2018年1月26日金曜日

DAZZLEHAIKU18[山口昭男]渡邉美保



  今をゆく大きな雲や年酒酌む  山口昭男

新しい年が巡ってきたことを寿ぐお酒、年酒を酌む景はさまざまだ。親族一同集まっての賑やかな年酒もあれば、少人数でしみじみ酌み交わす酒もある。
掲句では、年酒を酌む様子は一切述べられていないけれど、新年のめでたさや華やかさとは別の、思索的で静かな雰囲気が感じられる。
「今をゆく大きな雲」とは何なのか。
新年を迎えたからといっても、本質的にはなにも変わらない現実。私たちは常に「今をゆく大きな雲」の下にいるのかもしれない。
大きな雲は、虹色を帯びた瑞祥の雲の場合もあるだろう。また、すでに逝ってしまったかけがえのない人の面影を大きな雲に見ている場合もあるだろう。その時々の個人的な事情や心のありよう、時代状況によって、変わっていく大きな雲。
掲句からは、自分にとっての「今をゆく大きな雲」とは何かを問われているような気がする。これから先、年酒を酌むたびに、その時その時の「今をゆく大きな雲」について考えることだろう。


〈句集『讀本』(ふらんす堂/2011年)所収〉

2018年1月16日火曜日

DAZZLEHAIKU17[岩田由美]渡邉美保



   くひちがふあり枯蓮とその影と  岩田由美

冬の日を浴びて、枯蓮は水面にそれぞれの影を落としている。枯れた蓮の茎や葉、朽ちた花托などが残骸のように残っている姿は痛々しいが、青空と枯蓮と、水面に映る影が織りなす造形は現代アートのような面白さがある。
掲句、そんな枯蓮とその影とを一つ一つ確かめている作者を想像すると、なんだか楽しくなってくる。あるはずの影がないぞ、と作者自身も枯蓮の一本になって水鏡を覗いているかのようだ。
「くひちがふ」ところに動きがあり、明るさがある。枯蓮同士がじゃれあっているのかもしれない。作者の自在な眼差しを思う。



〈句集『雲なつかし』(ふらんす堂/2017年)所収〉