こつとんと月見の舟のすれちがふ 杉山久子
「こつとん」のかそけき音のみが聞こえる。そのあとおとずれる何とも言えぬ静寂な空気。ここは一体どこなのか。
すれ違う月見の舟には誰が乗っているのだろうか。
「月見の舟」という言葉から、中秋の名月か、あるいはその前後。都塵を離れた静かな湖か川を思い浮かべる。
月が天高く煌々と輝いているだろう。
月から押し寄せる金波、銀波。月光の波の揺らぎに合わせるように舟はかすかに揺れているだろう。
月光の藻をくぐりきし櫂ひらり 杉山久子
水中まで差し込む月光は藻を照らし、水をくぐりきた櫂はひらりと月の雫をこぼす。ここにあるのも静寂のみ。寂寥という言葉が浮かぶ。
舟に揺られ、月の波を浴びている、何か不思議な世界を思わずにはいられない。この世とあの世の間にある世界。作者は地上より少し浮いた場所にいるのではないだろうか。
「こつとん」は現実の隙間から異世界への入口が開く合図だったのかもしれないと思う。
〈句集『栞』(2023年/朔出版)所収〉