なにげないものに夏の気配を感じる一瞬がある。作者の眼に映ったのは亀の子束子専門店。
亀の子束子という地味で武骨な、昔ながらの台所用品を扱う専門店があり、夏めいている。そんな視点に惹かれる。
明るく瀟洒な店内に、並べられているであろう大小さまざまの亀の子束子を想像する。毛先のきっちり揃った真っ新の亀の子束子たちが、初夏の光の中で輝いているにちがいない。棕櫚やパーム椰子の繊維という天然素材の持つ清々しさ、素朴な色合い、その亀の子に似た楕円の形。涼やかさはまさしく夏の匂いを放っているだろう。勢いよく水を流し、思いっきりごしごしと束子で丸洗いする爽快感を思う。
亀の子束子のオレンジ色のパッケージには「…明治40年の発明から百年来その姿は変わらない手作りによる高品質のたわし」と謳う。明治時代から使い続けられている、誇り高い亀の子束子の夏が来る。
〈『入口のやうに出口のやうに』(2019年/ふらんす堂)所収〉