古い木造家屋の片隅で、壁に打ち付けられた一本の釘を思う。それ自体が無機質な、硬く細く冷たい釘であるが、長い年月の間に錆を纏う。錆を纏いつつ、冬の冷たい空気の中で、今、確固たる存在感を示している一本の釘。それを美しいと感じる作者がいる。その釘の美しさは、とりもなおさず、その錆の美しさなのだ。
「身から出た錆」は、自分の犯した悪行の結果として自分自身が苦しむこと、自業自得などの意味で、たいていは否定的に用いられる慣用句である。しかし、その慣用を裏切り、作者が〈身から出た錆も美し〉と言い切ったとき、この言葉は、新鮮な詩語として息づく。引き締まった堅固な響きが快い。
混沌としたこの世界で、釘は釘であり続ける。身から出た錆が美しいという断定的な表現と、厳しい冬の出会いが、掲句の美しさを際立たせているのではないだろうか。
そして、私たちは自分自身の「身から出た錆」についても考えさせられる。
〈句集『月下樹』(2013年/友月書房)所収〉