぎしぎし」の音も効果的だ。
ぎしぎし(羊蹄)は山野や道端、田畑の畔に自生する最も普通な雑草。昔からみられる草であり、現在も減る傾向にはないというから、頼もしい。都市近郊の汚れた河川のほとりや空地でもよく生育する雑草中の雑草。
しっかりと長い根を張り、丈夫な茎を持ち、堂々と生い茂っている「ぎしぎし」と「ひとり登れば皆登り」に見える人間の軽佻浮薄な一面と、どちらも好ましいのである。

〈句集『嘱』(2017年/ふらんす堂)所収〉

2018年3月21日水曜日

DAZZLEHAIKU21[長谷川耿人]渡邉美保


  カンダタの糸が降りさう杭の蜷   長谷川耿人

[或る日のことでございます。御釋迦様は極樂の蓮池のふちを、獨りでぶらぶら御歩きになつていらつしやいました。]  
こんな書き出しで始まる芥川龍之介の『蜘蛛の糸』に登場するカンダタ(犍陀多)。
地獄の底で蠢いている犍陀多を、お釈迦様は地獄から救い出してやろうとする有名なお話である。
掲句の中で、実景は「杭の蜷」だけである。春になり、川底を這い回っている蜷、杭を上る蜷…。そこから犍陀多を思い起こす作者。蜷の生態や形状に、なんとなく納得させられてしまう面白さがあると思う。
杭を上る一匹の蜷に目を凝らす。蜷の動きは遅々たるものだが、その蜷を見守る作者には、天上からカンダタに降ってきたあの蜘蛛の糸が降ってきそうだと思われる一瞬。
[遠い遠い天上から、銀色の蜘蛛の糸が、一すぢ細く光りながら、するすると自分の上へ垂れて參るのではございませんか]
蜷に銀色の糸は降ってくるのだろうか。降ってきた糸を蜷は掴めるのかということも気にかかる。

〈杭の蜷ほろほろ落つる夕日かな  松本たかし〉

ということになったかもしれない。
掲句から、犍陀多の続編、あるいは、なにか新しい物語が生まれそうな気がする。


〈句集『鳥の領域』(2017年/本阿弥書店)所収〉

※〔〕部分新潮社芥川龍之介集『蜘蛛の糸』より引用

2018年3月8日木曜日

DAZZLEHAIKU20[市川薹子]渡邉美保

 人を呼ぶ手の中にあり蕗の薹  市川薹子

まだ風の冷たい早春の野山で、思いがけなく蕗の薹を発見。その嬉しさには格別のものがある。土中からもたげる萌黄色の花茎は、ふっくらと膨らみ、手に乗せると、自然界から贈られたお雛様の風情がある。待ちかねていた春の訪れを実感させてくれる。
掲句、「人を呼ぶ」から、蕗の薹を見つけた喜びがストレートに伝わってくる。誰かに伝えることで、その喜びはさらに広がっていくようだ。
同行の友を呼ぶ作者の弾む声。一つ見つかると次々に現れる蕗の薹。一緒にしゃがんで摘んでいる明るい光景が目に浮かぶ。「蕗みそに・・」「天麩羅に・・」などの料理談義も聞こえて来そうだ。そして、蕗の薹のほろ苦い味覚の記憶が蘇る。そのほろ苦さがまた春を呼ぶ。人を呼ぶ。
「蕗の薹」という季語のゆるぎない力をしみじみ思う。

〈句集『たう』(ふらんす堂/2017年)所収〉

2018年2月19日月曜日

DAZZLEHAIKU19[岩淵喜代子]渡邉美保


 飴舐めて影の裸木影の塔      岩淵喜代子

 飴、裸木、塔からの連想で、吟行中の一齣を想像した。
 散策に疲れ近くのベンチに腰を下ろす。飴を含み、口中にひろがる甘味にほっと一息をつく。冬空のもと、葉を落とした裸の木々は、枝枝とその蔭が重なり合い、美しい模様を描いている。高く聳え立つ塔は翳りを帯びている。冷えた体から吐く息はほの白く甘い。今眺めている景色は、現実のものであっても、現実のものではないかもしれないという浮遊感。眼前の裸木も塔も、それを見ている「私」も影でしかないのではないか。さびしい季節、実らぬ時間。そして、影を見ていることの心地よさ。
 掲句の、「飴舐めて」のやわらかな動作から導かれる「影の裸木影の塔」の硬質なイメージに惹かれる。


〈句集『穀象』(ふらんす堂/2017年)所収〉