戸袋の鳥の巣壊したる夕べ 市川薹子
近所に、いつも二階の雨戸が閉まっている家がある。その庭には大きな柿の木があり、小鳥たちの格好のたまり場になっている。
二階のベランダから、その木に来る小鳥を見るのが、楽しみでもある。春の終わり頃、雨戸の辺りがことに騒がしくなる。その開かずの雨戸の戸袋に椋鳥が巣を作っているのだ。仲間の椋鳥も大勢やってきて騒ぐ。
親鳥と思われる二羽が、ひっきりなしに餌を運んでいる。親鳥が戸袋の隙間に身を入れるやいなや、雛鳥たちの一斉に囃し立てるような鳴き声がきこえる。親鳥が出ていくとたちまちシーンとなる。しばらくすると、別の一羽が戸袋に入り、再びピチュピチュざわざわ。その繰り返しが続く。親はたいへんである。
親鳥二羽のうち、一羽は慎重派で、餌を運んできてもすぐに巣に入らないで、一旦、近くの屋根や庇に着地、周りを見回して安全確認後、巣に入る。しかし別の一羽は、何の用心もせず、さっと来てすっと巣に入る。慎重派と大胆派、どちらが母鳥なのか、興味深い。
掲句、戸袋の鳥の巣を壊したという、ただそれだけが述べられている。しかし、その言葉には、作者の忸怩たる思いが滲んでいるように思う。これから命を育もうとする鳥の営為を阻むことは決して作者の本意ではない。できればそういうことはしたくないのだ。しかし、日常的に使用する戸袋であれば、鳥の巣を看過することはできない。悲しい「夕べ」が暮れていく。
〈句集『たう』(2017年/ふらんす堂)所収〉