2017年8月19日土曜日

続フシギな短詩163[徳田ひろ子]/柳本々々


  人と書く時に震えてしまう足  徳田ひろ子

ひろ子さんにとって、〈人〉とは、なんだろうか。ひろ子さんの句集『青』にはこんな句もある。

  バスタオル人という字は好きですか  徳田ひろ子

「人」という字が好きかどうかの問いかけ。「バスタオル」という広さをもった平面にいったん包容されそうになった間際、すぐに句は突き放したように問いかける。「人という字は好きですか」

掲句は、その〈答え〉のようだ。「人と書く時に震えてしまう足」。人という文字に接したときの足の震え。語り手が、人という字を好きなのか嫌いなのかはわからない。でも。語り手が人という字を決定的ななにかとしてとらえていることは、わかる。

でも、どうして「人」ではなく、「人という字」なんだろう。人が、人そのものではなく、書く行為をめぐって問いかけられているのだ。

  放置自転車野口五郎と書いてある  徳田ひろ子

人という字ではないけれど、「野口五郎」と人の名前が書かれた「放置自転車」。タレントの野口五郎の自転車ではおそらくないだろう。別の野口五郎だろう。しかしそれは「放置」され、置き去りにされた。「放置自転車」とともに「野口五郎」という人の名前もそこに放置されたこと。語り手はそこになにかを見いだしている。放置された野口五郎。野口五郎からのみんなへの問いかけ。

野口五郎は「人」に似たメタファーかもしれないが、「人(ひと)」という音律を介してメトミニカルに横にずれながら「ヒ・ト」はさまざまな音を連れてくる。「ひとり」や「と」を。

  私がひとり私がふたり夜のバス  徳田ひろ子

  私こういう者ですと宙返り  〃

  幸せって少しカレーの匂いすると  〃

人(ひと)という文字が震えるほどに大きいのは、それを文字でとらえた場合、「ひとり」や「と」への繁殖可能性をも持つからではないか。でもそれは〈閉(と)〉じないことの可能性でもある。元気ですか。〈問(と)〉いつづけることへの、可能性でもある。

  屁糞葛がまだ咲いている「元気ですか!」  徳田ひろ子


          (「青兎」『青』川柳宮城野社・2016年 所収)