-BLOG俳句新空間‐編集による日替詩歌鑑賞
今までの執筆者:竹岡一郎・仮屋賢一・青山茂根・黒岩徳将・今泉礼奈・佐藤りえ・北川美美・依光陽子・大塚凱・宮﨑莉々香・柳本々々・渡邉美保
2017年9月21日木曜日
超不思議な短詩227[レイモンド・カーヴァー]/柳本々々
夫婦はパン屋に押しかける。そして彼らは互いの苦しみを夜があけるまで語り合う。そして、彼らは《ある種の》救済へと到達するのだ。 村上春樹
村上春樹はレイモンド・カーヴァーの短編「ささやかだけれど、役にたつこと」についてこんな解説を書いている。
夫婦はパン屋に押しかける。そして彼らは互いの苦しみを夜があけるまで語り合う。そして、彼らは《ある種の》救済へと到達するのだ。……すべては失われ、損なわれてしまっている。子供は死んでいる。ケーキは腐っている。夫婦はうちのめされている。パン屋の人生は破綻している。救済はどこにもない。でもそれはいうなれば救済があるはずの空白なのだ。そこでは救済は「救済の不在」という空白の形をとって姿を表す。つまり不在というかたちをとった存在である。そう、そこには《救済があってもよかったのだ》。
(村上春樹「レイモンド・カーヴァーの早すぎた死」『ささやかだけれど、役にたつこと』)
真夜中、夫婦は、事故で死んだ子どもの腹いせをするかのようにパン屋に押しかける。でも、夫婦は《ほんとうに思いがけなく》その場で・そのとき、パン屋とパンを通して、非言語的に和解する。なんて言ったらいいか誰にもわからないような啓示的な瞬間が訪れる(「大聖堂」や「ぼくが電話をかけている場所」や「ダンスしないか?」なども同じ構造をとっている)。
以前に、カーヴァーと鴇田さんとの親近感のようなものを書いたのだけれど、わたしが気になっている句にこんな句がある。
うすぐらいバスは鯨を食べにゆく 鴇田智哉
(『凧と円柱』)
最近、この句について考えていたときに、ふっとまた思い出したのが、カーヴァーの「ささやかだけれど、役に立つこと」だった。いったい、なにが、親近しているのだろう。
トークのときに鴇田さんが話されていたのを聞いたのだが、たしかこの鯨の句は、〈吟行句〉だったと思う。たしかに、バスってうすぐらいときがあるし、バスに乗って鯨を食べにゆくような経験をすることがひとにはあるとおもう。〈そのまま〉読もうと思えば、〈そのまま〉読める句である。
カーヴァーの短編も同じで、なにかが起こっているのだが、しかしなにか超常現象のようなことが起こるわけではない。SF的なことが起こるわけでもない。ただパン屋はあたたかいパンを真夜中にこどもを亡くし怒っている夫婦に提供しただけで、怒り心頭の夫婦はそのあたたかい糖蜜たっぷりのパンをもくもく食べただけだ。
だから、なにも起こっていないのだが、なにかが起こっているようにも思える。
なんでか、あえて、かんがえてみたい。
たとえば、カーヴァーの小説でいえば、パン屋は〈世界の果て〉と等価になっている。そこは、ふつうのひといとってはただのパン屋だが、夫婦はパン屋にとっては世界のぎりぎりの果てである。だからこの世界の果てで命を養うということが神秘的な意味をもつことになる。まるで世界がむしゃむしゃパンを食べ、世界自体が栄養補給し回復の途上にあるような感覚になるのだ。それが、啓示として感じられるのではないか。パン屋という部分で世界という全体をあらわすこと。それを提喩的、といってもいいかもしれない(提喩とは、皿が食べ物をあらわすといった、部分が全体をあらわすたとえ)。
鴇田さんの句をみてみよう。「うすぐらいバス(に乗ってわれわれ)は鯨(料理)を食べにゆく」という意味なのだが、定型で省略されることによって、「うすぐらいバス」自体が生命をもちあたかも「鯨」をまるごと食べにゆくようなダイナミックな構図になる。その「うすぐらいバス」は、カーヴァーのパン屋のような世界の縮図になっている。「うすぐらいバス」というバスが〈自然〉に還ってゆくようなミニマルな世界が、みずからのエネルギーを補給するかのように鯨をくらいにゆく。
そのまま読めばそのままなんだけれど、そのまま読むと省略された世界の縮図のようなものに関わってしまい、自分でも意識しないかたちで〈啓示〉にふれてしまうこと。そのようなことが、鴇田さんの句にもあるのではないだろうか。
世界の終わりの風景のなかの箱船としてのバス・その世界と等価としての〈聖書物語〉的な鯨・食べる、という根源的行為。でも、そのまま読めば、そこには、なんにもない風景。なんにもないけれど、すべてがあること。
彼は二人がそれぞれに大皿からひとつずつパンを取って口に運ぶのを待った。「何かを食べるって、いいことなんです」と彼は二人を見ながら言った。「もっと沢山あります。いっぱい食べて下さい。世界中のロールパンを集めたくらい、ここにはいっぱいあるんです」
(レイモンド・カーヴァー『ささやかだけれど、役にたつこと』)
ここは何処だらうか海苔が干してある 鴇田智哉
(「レイモンド・カーヴァーの早すぎた死」『ささやかだけれど、役にたつこと』中央公論社・1989年 所収)
2017年9月17日日曜日
超不思議な短詩223[さやわか]/柳本々々
コンピュータゲームとはもっとも素朴な形に還元すると「入力すると反応がある」ということである。 さやわか
ゲームと俳句の話が続いているのでせっかくなのでもう少し冒険して続けてみようと思う。さやわかさんがゲームの本質について次のように語っている。
ゲームの本質。コンピュータゲームとはもっとも素朴な形に還元すると「入力すると反応がある」ということである。それはAボタンを押すとマリオがジャンプするということだったり、エンターキーを押すと次の画面が表示されることだったりする。我々はしばしばモニタの前で、どうしても選びきれない選択肢を選ぶ羽目になる。その時も、ボタンはいつも通りに軽いし、ボタンそれ自体は画面内で展開されているいかなる物語やキャラクターとも関連がない。重要な選択であっても実際に行うのはエンターキーを押すか否か、「する/しない」という些細な選択なのだ。たったそれだけのことにすべてを左右させることで、スリルと不安を喚起する。選択自体には意味がないが、しかしその行動が世界を改変してしまう。
(さやわか「ゲームのように」『ユリイカ臨時増刊 涼宮ハルヒのユリイカ』)
ここでさやさんが言っているのはたぶんこのようなことだと思う。ゲームというのは、非常にシンプルな行為、入力すると反応があるという行為が、世界をつくりあげ変えていく行為なんだと。
前回、フローな俳句として鴇田智哉さんの俳句をあげたが、ときどき、鴇田さんの句集を読みながら、任天堂のアクションゲーム『スーパーマリオブラザーズ』に近いんじゃないかと思ったりしたことがあった。これはさやさんで引用したような、シンプルな入力が、世界への触知とつながっている感覚と思ってもらえばいいと思う。たとえば、
水面ふたつ越えて高きにのぼりけり 鴇田智哉
(『句集 凧と円柱』)
あえてマリオっぽい句を選んでみたのだが、〈水面をふたつ越えて高いところにのぼった〉というのはふつうなら「それがいったいなんなんだ」的なところがあるが、もしこれがマリオが読んだ句だったら、どうだろう。水面をふたつ越えて・高いところにのぼったなら、ステージ=世界を攻略してゆく喜びがある(プレイヤーも同様にその喜びを感受する)。マリオにとっては、こうした原始的で・シンプルな行為が、至上の意味をもつ(マリオ=プレイヤーにとってすべての価値観はステージを前進することなのだから)。
ちなみにこの句集のタイトルは、『凧と円柱』で、高い場所やポールのような突端が気にされているのだが、そうした〈高い場所〉や〈とがったもの〉への至高もマリオ的である(土管、城のポール、キノコ)。
春めくと枝にあたってから気づく 鴇田智哉
この世界では突端に触れる、というただそれだけの行為が「春」に気づくという世界そのもののベースへの触知につながっている。これはマリオがクリボーに触れて命を失ったり(触れることが世界の終わり)、キノコに触れる(食べる)ことで身体を巨大化させたり(世界の視野の改変)することにも似ている。
こんな句もみてみたい。
近い日傘と遠い日傘とちかちかす 鴇田智哉
遠近に「ちかちか」と視覚的なデジタル・ノイズが入ってくる風景。これなども処理落ちのマリオのステージのようなノイズ的風景を想起することができる。
裏側を人々のゆく枇杷の花 鴇田智哉
断面があらはれてきて冬に入る 〃
世界の「裏側」や「断面」の意識。マリオ3では、↓ボタンを押しっぱなしにすることでステージの裏側にすとんと落ちることができる裏技とは言えないまでも小技があったが、あるいはさいきんのペーパーマリオではステージを3Dで断面的に見ることが可能になったが、「裏側」や「断面」はゲームの世界(ステージ)では、たびたび〈世界の果て〉として出会うことでもある。
鴇田さんの俳句がゲーム的世界観に支えられているというつもりはないのだが、さやさんが述べたようなゲームの本質、シンプルな入力が世界の原理につながっていく感じは、鴇田さんの俳句の風景によく似通っているのではないかと思う(というかそういう思いがけない枠組みを導入すると鴇田さんの俳句はぐっと理解しやすくなったりするのではないだろうか)。
小津夜景さんの句集『フラワーズ・カンフー』を読んでいて、或いは関悦史さんの俳句を読んでいて思うのは、俳句がB級的な要素をそれとなく密輸しながら成立してきていることだ。そのB級的要素とはなんだろう、と時々考えるのだが、たとえばそれはこうしたゲーム的世界観との思いがけないリンクと言うこともできないだろうか。
たとえば、小津夜景さんは関悦史さんとのトークで、
ぷろぺらのぷるんぷるんと花の宵 小津夜景
は自分がはじめて俳句をつくったと実感することができた《写生句》だと述べたが(たしか夜景さんは海辺で吟行していたときにできた句だと言ったような気がする、ぼんやりだが)、「ぷるんぷるん」している「ぷろぺら」もゲームのCG世界ではごくまっとうなゲーム的リアリズムとしてあらわれそうではある(例えば私ならプレイステーションソフト『クーロンズ・ゲート』を想起する)。
関さんのこんなリアリズムとゲーム的リアリズムが融合する句。
牛久のスーパーCGほどの美少女歩み来しかも白服 関悦史
現実のリアリズム的世界では非常識なことが、ゲーム的リアリズムの世界では、なんのためらいもなくまっとうで・ノーマルなことがある。
蝉の死にぱちんぱちんと星が出る 鴇田智哉
(「ゲームのように」『ユリイカ臨時増刊 涼宮ハルヒのユリイカ』2011年7月 所収)
超不思議な短詩222[阿部公彦]/柳本々々
おもしろいのは、ブローティガンの『アメリカの鱒釣り』のような作品を読んだ人なら覚えているあの脱力感覚と、日本的な俳句の精神のまじり具合である 阿部公彦
70年代はマンガ『巨人の星』の「スポ根劇画」に代表されるようなハードな汗と涙と闘いのエネルギッシュな60年代が終わり、女性誌『an・an』や『non・no』の創刊、マクドナルド、ミスタードーナツ、サーティワンといったファーストフードの日本の開店など、キャラクターやファンシービジネスが始まってゆく時代という言われ方をされることがあるが(前に取り上げた攝津幸彦はその70年代に二十代を過ごしていた)、その70年代半ば、1976年にアメリカの作家リチャード・ブローティガンは東京に一ヶ月半滞在し、『東京日記』という詩を書いた。
阿部公彦さんは「解説」でこんなふうに書いている。
「東京日記」の多くの作品は、俳句に触発された語り口になっている。俳句ならではの唐突さや切断感は、はじめて訪れる東京で足場のないまま、さまざまな“瞬間”をあやうく渡り歩いていた詩人にとって、まさにぴったりの装置を提供してくれたのだろう。
おもしろいのは、ブローティガンの『アメリカの鱒釣り』のような作品を読んだ人なら覚えているあの脱力感覚と、日本的な俳句の精神のまじり具合である。切断や転換、接合などによって生み出される俳句特有の凝縮した緊張感を支えているのがある種の“拮抗”だと考えれば、これに対してブローティガンで目立つのは、拡散と散逸の気分でもある。主旋律は緊張よりも弛緩であり、興奮や熱気よりも冷却となぐさめが言葉を生み出していく。
(阿部公彦「解説」『東京日記』)
瞬間を渡り歩く装置として「俳句の精神」を使いながらも、その瞬間は凝縮されるよりも「拡散と散逸」を伴っていく。「日常を鋭く切り取り緊張」というよりは、「緊張と驚きと空虚さをゆったり流してくれるやさしさ」の方に傾いていく。
俳句的な装いをまとう本書の短詩は、実際には、俳句的なキャプチャの身振りをほどき、流し、平凡化・日常化する。平凡であるとは何と難しいことだろう。際だたず、とがらず、立ち止まらない。
(阿部公彦、同上)
〈平凡さ〉というフローのなかに身を置くこと。
テレビの
日本の子どもたちの番組を見て
ぼくはこの三十分間をすごした
ここ東京には何百万ものぼくたちがいる
ぼくたちは自分の好きなものがわかっている
(ブローティガン「日本の子どもたち」『東京日記』)
日本の「テレビ」を「三十間」見ている時間が〈わたし〉の個を際だたせることなく、「何百万ものぼくたち」に拡散・散逸していく。「ぼくは自分の好きなものがわかっている」ではなく、「ぼくたちは自分の好きなものがわかっている」というひどく曖昧な流れるような言い方。〈見る〉という行為が〈わたしたちの見る〉につながり、〈何百万もの見る〉とともにフローな個の流れとしてうかびあがってくる。
この不思議な短詩では何度か取り上げている句だが、こんな俳句がある。
毛布から白いテレビを見てゐたり 鴇田智哉
毛布から白いテレビを見ているのだが、この助動詞「たり」を完了(~した)ではなく、存続(ある時点からずーっと~している)の意味合いでとった場合、語り手は、ずーっと白いテレビを見ているなかに身をおいていることになる。ずーっと語り手は毛布から白いテレビを見ている。そのときこの「たり」は神秘化していく。毛布から白いテレビをずーっと見ている風景は死後の景にも近いからだ。
その「死後の景」を誘導するのが「毛布」と「白いテレビ」の組み合わせである。たとえばこのテレビが〈白い画面〉だった場合、テレビを見ていながら・同時に・テレビをなんにも見ていないということになる。この句は突き詰めれば・突き詰めるほど〈見ること〉の危機的な様相が浮かび上がり、〈見ること・見ないこと〉を通して死者も含めた〈何百万もの見るぼくたち〉が現れる。
この俳句にもブローティガンの詩にあるようなフローな感覚が見いだされうるように思う(ちなみにフローという概念はよくゲームを論じた本を読んでいると出てくるゲームのプレイヤーを考えるときのキーワードになっている。たとえばマリオをプレイしているとき、あなたはあなたがあなたでありつつも没入していく感覚を経験していないだろうか。ゲームをプレイしながら、個でありつつも・個を没入させていく感覚。俳句とゲームの親和性)。現在の俳句は、瞬間的な切り取りではなく、フローな感覚に敏感になっている。フローな俳句としてはこんな印象的な俳句もあげられる。
息のある方へ動いている流氷 田島健一
(『句集 ただならぬぽ』)
この田島さんの句にも鴇田さんの神秘的な「たり」に通じるような神秘的な存続の助動詞「ている」がある。70年代アメリカの労働者階級の〈どこにもゆけなさ〉を描いた小説家にレイモンド・カーヴァーがいる。ただカーヴァーが特徴的だったのは、労働者階級のミドルクラスの生活をミニマルに描きながらも、それが〈外〉に神秘的に抜けていってしまう点だった。どこにもゆけなさのなかで神秘性があらわれる。
カーヴァーのマジックは、貧困を含めた、ありとあらゆるものを、無意味化、身体化する、そのミニマリズムのスタイルにある。そのスタイルの特徴は、既存のリアリズムにあるような社会的、政治的文脈を無視し、まるでそこに社会など存在しないかのように、身体化された世界だけを描くことにある。言ってみれば、カーヴァーの作品は、アメリカ合衆国の話ではない。それは、合衆国のなかのどこかの街の話であるが、カーヴァーの作品世界は、その街を描くことで成立していて、そこに街よりも大きなもの、大きな社会、合衆国は存在しないのだから。ミニマリズムとは、自分の周囲十メートルの話なのである。カーヴァーのマジックは、労働者階級なら労働者階級の生活を描きながら、それが単なる労働者階級の生活ではなくなる瞬間を提出することにある。その瞬間とは、「大聖堂」の啓示が示すように、無意味化、身体化の結晶である。それは、既存の政治的・社会的文脈を破壊した、まったく新しいなにかなのだ。
(三浦玲一『村上春樹とポストモダン・ジャパン』)
わたしはこのマジックのありかた、「毛布から」という「自分の周囲十メートルの話」を描きながら「白いテレビ」という魔術的メディアを通して〈日本の話〉だけではないマジカルな啓示的瞬間があらわれているのを鴇田さんのテレビの句に感じる。それは、ブローティガンの「子ども番組のテレビ」を見ていただけで「何百万ものぼくたち」につながってしまうようなフローしていく何かである。
私は実は三年前に鴇田さんの白いテレビの句をはじめて眼にしたときに、すぐに思い出したカーヴァーの一節があった。ただその一節がどの作品にあるのか、ずっと思い出せなかった。だから思い出すまで待っていようとおもった。ところが、きのう、雨がふっているのかふっていないのかわからない白い光の空の真下を、ぼんやり、傘をさしながら道を歩いていたら、とつぜん思い出した。それは、テレビを見ているなかで、テレビを見ていることを突き抜けてしまう、白いテレビのなかに暴力的に包まれてしまう一節だった。横になって、どこにもゆけないなかで・その《どこにも》が圧倒的に・暴力的に押し寄せ、しずかに、その場で、じっとしながら、押し流されていく〈終わりの風景〉。私が思い出したかったのは、これだった。
私はそこに横になってテレビを見ていた、軍服を着た男たちの姿が画面に映っていた。ぼそぼそとした声。それから戦車隊が現れ、ひとりの男が火炎放射器を発射した。音は聞こえなかったが、わざわざ起き上がるのも面倒だった。私は瞼が重なるまで、じっとテレビを見ていた。でもはっと目を覚ました。私のパジャマは汗でぐしょ濡れになっていた。雪明かりのような光が部屋に満ちていた。ゴオオオという音が私に押し寄せてきた。その轟音は耳を聾せんばかりだった。私はそこに横になっていた。私は動かなかった。
(カーヴァー「みんなは何処に行ったのか?」『ファイアズ』)
(「解説」『東京日記』平凡社ライブラリー・2017年 所収)
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鴇田智哉
2017年9月14日木曜日
超不思議な短詩218[鶴見和子]/柳本々々
俳句というものはすっかり自分の忘れ果てていたような原体験をぱっと思い起こさせてくれる、触発するのよ 鶴見和子
鶴見和子さんと金子兜太さんの対談本『米寿快談』のなかで鶴見さんが、俳句がとつぜん自分の身近に迫ってきた風景としてこんなふうに話している。
私は俳句を作る人…は世界が違うんだ、人種が違うんだってずっと思っていたんです。というのは、俳句を読んでも何のことかわからない。自分で作るなんてことはもちろん考えもしないけれど、どうも分からない。ああいうものはできない、そう考えていたんです。……
とくに私は子供の俳句のなかで〈雪解けを待つ植物のように少年は〉、あれが私はすごく印象的だったの。というのは、俳句というものはすっかり自分の忘れ果てていたような原体験をぱっと思い起こさせてくれる、触発するのよ。……
俳句というものは、すごい力、触発力をもってる。つまり原体験の触発力なの。すっかり忘れているでしょう、それをパッとじつに鮮烈に教えてくれるの。その日なんです。これが俳句なのか、それなら私にだってわからないことはないな。むしろ俳句を読むことによって、私も歌がつくれるようになる、そういうものじゃないかなとはじめて思った。……
つまり、これまで私は俳句に親近感は全くなかったんです。芭蕉だとか蕪村だとか、そういう世界だけが俳句だったら私にはわからない。ああいうさびとかわびとか、その上になんだかむずかしい季語を入れなきゃいけないのは。それでこれから俳句を勉強しなくちゃいけないと。つまり感性の活性化、それを俳句から私がいただくことができる。それが一つの驚き。
(鶴見和子『米寿快談』)
とても長く引用したがここにはひとりの俳句とは無縁だと感じられていた人間がとうとつに俳句に出会い、驚き、俳句との距離感がとつぜん変化してゆくさまが語られている。それは「一つの驚き」であり「パッ」であり「鮮烈」であり、「原体験の触発力」である。
どうして鶴見さんがこの俳句の「原体験の触発力」に出会えたかというと、それは、俳句がもつ〈認識の基盤〉〈認識の原風景〉にであったから、ではないかと思う。鶴見さんは「さび」「わび」「むずかしい季語」は「わからない」と述べている。でもそういう〈趣向〉や〈風情〉ではなく「感性」として俳句にであった。そのとき、俳句が鶴見さんのなかに流れ込んできた。
こうした〈認識の基盤〉としての俳句を考えたときにわたしが思い出すのが、俳誌『オルガン』の俳句である。たとえば『オルガン』のメンバーにはこんな俳句がある。
くちびるが顔にありけり扇風機 宮本佳世乃
(『句集 鳥飛ぶ仕組み』)
扇風機にあたっているうちに「くちびる」が「顔」にあることに気づいてしまう。顔の本来的な存在に気づいてしまう。存在論的俳句。
なにもない雪のみなみへつれてゆく 田島健一
(『句集 ただならぬぽ』)
「なにもない」と語られることによって「なにもない/なにかある」という二項対立が形作られる。しかしここで語り手は「なにもない」という虚無的な次元を《あえて》選ぶ。しかも「つれてゆく」とその虚無的な次元への意志は強い。この句は、なにかがあるということと、なんにもないということの、存在論的次元を喚起する。でも、「ある」とか「ない」って実は認識の話だ。佳世乃さんの句のように、《そのひとが・世界をいま・これから・どう・みようとしているか・みているか》の話だ。
ゐた人の残してゆきし咳のこゑ 鴇田智哉
この句においても存在論的次元が喚起される。「ゐた人」が「咳のこゑ」を残してゆくのだが、だからとうぜん今は〈いない人〉ということになる。この「咳のこゑ」も咳の〈遅延〉という咳の存在論的次元物のようなものだ。ところが語り手はその〈存在の遅れ〉のような次元にいる。「ゐた/残して/ゆきし/咳のこゑ」というひとにとってはすべて過去に葬った次元に語り手は、いま、たっている。語り手は、いったい、どの次元にいるのか。いったい、いるとかいないって、じゃあ、なんなのか。
居ることに泉のふつと落ちてくる 宮崎莉々香
(「かつてのまなざしでどうしても見」『オルガン』10号、2017年8月)
これら俳句には、認識の仕方を、魔術的に〈ぶり返し〉ていくような切なさがある。「かつてのまなざしでどうしても見」ようとするわたしに働きかけてくる。魔術的切なさとして。なんで切ないのかというと、世界の臨界に達しそうになるからだ。あるとかない、いるとかいない、に抵触することは、だんだんと、世界がある、世界がない、に関わっていく。もしかしたらわたしたちにとって、もう、世界は終わったものとしてあるのかもしれない、という世界の認識論にかかわってゆくのだ。
こんなことが俳句で起こってしまっているのは、驚きだと思う。でも、いま、こんなことが俳句で起こってしまている。
こうした俳句が俳句として成立してしまったとき、わたしは、そもそもの〈こちら側〉の認識を点検しなおさなくてはならないような気もするのだ。鶴見さんが「驚き」をもって俳句をうけとめたように。
俳句は、わたしに、認識の点検を要請する。きのう・きょう・あしたのわたしの認識のしかたをたしかめてごらんよと、手を、眼を、からだを、眼を、手を、とってくる。わたしたちは、いつも、俳句に「遅れ着」く。
多く見て感じて夜が来て蛾来て 福田若之
(「遅れ着いたもののしるしに」
(「俳句の触発力」『米寿快談』藤原書店・2006年 所収)
2017年5月16日火曜日
続フシギな短詩111[鴇田智哉]/柳本々々
人参を並べておけば分かるなり 鴇田智哉
111、という数字をみてまるで並べられた人参みたいだね、と思う。
ひとは並べられた人参をみたときに、なにを思うのだろうか。
わたしだが、御前田あなたというひとが次のように言っている。少し長くなるが引用してみよう。
田島健一は「現実」とは「餌場の鶴」のようなものであり「質問してはいけない」と言っている。質問してはいけないよ。そう、いけない。もし「餌場の鶴」が質問に〈答え〉てしまったら、私たちは今あんのんと住んでいるこの世界に帰ってこられなくなるかもしれないからだ。だから、決してきいてはいけない。いけない、がしかしそれが「現実」の手触りなのである。「現実」とは質問してはいけないものなのだ。好きなひとにきいてはいけないたったひとつの質問のように。
そもそもふつうに生きていると「現実は鶴だ!」という発想が出てくるのかどうかという問題がある。これを鶴問題と呼ぼう。現実は採用試験だ! とか言う人はいても、現実は鶴だ! という発想ってなかなかないんじゃないか。本気で戦ったら鶴には勝てそうだし。わからんけど。負けるかもしれんけれども。くちばし長いし。
ただちょっと思うのは私も季語をベーシックとする世界に生きていたら「鶴」って発想がふっとでてきたかもしれないなあということだ。そこには、俳句を生きる、俳句を暮らす、ってどういうことなのかという問題があるような気がする。季語というのはひとの認識の根っこそのものに侵蝕してくる。触手のような。触手、わかるかな。
ひとは鶴と暮らさない。ひとは鶴を食べない。ひとは鶴をかわいがらない。ひとは鶴に仮装しない。ひとは鶴をぬいぐるみで所有しない。しかし鶴は季語としてならひんぱんにアクセスすることができる。それは現実に似ていて、やり方さえわかれば、アクセスすることができる。ただし帰り方は、また別だ。アクセスしてしまったら帰ってくる方法はじぶんで見つけなければならない。もちろん、鶴に触れたきり帰ってこなかったひとたちも、いる。そのひとたちが、いま、どうしているかは、わたしは、知らない。わからない。
今、田島健一の俳句を考えてきて思うのは、季語というのが或る〈世界の認識〉に関わっているということだ。これは私にはとても新鮮だった。季語というのを私は〈使う〉ものだと思っていたから。けれども、田島俳句における季語はちがう。田島俳句における季語は〈このわたし〉の生を侵蝕するのである。認識の根っこにタッチしてくる。
この季語と認識/認知のかかわり合いを教えてくれたのが田島俳句なのだが、このとき、わたしは鴇田俳句のことをあらためて思い出した。
人参を並べておけば分かるなり 鴇田智哉
樋口由紀子が鴇田俳句についてこんな評を書いている。
「人参」は冬の季語とされているようだが、そうなのかと不思議な気さえする。だから、当然季語としてのはたらきはわからない。…なぜ「人参」で分かるのだろうか。確かにいろんなものを並べていると見えてくるものがあるが、「人参」は思いつかない。「分かる」ということの意味を考えた。…おかしなことがあまりにもふつうに書かれている。
(樋口由紀子「言葉そのものへの関心」『MANO』20号、2017年4月)
ここで樋口由紀子が書いているようにこの句は「人参」という季語を通して、〈わかる/わからない〉といった認識/認知のあり方そのものを問うてくる。樋口由紀子が「「分かる」ということの意味を考えた」と書いたように、人参を並べておけばわかりますよ、わかるんですよ、と言われても、いったいなにが? だれが? どこで? なんのために? と思うからだ。しかし、そもそも〈分かる〉とはいったいなんのことなのか。ひとが、はいわかった、と膝をたたくとき、いったいそのひとは、〈なに〉が〈わかっ〉ているのか。わかるよ。
この句にあらわれているのは、そうした〈人参(にんじん)〉と〈認知(にんち)〉の関係である。これがたとえば、〈書物〉と〈認知〉、〈愛〉と〈認知〉だったらまた違った風合いをみせるだろう。しかし、「人参」なのである。「人参」は〈認知〉と関わりがない。しかし、季語を通したベーシックな世界観では、〈それ〉が問題になるのだ。
おかしなことがあまりにもふつうに書かれている。
私も、そう思う。だが、「餌場の鶴」が〈現実〉となってしまう世界とはそういう世界である。そしてそれが俳句のリアルなのだと田島健一は言っていた。だからこの「人参」も俳句のリアルなのだと言える。この「人参」はリアルなのである。リアルが〈ワカル〉を導いている。
毛布から白いテレビを見てゐたり 鴇田智哉
私はある時期からこの句のことをずーっと考えている。なんにもわからない、と言いながら、わかることを放棄しようとしながら、考えている。〈なに〉を見ているのだろう。「白いテレビ」を見ているのか。「白い」画面を見ているのか。要するに、なにも見ていないのか。なぜ、「毛布」からなのだろう。ひょっとすると、語り手は、もう、死んじゃっているのか。だとしたら、死後のにんげんが〈見〉ているものとは、なんなのか。それとも、ゆめうつつなのか。ゆめうつつのときの〈見る〉ことのレベルとは、どれくらいなのか。わからない。わからないが、〈見る〉ことそのものが問われている。見ることってそもそもなんでしたっけ、と。うーん。
私はこう言った俳句があらわれていることをとっても不思議に思うし、田島健一や鴇田智哉が奏でる季語を通じた危機的な生の様相が、どこか表現というものの根っこにも関わるような気がしている。でも、今、言えることは、たったこれだけだ。
わからない、と。なにか今、わからない、とあえて言うことが、正しい、ことのように感じられる、と。だから。
けっきょくなんにもわかりませんでした。
御前田あなたは、そう、書いていた。
(「言葉そのものへの関心」『MANO』20号、2017年4月 所収)
2014年11月26日水曜日
鴇田智哉句集『凧と円柱』を読む 5 /今泉礼奈
菜の花と合はさるやうに擦れちがふ 鴇田智哉
菜の花の黄色が、パッと目に入ってくる。その黄色を見ながらその方へと歩いていたら、もしかしたら合わさってしまうのではないか、と一瞬思った。次元を越えた不思議な感覚に陥る。しかし、実際には擦れちがっただけであった。
「やうに」の前に思い描いていた菜の花と自分との夢のようなイメージが、「やうに」後では、あっさりと否定され、現実味あるフレーズへと転換されている。菜の花と自分だけではじまった景だったが、やはり、終わりも、菜の花と自分だけだった。
平易な言葉だけで書かれているからだろうか。すこしせつない。
<鴇田智哉句集『凧と円柱』(ふらんす堂2014年) 所収>
2014年11月20日木曜日
鴇田智哉句集『凧と円柱』より 4 /今泉礼奈
近い日傘と遠い日傘とちかちかす 鴇田智哉
近い日傘、と、遠い日傘というものは、なんともはっきりとしない言い方だ。しかし、この曖昧さに景はどんどん膨らんでいく。わたしは、「近い日傘」とは、直前を歩いている人の日傘、「遠い日傘」とはさらに距離を置いて前を歩いている人のものだと思った。日傘といわれれば、大抵の人は、フリルのついた白のものを想像だろう。その同じようなものと思われる日傘を、距離で分類したとき、確かに、近い日傘には細かな装飾を確認することができ、遠い日傘はそれの全体の形を確認することができる。そして、その二つの情報を重ねたとき、はじめて、日傘というものがぽっと浮き上がってくるのだ。字余りも、景の曖昧さを助長する。
そして、これらを「ちかちか」するという。「ちかちか」とは、ネガティブなイメージをもつ言葉だが、ここではあまり嫌な感じがしない。むしろ、嫌なことを楽しんでいるようだ。平易な言い方が、句全体の雰囲気を愉快なものにする。
気持ちのいい一句だ。
<鴇田智哉句集『凧と円柱』(ふらんす堂2014年) 所収>
2014年11月17日月曜日
黄金をたたく 3 [鴇田智哉] / 北川美美
照らされて菌山より戻りきし 鴇田智哉
多分月に照らされれながら<菌山>から戻ってきた情景だろうとまず読む。戻ってきたのは、作者のようにも思えるが、人なのか何かの錯覚かもしれない異次元的謎めきがある。更に何によって照らされたのかは、太陽かも蛍光灯かもしれない、はたまた犯人を連行するときの取材のフラッシュかもしれない、なんともアンニュイ。
アンニュイとは仏語から来ていて、倦怠感のこと。退屈。世紀末的風潮から生まれた一種の病的な気分。文学的には,生活への興味を喪失したことからくる精神的倦怠感をいう。自意識の過剰,生の空虚の自覚,あるいは常識に対する反抗的気分などが含まれる。(ブリタニカ国際大百科事典)
照らされるからには周囲は暗い、後方に陽の光があるが暗い田園、そのかすかな光で人物が浮かび上がるミレーの絵のような風景を想う。<菌山>というだけで謎めく物語の舞台であるし、<照らされて>の措辞による空間の陰影が空虚さを、そして<戻りきし>で悲しみともおかしみともなる。
鴇田氏の作に共通するアンニュイ性は、抽象を具象にする過程に言葉が動き出す感覚をおぼえる。第一句集にて独自性を打ちだし、空虚感漂う世界が確立されている。
鬱イイ気分というのか、その感覚が五七五の短詩定型で起こっているのだから不思議な体験をした気分なのだ。トワイライトゾーンに浮遊する一句である。
(『こゑふたつ』木の山文庫 2005年)
2014年11月14日金曜日
鴇田智哉句集『凧と円柱』を読む 3 /今泉礼奈
囀の奥へと腕を引つぱらる 鴇田智哉
すこし不思議な句。(おそらく人間だが)何に腕を引っぱられたか、主語がなく、この句の構成だと、囀に引っぱられたかのようだ。おそらく、何者かによって腕を引っぱられ、そのとき、視覚でその先を確認するよりも前に、聴覚が囀を感じとったのだろう。触覚→聴覚(→視覚)と、一瞬をいくつかの感覚に分けてから、詠んでいる。
囀の奥、も分かりにくいが、奥、は自分にとっての奥である。つまり、これは自分と囀の距離感を、自分本位にいっているのだ。
身体感覚の優れた一句。春の光が、まぶしくこの句の景を包む。
<鴇田智哉句集『凧と円柱』(ふらんす堂2014年) 所収>
2014年11月8日土曜日
鴇田智哉句集『凧と円柱』を読む 2 / 今泉礼奈
歯にあたる歯があり蓮は枯れにけり 鴇田智哉
自分の身体の中で起きていることと、目の前で起きていることを取り合わせている。まず、「歯にあたる歯があり」だが、これは一見、視覚情報によるものだと思わせる書き方をしている。しかし、実際は触覚(と言えるかどうか微妙だが)情報なのだ。自分の口の中を思ったとき、実際に、歯が他の歯にぶつかっていた。カチカチ。それは、まるで、自分のものではないかのような感覚に陥る。それゆえ、このような無機質なフレーズとなっているのだ。
そして、枯蓮。すこし前まで生きていたものとは思えない、無残さをもつ。
この二つは、それ単体では、生と死をつよく感じさせるものではないが、取り合わされたとき、そこに、生と死を感じる。歯は、確かに人間という生物の一部であり、枯蓮は、生物から突き放された部分である。この、単なる対比関係ではない、自分の身体を通して感じさせる、生と死、は私たちをしばらく立ち止まらせる。
<鴇田智哉句集『凧と円柱』(ふらんす堂2014年) 所収>
2014年11月3日月曜日
鴇田智哉句集『凧と円柱』より 1 / 今泉礼奈
すりぬける蜥蜴の縞の流れかな 鴇田智哉
止まる、うごく、止まるを絶妙な時間感覚をもって繰り返すのが、蜥蜴である。ここでは、その中の、うごく、が急にはじまっている。そのとき作者は、驚きとともに、蜥蜴の縞模様に流れを感じたのだ。
蜥蜴の独特な色と模様が、読者の頭の中にしばらく残る。上五のすりぬける、も秀逸。蜥蜴は、決して何かを避けてうごいた訳ではないが、その動きは確かに、人間のすりぬける動作と重なるものがある。
感覚的な句かと思いきや、描写の効いた一句。ひやっとする感じが、まさに夏だ。
<鴇田智哉句集『凧と円柱』(ふらんす堂2014年) 所収>
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