もう人にもどれぬ春の葱畑 嵯峨根鈴子
葱畑で主人公は何になっていたのだろう。どうして人に戻れなくなったのだろう。葱畑で、主人公に何があったのか。
つぎつぎと疑問が膨らむ。
春の葱畑。そこは駘蕩として、葱も長けていることだろう。畑土と葱の混じり合う匂いがする。葱の一種独特の匂いは、どこか官能的でさえある。その中で、人ではない何者かに変身した主人公の姿を想像する。
「もう人にもどれぬ」というのっぴきならぬ情況。
「ああ、どうしよう」という困惑や後悔。しかしそこには、「もう人に戻りたくない」(戻れなくてもいい)という願望も含まれていそうな気がする。
春の葱畑には、誰も覗くことの出来ない深い愉楽の世界が潜んでいるに違いない。
葱畑に行ったきり帰ってこなくなった人が、どこかにいたのではないかと、ふと思う。
〈句集『ラストシーン』(2016年/邑書林)所収〉