カンダタの糸が降りさう杭の蜷 長谷川耿人
[或る日のことでございます。御釋迦様は極樂の蓮池のふちを、獨りでぶらぶら御歩きになつていらつしやいました。]こんな書き出しで始まる芥川龍之介の『蜘蛛の糸』に登場するカンダタ(犍陀多)。
地獄の底で蠢いている犍陀多を、お釈迦様は地獄から救い出してやろうとする有名なお話である。
掲句の中で、実景は「杭の蜷」だけである。春になり、川底を這い回っている蜷、杭を上る蜷…。そこから犍陀多を思い起こす作者。蜷の生態や形状に、なんとなく納得させられてしまう面白さがあると思う。
杭を上る一匹の蜷に目を凝らす。蜷の動きは遅々たるものだが、その蜷を見守る作者には、天上からカンダタに降ってきたあの蜘蛛の糸が降ってきそうだと思われる一瞬。
[遠い遠い天上から、銀色の蜘蛛の糸が、一すぢ細く光りながら、するすると自分の上へ垂れて參るのではございませんか]
蜷に銀色の糸は降ってくるのだろうか。降ってきた糸を蜷は掴めるのかということも気にかかる。
〈杭の蜷ほろほろ落つる夕日かな 松本たかし〉
ということになったかもしれない。
掲句から、犍陀多の続編、あるいは、なにか新しい物語が生まれそうな気がする。
〈句集『鳥の領域』(2017年/本阿弥書店)所収〉
※〔〕部分新潮社芥川龍之介集『蜘蛛の糸』より引用