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2026年9月6日日曜日

DAZZLEHAIKU90[福田鬼晶]  渡邉美保

  夏痩せて腹話術師に抱かるる    福田鬼晶


 腹話術とは、一人で人形を遣いながら、唇・歯を動かさずに声を出し、あたかもその人形が話しているかのように見せかける術である。

  掲句を文字通りに受け取ると、夏痩せした人(あるいは子ども)が腹話術を生業としている人に抱かれているーただそれだけのことかもしれないのだけれど、それだけではすまない、不穏な雰囲気に包まれているような気がしてならない。

 夏痩せした子が腹話術師に抱かれ、膝に乗せられたとたん、その子は声も臓器もなくなり、腹話術師に操られる人形になってしまう。なぜか、そんなホラーがかった妄想が湧いてくる。不思議な、怖い俳句だと思う。


句集『クマムシ』より

鳥葬を頼まれてをり油照り   福田鬼晶

鱗粉の指のこされし春の昼

吊虻の虚空の昼を騒つかす

闇吐いてをりし狐の剃刀は

クマムシを飼うゆめ春の曙に

〈句集『クマムシ』(2026年/ふらんす堂)所収)〉

2019年4月9日火曜日

DAZZLEHAIKU33[福田鬼晶] 渡邉美保



  放哉忌うみ凪げば凪ぐ寂しさも    福田鬼晶     

 尾崎放哉は、大正十五年(1926年)四月七日小豆島の庵で息を引取った。享年四十二歳。
 四月初旬の頃の天候は、不安定である。
 風が吹き、海が荒れている日もあれば、陽光が降りそそぐ、穏やかな日もある。
 掲句、作者が今見ている海は、穏やかに凪いでいる。
 凪いだ海を見ていると、心もおだやかになるがその反面、凪いでいることが寂しく思えてくるという。
 その寂しさに、作者の放哉への思いの深さが感じられる。

 また、海が「うみ」と平仮名表記されることによって、「うみ」は眼前の海であると同時に、かつて晦冥の世界であり死者の国でもあったという「うみ」も想起される。
 凪いだ海を見ている寂しさは、放哉にもあるのではないか。
 作者が思う放哉も「うみ」の凪を見ながら寂しさを募らせているのではないのだろうか。と思われてくる一句だ。

〈句集『リュウグウノツカイ』(2018年/ふらんす堂)所収〉