潮風に錆びゆく村や仏桑花 山田佳乃
「潮風」「仏桑花(ハイビスカス)」という言葉から連想されるのは、真夏の明るい太陽を浴びた南国の海辺。
しかし、掲句には明るさや青春性といったプラスのイメージはなく、海辺の村のさびれた光景が目に浮かぶ。
潮気を含んだ海からの風が金属類を錆びさせるという現実もあるが、村全体が錆びてゆくという把握には、どこか寂しげで、哀しみを含んだ光と風がある。
漁業の衰退、過疎化、高齢化の波。活気もなく、古びゆく村、老いてゆく村、まさしく「錆びゆく村」なのである。
同句集中の〈風五月漁師は老いて浜を歩す〉もまた同じ情景が詠まれていると思う。
「潮風に錆びゆく村」は今や各地の沿岸部に見られる光景にちがいない。
真紅の仏桑花(ハイビスカス)が村の寂しさを際立たせているし、錆びゆく村への供花のようにさえ思われてくる。岸を打つ波音も聞こえそうだ。
〈句集『波音』(2018年/ふらんす堂)所収