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2021年3月25日木曜日

DAZZLEHAIKU53 [岡田耕治]  渡邉美保

 家中に草のびている朝寝かな    岡田耕治  

 「朝寝」は一年中することだけれど、春の朝の寝心地は格別。春の季語である。

 この季節、一度目が覚めてから、またとろとろと眠る時間はどうしてあんなに心地よいのだろう。目覚時計のベルを止めてほんの数分と思っていたら、数十分過ぎていてあわてて起きることしばしば…である。

 さて掲句、「家中に草が伸びているような気のする朝寝だ」ということだろうか。

 朝の光を浴びて生長する植物の旺盛な生命力、その瑞々しい空気の中で朝寝している主人公の健やかな眠り。おおどかな民話の世界のようで愉快である。

 一方、「朝寝している間に家中に草が生い茂っている」と思うと、少々怖い光景に思えてくるから不思議だ。

  家中に生い茂る草は、地面から、床を破って伸びてきたのだろうか。眠っている主人公の体に絡まったり首を絞めたりはしないのだろうか。想像がどうもホラーめく。

 一見、のどかな光景の裏に怖さが隠れているような、そんな気がする一句である。

〈句集『日脚』(2017年/邑書林)所収〉

2017年5月24日水曜日

DAZZLE HAIKU 2 [岡田耕治]渡邉美保



帰らない人たちと居て春の山  岡田耕治


「春の山」というとき、まず明るい日差しや、芽吹く木々、鳥の囀りなどを思い浮かべる。反面、「春の山」という広い空間には、明るい日差しとは別の深い闇も内包されていて、どこか不思議な空気が漂う。

 その春の山に、「帰らない人たち」といる作者。自分の心の中にはいつもいるけれど、もういない人たち。自分の人生に深く関わった大切な人である。いま確かにここに一緒にいる、と実感できる瞬間。「帰らない人たち」の存在感がクローズアップされる。それが春の山の持つ力であり、「居て」という言葉の力ではないだろうか。

この句のシンプルな力強さに惹かれる。

 年齢を重ねていくにつれて、人は「帰らない人」を増やしていく。その感懐の深さが、春の山に呼応しているような気がする。


<句集『日脚』邑書林2017年所収>