2017年9月16日土曜日

超不思議な短詩220[攝津幸彦]/柳本々々


  三島忌の帽子の中のうどんかな  攝津幸彦

前回、『MOTHER』と俳句をめぐる話だったのだが、『MOTHER』というゲームは最終的に〈赤ん坊(のときの記憶〉と出会うゲームであり、その意味で、大人の分節をどんどんなくして、どろどろの世界に還っていくゲームでもあった(例えば『MOTHER2』のラスボスはもはや輪郭をなしていない。苦悶の表情のような、胎児の姿のような、連続し、流動する背景そのものが、ラスボスだった)。

だから『MOTHER』は、みずからが〈母親〉になりながら、意味や分節や価値観がわたしとあなたが生まれる前の未生の世界へ、赤ちゃんの世界を探求する、遡行・退行・去勢の物語と言うこともできるかもしれない。

そこでちょっと意外なのだが、この『MOTHER』的世界に俳句からアクセスしていたのだが、攝津幸彦だったのではないかと、おもう(ゲーム『MOTHER』と攝津幸彦を組み合わせると異色すぎて怒るひともいるかもしれないが、しかし、ゲーム『MOTHER』では豊富な映画史的記憶の引用がなされており、映画を一年で300本以上観ていたという映画史的記憶と共にあった攝津幸彦と共通点がないわけではない)。

攝津幸彦の俳句に出会ったとき、まず抱くのは、不可解さ、ではないかと思うのだが、しかしそれは『MOTHER』で主人公たちが最終的に赤ちゃん化してゆくラスボスに出会ったような、どこか不可解でありながらもわかってしまうかんじ、身体の奥のほうでじぶんがいつか歩いてきた道、にも通じているのではないか。攝津幸彦は句集『鳥屋』のあとがきでこんなふうに書いている。

  どうやらぼくの意識下には、幼時すでに表現されてしまっている確固とした世界があり、その世界が、ある時、記憶の光を通じて外部の風景に触発されるや、自然とそこに一句が成立してしまうのだと、しばしば思ってみることがある。
  幼時の表現世界は、きまってフリーキーでしかも暴力的であり美しい全うな世界に対していつも挑発的であるのだが、時折、俳句形式に遭遇することにより、別の世界の貌をして小さな安息を求めているのかも知れない。
 (攝津幸彦『俳句幻景』)

なんだかとても奇妙な話なのだが、『MOTHER』のゲーム世界を攝津幸彦に解説されているような気になってくる(ちなみにこの「あとがき」が書かれた句集『鳥屋』は1986``年に刊行されており、1989年発売の『MOTHER』とほぼ同じ時期にある)。

この攝津幸彦にとっての「幼時の表現世界」というのは、言ってみれば、〈未分節性〉へ立ち返るということではないのかと思う。大人の分節をこわせば、当然そこには、暴力性や挑発性、フリーキー、不可解さがあらわれてくる。

たとえば掲句の「帽子の中のうどん」だが、「帽子の中のうどん」を率直にいえば、〈取り返しがつかない〉ということだ。もし帽子の中にうどんを入れたら、帽子とうどんの分節は消え、分離しがたくなってくる。帽子は帽子の機能をやめ、うどんはうどんの機能をやめ、帽子うどんのような奇怪な意味分節があらわれてくる(いちごとうふ)。

これは攝津幸彦の有名な句、

  階段を濡らして昼が来てゐたり  攝津幸彦

にも通底しているように思う。階段が濡れて、階段と液体の分節がこわれるとき、そこに〈意味の昼〉がやってくる。それはどこかやはり不快でありながら、未分節が新しい分節をもたらす予感もある。

  口腔にわだかまりけり森の端  攝津幸彦

  浄土これ畳のへりにとろゝ汁  〃

口のなかにわだかまる「森の端」はやはり不快感がある。食べ物ではなく、それが「森」なのだから、根本的にこの口のなかの不快感は消えないのではないかというおそれもある(神話的不快感というか)。

畳のへりにとろゝ汁とやはり〈取り返しのつかない不快〉が描かれる(吉田戦車が描きそうな不快でもある。吉田戦車でも、言語や意味の未分節を探究することをギャグマンガとして昇華していた。ちなみに吉田戦車『伝染るんです。』は1989年からの連載。攝津幸彦、『MOTHER』、吉田戦車は同時期にいる)。

こうした未分節の風景を、不快感とともに、俳句にあらわすことが攝津幸彦の俳句にあるんじゃないかと思う。

  そう言えば、ぼくの句にたち現れる、人や毛物や花は、いずれも現実の地上にあるとするより、その身のいずこかに奇形を抱え込んだまま、遠い宙空を漂っているとした方がいっそう似つかわしいのではあるまいか。
  この遙かにしてなつかしい表現世界は、その奇形ゆえ久しく脳球の奥にとどまり、他者の理解をあらかじめ拒絶する在り方をしているのだが、ぼくにとっては逆にいつも新鮮で親しいものとして存在しているのだった。
  (攝津幸彦、同上)

他者を拒絶するものでありながら・いつも新鮮で親しいものとしてあらわれてくるもの。『MOTHER2』のラスボスであるギーグは、戦闘中、どんどん「奇形」になり「宙空を漂」いながら、こんなセリフを洩らしている。

  …カエレ…チガウ…チガウ…チガウ
  アーアーアー
  ……ウレシイ…
  …カナシイ…ネスサン。
  ……トモダチ…
   (『MOTHER2』)

  オギャーとは何の音ぞよ芋嵐  攝津幸彦

        (『俳句幻景』南風の会・1999年 所収)