舞踏して投げてドリアン道の果 安井浩司
南国フルーツというものにはあまり縁が無いが、ドリアンと言われれば姿が浮かぶ。あの、こどもの頭ぐらいの大きさの、数キロもある、トゲトゲの外皮に覆われた、割るとたいへんな芳香がするというものでしょう。
掲句ではそんなドリアンをほとんど果物扱いせず、舞踏して道の果てまで至るぐらいに放り投げている。なにかあやしい呪術の儀式でも行っているかのようだ。
初句からの迷いのない感じ(舞踏して投げて、とたたみかけること)により、もっと言えば突き抜けた行動力?を感じさせられて、あやうく笑ってしまいそうになる。
そうまでされてもドリアンはきっとさした外傷も負わず無傷であろう、と予測して、心は数行前にたちかえる。これが人の頭だったら…。
ドリアンの転がる道の辺。人頭の転がる道の辺。なんだろう、大差なく思えてくるのは、何故だろう。
同じ作者に「ドリアンは飛びくる頭で受けるもの」という句もある。作者にとって、兎に角ドリアンは「割って食べるもの」ではないらしい。
〈『四大にあらず』1998年沖積舎所収〉