灯を点けて顔驚きぬ秋の暮 「近所」
「秋の暮」は、この場合、晩秋というだけでなく、秋の夕暮れの意も含む。薄暗くなった部屋に灯したのである。そして驚いた顔を見たのだ。顔が驚いたのは、いきなり明るくなったからであろうが、相手を誰かと言わず、人とさえ言わずして、顔と言った、その表現に、実は驚いたのは作者でもある、という意が含まれる。顔は、果たして人であろうか。掲句では、顔だけがぬっと浮かび上がったような印象を与える。その浮かび上がった一瞬、作者にはそれが人で、誰かの顔であるという認識より先に、ただ顔なるものだけが室内に浮かび上がった認識があったのである。一寸、岡本綺堂の怪談の雰囲気に通じる処もある。加藤楸邨の「蚊帳出づる地獄の顔に秋の風」も思い出させる。平成八年作。