2017年8月16日水曜日

続フシギな短詩158[いなだ豆乃助]/柳本々々


  鳴門には縁もゆかりもない@  いなだ豆乃助

こないだ恵比寿で小池正博さんが主催する東京句会があって傘をさして行った。まわすと渦みたいになるカラフルな傘でなくさないように気をつけていたのだが、その日、あっというまにきえた。どこにいったんだろうか。都内のどこかにはあるとおもう。

その句会では、題で「渦」が出ていたのだが、そこにいなださんの掲句が出ていた。よく短詩のなかで記号をどうやって成立させられるのかということについて考えているのだが、この句は「@」という記号が川柳のなかで成立しているように思った。

なんでだろう。

まずひとつはこの句が《なにもいってない》ことに注目してみたい。

「鳴門には縁もゆかりもない@」ということは、「(鳴門には縁もゆかりもない)@」ということで、ようするに、「@」としか言っていないのだ。この句は実は「@」だけの句なのである。@という記号を使いながらも、その記号に重点的な関心をしめさず、否定語法で「@」を語ったこと。ここらへんにこの句で記号が成立している理由がひとつあるような気がする。

もうひとつ。まったく上と逆のことを述べるが、この句が嘘をついている可能性もあるということだ。「鳴門には縁もゆかりもない@」と句は述べているが、関連づけようと思えば、@は縁やゆかりがありそうな気もする。@(アットマーク)=「at」という原義を思い起こせば「鳴門」という地名と結びつくかもしれないし、鳴門海峡の渦潮と@の形状は縁があるかもしれない。つまりこの句は、《なんにもいってない》ように形式的にはみせながらも、実はすごく《なにかをいっている》場合もあり、それは題の「渦(うず)」のように立て込んでいる。

語り手は、ほんとうに縁もゆかりもないと思っているかもしれないが(ベタのレベル)、違うレベルでは、ほんとうは縁もゆかりもあるのに、嘘を述べている可能性もある(メタのレベル)。言説として、渦のように、たてこんでいる。

そうしたときに、それらを媒介し束ねるポイントとしての@はとても効果的なように思う。これが漢字やひらがなだと弱いのではないか。@はめまいのようななにかがある。

この@は、この川柳のなかだけの指示記号として、どうしても必要になる。だからこの@は、この詩のなかで成立した。

ちなみに私はこの日句会を途中で小津夜景さんの授賞式に出席するために抜けさせてもらったのだが、そこに向かうときに逆方向の電車に乗り間違えて、途中で気づき、慌て、頭や目がうずのように、眼や脳やメンタルが@のような感じになっていき、そのとき傘もストリームのなかに呑み込まれていったのかもしれないが、その夜景さんの俳句にはこんな記号の句がある。

  仁★義★礼★智★信★厳★勇★怪鳥音  小津夜景