2014年12月16日火曜日

人外句境 3 [西原天気] 佐藤りえ


ロボットが電池を背負ふ夕月夜   西原天気

Panasonicが発売している乾電池に「エボルタ」という商品がある。ギネス世界記録を持つ「世界一長もちする単3形アルカリ乾電池」で、性能を実証する実験「EVOLTAチャレンジ」というのを毎年行っていて、2010年は充電式電池で東海道五十三次を走破、今年は単1形乾電池99本で1トンの鉄道車両を8.5km有人走行させた。電車の場合は乾電池をセットして走行するのはもちろんだが、東海道を走ったり、グランドキャニオンを登ったり(これは2008年のチャレンジ)するのは「エボルタくん」という小さなロボットである。

掲句を読んでぱっと頭に浮かんだのはエボルタくんの勇姿だった。


上五中七の手短な、手際のよい描写がよいのだと思う。ロボットは生まれた瞬間から、必ず己の動力源を背負わされているものだ。でないと動けないから。その事実が「夕月夜」とあわさった時、何故か私の涙腺はせつなく刺激される。ロボットになりかわりして胸を痛めているわけではない。むしろ「ロボットがロボットでしかない」ことにせつなくなってしまうのだ。電池を背負ふ、はあまりにも端的に、まぎれもなくロボットの本質を言い当てている。

現世において、ロボットは人間の役に立つために存在している。人間の得になるために作られている。その傲慢さを忘れて手放しでエボルタくんを褒め称えるようなことは居心地が悪くて仕方がない。

人間らしさを高めたロボットの開発などしなくていいから、ロボットの幸福のためになるロボットを作る研究をしてくれよ、と私は思うが、きっとそんな時代はなかなか来ないだろう。ぜんぜん来ないかもしれない。

電池を背負ったまま、ロボットの今日はまた暮れてゆく。

〈「はがきハイク」第10号2014所収〉