黄落や牛の尻追ふ牛の鼻 鈴木牛後
木々は黄葉し、地にも黄の落葉、真青な空を背景に黄葉の落葉が宙を舞う黄落期。秋の終りの黄の光にみちた空間には哀切さが漂う。
降りそそぐ黄色い光の中に放牧の牛のシルエットが浮かぶ…、そんな牧歌的な景を思い描こうとするとき、〈牛の尻〉〈牛の鼻〉という生き物の器官が生々しくクローズアップされ、一瞬たじろいてしまう。
「牛の尻追ふ牛の鼻」は、生殖行動の一環なのか、牛同士のコミュニケーションの手段なのか、よくわからないが、黄落もまた生命の現場なのだと思わされる。
牛の尻に鼻先を近づける牛、その後にまた牛が鼻を寄せ、さらにその牛の尻を追う牛の鼻。そんな光景を想像するとちょっとユーモラス。それは生命の連環であり、高揚ではないだろうか。
黄落がはじまると、いよいよ寒くなってくるという。
〈句集『にれかめる』(2019年/KADOKAWA)所収〉