いちご食ふ天使も耳を食ふ悪魔も 石原吉郎
作者は詩人の石原吉郎(1915 – 1977)。
最後の「も」がどこに掛かるのか、と考えつつ、上五に戻り、ぐるぐると循環する。俳句という一行詩ならではのこのマジックである。本人の自句自解では、「悪魔ガ食フ耳トハイカナル耳ナリヤ」ということが記されているが、上五に戻るという読み方は俳句的読み方なのだろうか。
天使・悪魔・☆☆という三者と、いちご・耳・○○ という三つの食べる対象があり、<天使―耳>というペアは崩せないが、☆☆、○○に好きなものを当てはめ、あとは好きに組み合わせてよく、それをシャッフルしてよいというルールで読みたい。
そしてみな食べている。
この句集の巻末に石原吉郎の<定型についての覚書>が記されている。
「誤解を避けずにいうなら、俳句は結局は「かたわな」舌足らずの詩である。(中略)かたわであるままで、間髪を容れずもっとも完全であろうと決意するとき、作句はこの世界のもっとも情熱的ないとなみの一つとなる、「自由」な現代詩は、このようなパラドキシカルな苦悩と情熱を知りもしないだろう。」
三詩型を交え、「詩学」についての論考が盛んに行われていた時代である。
昭和50年前後…40年前の頃である。
<『石原吉郎句集』深夜叢書1974>