2021年6月27日日曜日

DAZZLE HAIKU 55[内田美紗]  渡邉美保

  昼寝覚この世の水をラッパ飲み     内田美紗  


 昼寝覚めには、朝の目覚めとは違う、独特の感覚がつきまとう。

  夏の暑さの中で、元気回復によいとされている昼寝であるが、二、三十分のつもりが一時間以上寝てしまい、妙にだるさが残ることがある。目覚めてしばらくはぼうっとして体が重い。汗で額に髪が貼りついていたりする。何かに追われ、必死に逃げてきたのか、或いは水中を歩いてきたのか。夢を見ていたのかもしれないが、何も覚えていないのである。


 さて掲句、「この世の水」を「ラッパ飲み」と表現されることで、昼寝覚めのただならぬ気配が迫って来る。水を飲まねばならぬのだ。「ラッパ飲み」の勢いで。(最近はあまり使われなくなった言葉だが)「ラッパ飲み」にはなりふり構わぬ必死さが感じられる。水を飲むことでようやく一息。乾いた喉を潤す水は、まさしく「この世の水」なのだ。


 「この世の水」は自分を取り戻す水であり、明日を生きる水ではないかと思う。昼寝の間、作者はいったい何処へ行っていたのだろうか。

   

  異次元をすこし出入り昼寝覚     柴崎英子

  この世よりあの世よかりし昼寝覚   鷹羽狩行

  生き返る方をえらんで昼寝覚     井上菜摘子


〈『鉄砲百合の射程距離』(2017年/月曜社)所収〉

2021年5月28日金曜日

DAZZLEHAIKU54[川嶋一美]  渡邉美保

 蛇が身を解くころあひ春の闇     川嶋一美 

 

 以前、冬眠中の蛇の巣穴を、掘り起こしたという人の話を聞いたことがある。仕事中の偶然の出来事だったそうだが、何匹もの蛇が縺れ合い、ひと固まりに丸まっていてギョッとしたという。掘り起こされた蛇たちにとってはいい迷惑だったに違いない。

  掲句、ほんのりと春の温みが感じられる夜。木々の匂い、水の匂いのこもる甘やかな春の闇である。春の闇の中で作者は、冬眠から目覚める蛇に思いをはせる。〈蛇が身を解くころあひ〉そう思う作者もまた、長い冬のトンネルを抜け出し、春の闇の中で伸びやかに身を解こうとしているのではないだろうか。

 句の中に実際の蛇は登場しないのだけれど、つい想像してみたくなる。冬眠から覚めた蛇は、いきなり穴から外へ出るわけではないのだ。冬眠中に凝り固まった身を、思い切り伸ばしたりひねったり。圧し縮めていた全身をふるふると伸ばしていくだろう。

「ころあひ」という言葉のひびきのやすらかさにも惹かれる。

〈句集『円卓』(2021年/本阿弥書店)所収〉


2021年3月25日木曜日

DAZZLEHAIKU53 [岡田耕治]  渡邉美保

 家中に草のびている朝寝かな    岡田耕治  

 「朝寝」は一年中することだけれど、春の朝の寝心地は格別。春の季語である。

 この季節、一度目が覚めてから、またとろとろと眠る時間はどうしてあんなに心地よいのだろう。目覚時計のベルを止めてほんの数分と思っていたら、数十分過ぎていてあわてて起きることしばしば…である。

 さて掲句、「家中に草が伸びているような気のする朝寝だ」ということだろうか。

 朝の光を浴びて生長する植物の旺盛な生命力、その瑞々しい空気の中で朝寝している主人公の健やかな眠り。おおどかな民話の世界のようで愉快である。

 一方、「朝寝している間に家中に草が生い茂っている」と思うと、少々怖い光景に思えてくるから不思議だ。

  家中に生い茂る草は、地面から、床を破って伸びてきたのだろうか。眠っている主人公の体に絡まったり首を絞めたりはしないのだろうか。想像がどうもホラーめく。

 一見、のどかな光景の裏に怖さが隠れているような、そんな気がする一句である。

〈句集『日脚』(2017年/邑書林)所収〉

2021年2月16日火曜日

DAZZLEHAIKU52[北川美美]  渡邉美保

 囀りの後の羽音と枝の揺れ    北川美美  
 

 庭の白梅が咲き始めると鳥たちがやって来る。チチチ、チュチュチュ…まだ冷たい朝の空気の中、鳥たちの羽音や鳴き声で目が覚める。
〈囀りと聞きとめしとき目覚めけり   林翔〉
 その声を聞きながら、しばしまどろむ。早春の朝のたのしみである。鳥の姿を見ようと、窓を開けると、その瞬間、鳥たち飛び立ってしまう。あ、残念。

 歳時記によると、囀りは繁殖期の鳥の雄の鳴き声を言い、いわゆる地鳴きとは区別して使われるとあるので、掲句の場合、高らかな鳴き声が聞こえていたのかも知れない。

 先程までの、降りそそぐような囀りはもう聞けない。飛び立つときの羽音が耳に、枝先の揺れが目に残っているばかり。
 囀りの明るさに対して、鳥たちが飛び去った後の景色を見ている作者の心の翳りのようなものが感じられる。ほんの些細なことなのだけれど、その一瞬の取り残されたような淋しさ、微かな喪失感が滲む一句である。

〈俳句新空間NO.12 (2020年実業公報社)所収〉

2021年1月14日木曜日

DAZZLEHAIKU51[谷口智行]  渡邉美保

 神ときに草をよそほふ冬の月    谷口智行  
 
 青白い冬の月が、透きとおる大気の中で輝いている。
透徹した空気のため刺すような寒さが感じらる月はさびしく、美しい。
そんな時、風や樹や山に宿る神々も、大地が恋しくなるのだろうか。そして
荒ぶる神々も、「ときに草をよそほふ」のだろう。

 道端や樹木の下、野原の草々をよそおう神は、路傍の菫ほどの小さな姿にちがいない。草の実、草紅葉、草氷柱、枯草、七草、草木成仏。草のつく字はどれもやさしい。草になじんで生きてきた遠い祖先の日々の暮らし。それを受け継ぐ私たちもまた草を身近に感じながら生きている。
掲句からは、神もまた、草に寄り添い、人々の暮らしに深く寄り添ってきているような安らぎが感じられる。冷たい冬の月に照らされた大地を覆う草々に、神の気配があたたかい。

句集のあとがきに「私たちの祖先は鳥獣、草木虫魚、などに対しても自然の恩寵と畏怖を抱き、そこに篤い信仰を見出だして来たのである」と述べられている。
いわゆる土俗の神の存在を身ほとりに感じながら生活されている作者の視座の温かさを思う。

〈句集『星糞』(2019年邑書林)所収〉

2020年11月26日木曜日

DAZZLEHAIKU50[井越芳子]  渡邉美保

 けふの日が野にゆきわたり冬の虫    井越芳子  
   
 歳時記によると、「冬の虫」の本意は「虫の声の盛んな秋と絶える冬との間の時期の鳴き声をいう」とある。

 掲句から、小春日和の一日を思う。
 小春の日差しが野にゆきわたり、地面も、触れてゆく木も草もあたたかい。
 初冬のほっとするひとときである。
 上着を脱いで草に坐れば、どこからともなく鳴く虫の声がする。盛んに鳴いていた時には思いもよらないような寂しい音色で、愛おしい。

 「けふの日」の日差しの明るさやぬくもり、虫の声のやさしさが、読者の五感を包んでくれるような気がする。
 「野にゆきわたり」からは、冬に向う季節の中で、あたたかい日の恵みを小さな虫たちと共有できたことの喜びのようなものが感じられる。

 冬の虫(残る虫)のはかなげな声が絶えると真冬になるという。

           〈句集『雪降る音』(1019年ふらんす堂)所収〉

2020年10月11日日曜日

DAZZLEHAIKU49 [高橋道子]  渡邉美保

   こは夢と思ひつつ夢曼珠沙華    高橋道子  

 
 子どもの頃、田圃の畔に咲いていた彼岸花を摘んで花束にして家に持ち帰ったことがある。母に、すぐに捨ててくるようにとひどく叱られた。母の嫌いな花だつた。その頃は曼珠沙華という名前は知らなかった。
曼珠沙華は、秋の彼岸の頃、突如として真っ赤な、蘂の長い美しい花を咲かせるが、墓地などにもよく咲くので、死人花、幽霊花などの別名もある。美しいけれど、毒々しくも、禍々しくも感じられる花である。
 「これは夢だ」と思いつつ夢をみていることは、ままある。
掲句は、その夢については何も触れていないが、季語の曼珠沙華から、夢全体が真っ赤に染まっているようなイメージが浮かぶ。これはきっと、怖い夢に違いない。
訳のわからぬ恐怖に逃げ惑い、追い詰められ、これは夢なのだと自分に言い聞かせるのだが、それもまた夢なのだというとりとめのなさ。曼珠沙華が「こは夢と思ひつつ夢」をリアルなものにしている気がする。

〈曼珠沙華に鞭うたれたり夢さむる 松本たかし〉こちらの夢は、怖いけれど、夢から覚めた後の余韻に、どこか妖艶で甘美な匂いがする。

〈句集『こなひだ』(2020年/ふらんす堂)所収〉

2020年8月28日金曜日

DAZZLEHAIKU48[仙田洋子]  渡邉美保

   揚羽蝶派手な死装束だこと    仙田洋子  


  息絶えた揚羽蝶が道端に落ちているのを見ることがある。ありふれた夏蝶の死である。翅が破れていたり、埃っぽかったりしてはいても、どこか見過ごせないものがある。大振りで未だ光を帯びた翅の質感、黒地に鮮やかな黄や青の色彩。骸となってもよく目立つ。確かに派手である。
  「派手な死装束だこと」のつぶやきがそのまま一句になっている。そのつぶやきの背後にある作者の感慨を思う。
 真夏の暑さの中を狂おしく飛び回った果ての揚羽蝶の死には、外見の派手さとはうらはらに、寂しさや、痛々しさが感じられる。そして、同句集中の〈夏蝶もみな孤独死ではないか 仙田洋子〉の句がそのまま諾える。
   
   八月の石にすがりて
   さち多き蝶ぞ、いま、息たゆる。
   わが運命(さだめ)を知りしのち、
   たれかよくこの烈しき
   夏の陽光のなかに生きむ。
    ・・・・・    

  伊東静雄「八月の石にすがりて」より


   〈『はばたき』(2019年/角川文化振興財団所収〉 

2020年8月7日金曜日

DAZZLEHAIKU47[おおさわほてる]  渡邉美保

    机拭く隅から隅まで夏野まで    おおさわほてる


 乱雑に積み上げられた本やノートで、いつのまにか狭くなった机上をきちんと片づけた時の爽快感は格別だ。不用のものを取り除くと机は広々と
して、自分自身のスペースを取り戻した気分になる。本、ノート、紙類を置きっぱなしにしていた机は、意外なほど埃に塗れている。
 机を拭く。隅から隅まで。机を拭く私は、たちまち夏野へ飛ぶ。今、私を取りまく世界は夏野になっている。
 
真っ青な空。白い雲。太陽が降りそそぎ、一面に生い茂った夏草が風にそよいでいる。作者は、どんな夏野に立っているのだろう。作者の胸に去来するものを想像させてくれる。掲句に付されたエッセーに、
記憶は突然よみがえる。そして美しい。
今日は窓を大きく開けて、
  夏の風を迎えよう。           
とある。記憶の中の夏野のはなやぎと寂寥。机を拭く行為から夏野への飛躍が清々しい。

〈 頭の中で白い夏野になってゐる 高屋窓秋 〉の有名な句を体現しているかのようだ。


〈俳句とエッセー『気配』(2020年/創風社出版)所収〉

2020年7月9日木曜日

DAZZLEHAIKU46[仙田洋子]  渡邉美保

 死にくらげけらくけらくと漂へり  仙田洋子  


 クラゲが波間をゆらゆら漂っている。多くのクラゲは自力で泳いでいるのだけれど、なかには、すでに死んでいて、ただ、身体だけがゆらゆら浮いていることもあるだろう。波間を漂う姿には、のんきそうに見える時もあり、寄辺ない寂しさを感じるときもある。
 クラゲの寿命は、種類によって違うそうだが、日本近海に最も多く見られるミズクラゲは寿命が一年前後あるというから、意外と長寿。

 掲句の「死にくらげ」という表現にドキリとするが、死んでなお「けらくけらく」と漂うくらげは、なんだか幸せそうにも思える。
「くら・けら・けら」のK音とR音の繰り返しが一句にリズムを生み、あっけらかんと明るい。なにしろ、けらくけらくなのだ。
「けらく」は、仏教でいう「快楽(けらく)」のことかと思う。人が普通に考える快楽(かいらく)とは意味が違い、いわば普通の快楽を捨てることによって得られる快感という意味だという。
くらげの死を哀れんだり、儚く思ったりするのではなく、生も死もひっくるめて自然界のあるがままを受け入れる。ここに作者の生き物たちへのおおらかな眼差しを感じる。 
〈『はばたき』(2019年/角川文化振興財団所収〉