2015年4月29日水曜日

今日のクロイワ 23 [相生垣瓜人]  / 黒岩徳将


耳目又惑はむ梅雨に入りにけり  相生垣瓜人

雨粒の音に合わせて今年もやってきた…と思わせる季節の到来だが、ここで使われる「耳目」は、梅雨と配合されることによって、「複数人の注目」という意味合いよりも、むしろ体の部位としての形状を思わせる。

耳のぐるぐるした模様めいたかたち、目の人に訴えかけるメッセージ性。とかく人間・動物は不思議なパーツを与えられたものである。


『明治草』より

2015年4月27日月曜日

目はまるで手のように言葉に触れる 10[篠田悌二郎]/ 依光陽子




初蟬や疲れて街をゆきしとき    篠田悌二郎


水原秋櫻子門下にして抒情的な句を作らせたら右に出る者がいないといわれた篠田悌二郎がはたして蟬が好きだったかどうかは知るべくもないが、旧号は「春蟬」であり、そう思ってみれば蟬の句が少なくもない。

掲句は昭和8年の<奥多摩晩春十二句>のすぐうしろに置かれている。なれば強引に松蟬と受け取ってもあながち見当違いでもないであろう。
三越本店に勤めていた悌二郎だから、日本橋あたりを歩いていた時か。一日の疲れを感じながら歩いている。その耳に、不意にその年初めて聴く蟬の声がひとすじの糸のように入り込んできた。ひとすじの糸とは抒情的な解釈にしたまでで、その蟬が松蟬であるならば、ギィギィと骨の軋むような声であり、街の雑多な音の中からある違和として聴き取ったその声から、疲れの質や疲れ具合が想像できる。

注目するのは「ゆきしとき」。この人は疲れてはいるがダラダラと歩いてはいない。普段と同じ歩幅、歩調がこの言葉から見えてくる。それから初蝶、初音、その頃になると現れる鉦叩など、生き物の初鳴きは「おっ今年も来たね」と一年ぶりの友人との再会のような、ちょっとした嬉しさで心を浄化させてくれるものだ。「初」という文字がフラッシュのように一句を明るくしている。

掲句を収めた句集『四季薔薇』は篠田悌二郎の第一句集。本句集には水原秋櫻子と共に「ホトトギス」を脱会する前後の句が収められている。<初心の頃、割り合に伸び伸びしてゐた自分の句が、中頃になつて全く個性を失つて、沈滞してしまつたのは、ホトトギスの客観写生の説に迷はされてゐたからである>と後記にあり、これには共感する部分もあるのだが、結局は言い訳にしかすぎないと思う。その証拠に「ホトトギス的」俳句から所謂「馬酔木調」への遷移は見えるが、劇的に句が変化し向上しているかといえばそうではないからだ。もちろん一冊の句集で判断できることではないのだが。ともかく、秋櫻子に師事することで<漸く、真の自分をとりもどす事が出来た(同)>という悌二郎の「真の自分」は句集の後半部に当る。全体的に絵で言えば印象画的な句、洗練された耽美的な風景描写はその頃は清新だったのであろうが、今の人がこれらの句にどれだけ感銘を受けるかは各人の俳句に対する志向性によるだろう。そんな集中にあって掲句は現代でも十分に受け容れられる一句である。

暁やうまれて蟬のうすみどり 
風立てば鳴くさみしさよ秋の蟬 
埼玉や桑すいすいと春の雨 
凌霄の花のふまるる祭かな 
波更けて心もとなく涼しけれ 
人今はむらさきふかく草を干す 
はたはたのをりをり飛べる野のひかり 
ひかりなく白き日はあり蘆を刈る 
トマト挘ぐ手を濡らしたりひた濡らす

(『四季薔薇』昭和8年刊。『現代俳句大系 第一巻』所収)

2015年4月26日日曜日

人外句境 15 [関悦史] / 佐藤りえ


少女みな軍艦にされ姫始  関悦史

『艦隊これくしょん』というブラウザゲームがある。プレイしたことがないので以下、すべて伝聞となる。

ゲームの内容は大日本帝国海軍の艦艇を集め、艦隊を強化しながら敵と戦闘し勝利を目指す、というものである。

これだけ書くと「戦争シミュレーションゲームか」と思われるかもしれないが、このゲームがそういった枠組みに入るのか否か若干の疑問を(プレイしたことがないのにもかかわらず)抱くのは、使用される艦艇が萌えキャラクターとして擬人化された「艦娘(かんむす)」と呼ばれるものだから、である。


長門、陸奥、大和など、戦艦の名前を与えられた彼女たちは、外見上にもととなった戦艦、艦艇の特徴を備えている。ためしにweb検索でこれら戦艦の名前を調べてみると、画像の上位に「船を背負った」みたいな外観の少女の絵が出てくる。それらはきっと「艦娘」だ。

艦娘たちは戦闘に使用されるので、攻撃を受ければ当然破損することもある。「小破以上でアイコンから黒煙が吹き出し、中破以上の状態になるとグラフィックが変化(服が破ける、武装が壊れるなど)」し、耐久力が0になると「轟沈」するらしい。

ちなみにプレイヤーはゲームの中では「提督」という位置づけで、ゲームのために接続するサーバ(複数ある)には、太平洋戦争期の大日本帝国海軍に実在した鎮守府などの名称が与えられている。

「萌え」はそんなものまで包括するのか、と目が点になるものだが、掲句を見てはたと思った。
「軍艦が少女にされている」を「少女が軍艦にされている」と言い換えると、「萌え」で覆われているもやもやした部分が一気に露わになる。

それによって「身近に感じることができる」とは、擬人化の方便のひとつであろう。

なればこそ、艦娘とくりひろげる姫始も想定の範囲内のことではないか。

どっちが受けでどっちが攻めか、といったところまでは、当方はいっさい関知しない。

〈『GANYMEDE』60号/銅林社・2014〉

2015年4月25日土曜日

今日の小川軽舟 39 / 竹岡一郎


菜の花や明るい未来暮れてきし      「呼鈴」

中七から見るに、一見、明るい伸びやかな句に見える。春の夕暮れの景であって、その穏やかさに明日も明るかろう世界を思うのである。しかし、「明るい未来」というのは、如何にも抽象的で、良く使われる類の標語、スローガンである。高度成長期の頃なら、誰もが気軽に使った言葉であるが、現在の世の中ではまた別である。明るい未来など、庶民はあまり信じていないのである。そうなると、この句が皮肉であると取れよう。「明るい未来」である筈だった「現在」と云う時が、為す術もなく夕闇に呑まれてゆくのである。「暮れてきし」とは、未来が暮れてゆく、即ち、神々の黄昏ならぬ人類の黄昏であると読む事も出来よう。中七を看板の文句であると読む事も出来る。そんな標語が書いてある看板は、如何にも時代遅れの、少なくとも三十年くらいは経った古い看板であろう。もしかしたらホーロー製で、ぼろぼろになった由美かおるが蚊取線香と共に微笑んでいる看板の横に掲げられているかもしれぬ。その看板が暮れてゆくのであれば、これは観ようによっては一種凄惨な、胸詰まる風景であろう。

いずれの場合にも上五の「菜の花」が重複する象徴性を持つことになる。今は失われつつある日本の田園であり、或いは臨死体験をした者が多く語る死後のお花畑を思うなら、この菜の花は中七下五の皮肉と相俟って、個人の死後の景、或いは人類滅亡の後の景を立ちあがらせる。山村暮鳥の「いちめんのなのはな」をも思い出し、暮鳥という名が夕暮れの鳥を思わせるなら、「暮れてきし」という下五はいよいよ悲しく、懐かしい。ふるさとは、かくもあどけなく未来を信じ、かくも惨たらしく懐かしい。平成十九年。

2015年4月24日金曜日

黄金をたたく18 [高橋修宏]  / 北川美美


和を以てなお淫らなるさくらかな  高橋修宏 

桜とはだいたい淫らな感じと思っるので掲句はツボにはまる。日本国の象徴でもあり、国が栄えるということの目出度い雰囲気のある花、日本人の精神性に置き換えられるといわれている桜である。 その桜、そしてそれを愛でる人達も含み、ややアイロニーの視線でみている心情と読む。

江戸・吉原の桜は、歌舞伎の舞台でもよく登場するが、当時の吉原の桜並木はレンタルでその時だけ植えられたいわゆるチェルシーフラワーショーのような人寄せ桜だった記録を見る。 桜が人の心をワクワクさせ、日常から離れた気分にさせる効果を狙ったのだろう。 ソメイヨシノの明治以後の爆発的人気に、桜並木、桜の名所に人が寄ってくる、老若男女、集ってくるのである。

「和を以て貴しとなす」は聖徳太子が制定した十七条憲法の第一条。日常では使われないその文言の凛とした感じにハッとする。作者はその意味に同意しつつ、<なお淫ら>で「とはいってもねぇ」と思っている。物事すべてに表と裏がある。美しさが醜さを含んでいるように。

<なお>により、この桜は、しばらく咲き続けている満開の桜の風景なのだろう。散る前ぎりぎりの桜のように思う。桜の花の重みで少し枝が揺れている姿も見えてくる。

《『虚器』2013草子舎》

2015年4月22日水曜日

貯金箱を割る日 27[辻本敬之] / 仮屋賢一



湾岸に倉庫のごつた春霞  辻本敬之

 そんなに言うほど湾岸に倉庫ってごった返していたっけ、倉庫って存外綺麗に並んで建てられているものじゃないかな、なんて思ってたら、春霞。遠くから見遣っているのか。なるほどなあ。
 湾岸の倉庫なんて言われたら、ものすごく無機質な感じがするんだけれども、霞の世界の中ではそういう素っ気なさは薄れる。あの倉庫にあるものは、これから世界に輸出されてゆくのかな、とか、巡り巡って自分の手元にもやってきたりするのかな、とか。倉庫ってのも、世界の一部で、いかにも人工物っぽくて湾岸に追いやられている感じがするけど、すごく広い意味で捉えたら自然の一部なんだな、なんて。ほんとうは大してごった返している感じじゃないんだけれども、「ごつた」って感じもしてくる気がする。

霞って、ぼやけて見えにくくするくせに、物の先入観をかき消して本質に到達することが出来そうな、そんな幻想さえ持たせてくれる。


今日の小川軽舟 38 / 竹岡一郎


負鶏のぬけがらのなほ闘へり      「近所」

闘鶏は、もうとっくに勝負がついているのである。負鶏はもう、血まみれのずたずたで、目はまだ開いているのか、それともつぶっているか潰れているか、足元はおぼつかなく、嘴は宙を切り、蹴爪は蹴るに足る高さには上がらぬのである。その惨憺たる様を「ぬけがら」と表現した。もはや鶏は操り人形のようにしか動けぬのであるが、その死に体の鶏を操っているのは、鶏の闘争本能である。哺乳類は先ず大抵痛がり屋で、一旦勝負がつけば、双方大怪我をしない内に引く。蛇のような爬虫類になると、一旦戦いだすと自分が動かなくなるか相手が動かなくなるかするまで、戦いを止めぬという。鳥類はさしずめ哺乳類と爬虫類の間と云った処か。鳥の種類により、どの程度まで戦うかは違うのだろうが、軍鶏はその心情か本能かにおいて爬虫類に近いのかもしれぬ。抜け殻となって尚闘うのは哺乳類にも一種類だけいて、それが即ち人間だ。中でも武士と呼ばれる類、あるいは軍人と呼ばれる類である。本能ではなく、訓練された心情によって、或いは暴走する意地によって、死ぬまで闘う。掲句の負鶏にあわれを感じ、或いは共感するのは、哺乳類では人間だけであろう。平成八年。

2015年4月21日火曜日

 目はまるで手のように言葉に触れる 9[富安風生]/ 依光陽子




春の灯や一つ上向く箪笥鐶  富安風生


祖父が持たせた母の嫁入り道具に一棹の箪笥があった。総桐製で二つ抽斗と三つ抽斗が二段重ねの所謂「東京箪笥」といわれたもので、最上部には袋戸棚が設えてあり、中には隠し鍵附きの抽斗。そこには私と弟の臍の緒など大切なものが仕舞われていた。二つ抽斗は着物が入る深さ、三つ抽斗はそれより倍くらい深く、いづれも箪笥鐶(たんすかん)がついていた。そこには母の余所行きの服が入っていたので、普段は殆ど使われることなく、しんとした佇まいで置かれていたのだが、幼いころの私は箪笥鐶そのものが面白く、ドアノックのようにカチカチ鳴らしたり、上向きにしてみたり、それを握って抽斗を引いたり戻したりしたものだ。

以上、掲句の「箪笥鐶」という文字から蘇って来たきた極私的な回想だが、季題の「春の灯」が意外に効いている。春らしく花見がてらの芝居見物だろうか。「一つ上向く」から、少し慌てた様子が窺える。気持ちが逸っていて箪笥鐶にまで気持ちが残っていなかったので、そのまま出かけてしまったのだ。さて家に残された作者はそんなところに目をとめて、いかにも句材得たりとばかりに句にしてしまった。

富安風生の第一句集『草の花』は、自身が晩年「『草の花』時代の基礎勉強」と言い切っているだけあって、これといった発見のないスケッチ風で単調な句が並び全体的に面白味に欠ける。高浜虚子の序文が懇切丁寧かつ強引に花鳥諷詠に引き寄せ過ぎて空々しいくらいだ。私は風生の本領は飄々とした面白さにあると思う。<垣外のよその話も良夜かな><寵愛のおかめいんこも羽抜鶏>などに見られる俳諧味。後に世に出た15冊の句集においてその色はだんだんと濃くなってゆくのだが。

さて、今や箪笥ではなくクローゼットの時代。まして「箪笥鐶」などという単語を使った句は、もうあまり作られることはないだろう。『草の花』は大正8年から昭和8年までの句から成る。<苗売をよびて二階を降りにけり>などと共に、句の背後にある時代の空気感を味わいたい。

春雨や松の中なる松の苗
蜘蛛の子のみな足もちて散りにけり
春泥に傾く芝居幟かな
寒菊の霜を払つて剪りにけり
羽子板や母が贔負の歌右衛門
大風の中の鶯聞こえをり
一もとの姥子の宿の遅桜
美しき砂をこぼしぬ防風籠
石階の滝の如しや百千鳥
通りたることある蓮を見に来たり
みちのくの伊達の郡の春田かな
よろこべばしきりに落つる木の実かな

(『草の花』昭和8年刊。『現代俳句大系 第一巻』所収)

2015年4月20日月曜日

人外句境 14 [柿本多映] / 佐藤りえ


百物語つきて鏡に顔あまた  柿本多映

ひとつ怪談を語り終えたら、語り手は手元の蝋燭を吹き消す。百の灯りがひとつずつ消えていき、すべての炎が消えたとき、あやかしのものが姿を現す。

いつ、どこで知り得たものなのか、「百物語」ときけば、こうしたスタイルの集いだとすぐわかる。
この「会合」の形式の、はっきりした起源が不明だということがまず怖い。


掲句ではどうか。きちんと百、話が済んだのだろう。灯りの落ちた部屋にある鏡、そこに顔がびっしり浮かんでいた。

浮かんだ「顔」は、あやかしのものというより、何が出てくるのか気になって仕方がなくて、つい顔をのぞかせてしまった、鏡の向こうの住人のように思えてならない。

興味津々な連衆と同じ、「あやかしの出現を待つ側」の立場のものなのではないか。

「何」の顔とも書かれず、「顔あまた」と書き留められたところに、「顔」をごく普通に受けとめているような気配がある。

〈『夢谷』東京四季出版/2013〉

2015年4月19日日曜日

今日の小川軽舟 37 / 竹岡一郎



野火走る絵巻解きのべゆくごとく    「手帖」


野火というものは透明でどこまで伸びたか一見して分らぬものである。草が黒くなってゆくので漸くそれとわかる。掲句では、どんな絵巻かについては言及していないが、平治物語絵巻のような戦記物の絵巻ではないかとの連想が働く。反乱が広がる事の喩に「燎原の火のごとく」とあるように、野火は戦を思わせるからである。

絵巻と限定している処から、あくまでも絵としての戦であり、流麗にして優雅な二次元の戦火であろう。「解きのべゆく」の措辞からは畳の上に絵巻物を拡げていって俯瞰する如く、高い位置から野火を見下ろしている印象を受ける。即ち、この措辞によって作者の視点を定めているのである。平成十八年。


2015年4月18日土曜日

黄金をたたく17 [竹岡一郎]  / 北川美美



はつこひに蓮見のうなじさらしけり   竹岡一郎


「蓮見のうなじ」とくると、襟を抜いた妖艶な着物(あるいは湯上りの浴衣)姿の女性が浮かぶ。「うなじ」は女性のセックスアピールの箇所で男性が見てゾクっとくる視覚的な箇所。「はつこひ」の頃の無知だった自分の恋に自分の性的うなじをさらけだす、それも蓮の花を愛でる成熟した女になった。いささか自意識過剰な女性句という印象を持つが(作者は男性だが)、キーになるのは「さらしけり」の<さらす>が、「恥をさらす」「さらし首」などの用法から、本来は望んでいないことを露呈していると解釈でき、その真意を深読みしてみる。

本来は見られたくない姿…「鶴女房」(あるいは「鶴の恩返し」)を連想した。鶴の<つう>が昔、命を救ってくれた恩義から人間に姿を変えて<与ひょう>の嫁になるが、鶴の姿で機織りをしているところを<与ひょう>に見られてしまう…<与ひょう>はそれを見て腰を抜かす。一説では、鶴が羽を広げた姿から出産のシーンを見てしまったとも言われている。もともと、動物である人の姿が人にとって至極残酷な姿に映る。性交、血まみれの出産、あるいは排泄、そして人間もいずれ死に、屍になり、放置すれば腐っていき蛆がわく。それを見たくない、見せなくないものとしている。それを人としての尊厳と考える。「古事記」の中のイザナギが黄泉の国で死んだ妻の姿が全身腐乱して蛆虫がわいていた、という箇所が元ネタである。人は、人が動物である事実を受け入れ、人として成長していく。しかし、うなじ…。

「うなじ」を作者の意思でさらす…、「うなじの苦い思い出」を「はつこひ」に差し出しているという景がみえる。「はつこひ」の頃はウブだったが、今はうなじを…というか…男根のことかもしれない…。過激な深読みになってくる。しかし、うなじはやはりうなじであり、頭をささえている頸椎のあたり。「はつこひ」という淡く苦い自分の原点に、今の自分を問う姿勢と考える。

自ら<蓮見のうなじ>をさらすことにより、「はつこひ」にも、読者であるこちら側からも見えないもの…、それは正面にある顔。「はつこひ」という昔の恋と対極に、老いていく自分の顔、あるいは鬼かもしれない自分の顔が隠くされている。怖い!でもなんだか解る…その光景。能の演目のようでもある。

遠い「はつこひ」も性的な「うなじ」も「さらす」という行為を介して、蓮池の水面の表と裏に対峙している。過去と現在を行き来でしながら、一人称である作者は蓮池に立っている。

所収される句集『ふるさとのはつこひ』には漫画家・逆柱いみり氏の奇々怪々とした装画そのままの異次元の世界がある。

《『ふるさとのはつこひ』2015ふらんす堂所収》





2015年4月16日木曜日

貯金箱を割る日 26 [下楠絵里] / 仮屋賢一



宛先のはらひ大きく燕かな  下楠絵里

 側(ソク)、勒(ロク)、努(ド)、趯(テキ)、策(サク)、掠(リャク)、啄(タク)、磔(タク)。「永字八法」である。それぞれ、点、横画、縦画、はね、右上がりの横画、左はらい、短い左はらい、右はらいで、この順番で「永」の字に現れる。この作品で詠まれている「はらひ」は、最後の右はらい、「磔」だろう。

 漢字の最後の右はらいが大きい。それだけで、どこかスカッとした気分になる。丁度良い塩梅で、力の入れ加減と抜き加減とがバランスを取り合っている。

 でも、それだけじゃあこの句の作者は飽きたらない。それが他でもなく、宛先の文字。誰かに向けて、送られる。そう考えただけで世界は一段と広くなるけど、それだけでなく、いくら「はらひ」が「大き」いとはいえ、それを相手に届けるのだから、それほどおかしなバランスの字にはなっていないのだろう。だからこそ、余計に気持ちが良い。

 これまでに「気持ちの良さ」を押し出してきたが、その一番の決め手は「燕」だろう。「はらひ」の「大き」な「宛先」、でもそれが暑苦しくも目障りでもないのは、「燕」のどこか颯爽としたイメージのお蔭なのかもしれない。送りたい相手に、それも、離れたところにいる相手に、この手紙は投函される。


2015年4月15日水曜日

 目はまるで手のように言葉に触れる 8[飛鳥田孋無公]/ 依光陽子


くぐりてはくぐりてはさくらへまなこを  飛鳥田孋無公


何かをくぐる。トンネル。花のアーチ。門。鳥居。橋。「ロンドン橋落ちた」で繋がれた二人の手。心に覆いかぶさってくるもの。

くぐるとき人は姿勢を低く頭を下げる。目は足下へ向き、まぶたが伏せがちになるので、一瞬明るさを失う。体制を立て直すと再び明るさが戻る。そのとき眼を向けるのは桜。頭上の花か、あるいは心の中の花か。「くぐりては」の少し詰まったような濁音のリフレインが、あるいは作者に次々と降りかかる困難や試練を感じさせもする。しかし眼を向ける動作は作者の強い意思であり、眼に映る花明りは救いだ。

すべて平仮名で書かれた桜の句ですぐ思い浮かぶものに野澤節子の<さきみちてさくらあをざめゐたるかな>がある。野澤節子は臼田亜浪、大野林火門下。孋無公も同じく臼田亜浪門下であり、林火とは句友である。これは単なる偶然。だが野澤節子の句よりも先行する掲句の方に、より現代性を感じるのは不思議だ。言葉の力みのなさ、ふと口をついて出たままの句姿ゆえだろう。最後に置かれた「を」が限りなく散文に近い形にとどめながら、句絶の効果を如何なく発揮している。

臼田亜浪はある日の句会で、不治の病にある孋無公が句集を出したがっていることを大野林火から聞く。「私は―――句集を出してやること、それは今の場合、彼への唯一の慰めである。そしてそれは、俳壇的に観ても意義が存する―――ことに気づいたのである。」(『湖におどろく』序文より)。かくして亜浪指導の下、林火を中心に句集の準備が進められた。収録句数923句。逆年順という珍しい排列は、関東大震災後から最晩年まで加速度的に光度を増していった句の、最も美味なる部分から読むことができる。句集上木は孋無公の生前に間に合わなかった。しかし後世に貴重な一冊を遺した事は確かである。亜浪の「俳壇的にも意義が存する」という慧眼に、いまは一読者として感謝するのみだ。それにしても孋無公の句集がこの一冊しかないことが残念でならない。私は、『湖におどろく』自序の中で俳句について語られた次の言葉を噛み締めながら、38歳という短い生涯を心より惜しむのものである。


これ程世の中に真であり、善であり、美であるものがあらうか。
飛鳥田孋無公『湖におどろく』自序より


とかげの背わが目まばたく間もひかり
くちぶえにかかはらぬ水鳥白し
あまりつめたきまなこよ草の萌ゆるみち
唯とろりとす春昼の手紙焼き
クローバや雨の焚火が雨焼いて
寝返りはよきもの蜻蛉は空に
月さすや萍の咲きをはる花
かげながす案山子の淡きすがたかな
もつ本の寒さはおなじ電車かな
炎天や人がちいさくなつてゆく
春の雪うけんとす受けとまりけり
草一本の凍らぬ花を町に見し
人ごみに誰れか笑へる秋の風
霧はれて湖におどろく寒さかな

(『湖におどろく』昭和8年刊。『現代俳句大系 第一巻』所収)

2015年4月14日火曜日

人外句境 13 [川上弘美] / 佐藤りえ



人魚恋し夜の雷(いかづち)聞きをれば  川上弘美


「人魚」は季語ではないが、ところで人魚にふさわしい季節はいつだろうか、と考えると、やはり夏か…と思うところがある。

春先のぱやぱやとした海に人魚が浮かぶ情景にも趣がないでもない。

秋の海から枯葉にまみれた人魚が顔を出すのも、思い浮かべることはできる。

冬の凍てつく海に人魚はどうしているだろうか…などと考えるのもまた一興ではある。

しかしやはり、人魚には夏、ではなかろうか。

むっとした夜気にまぎれた生臭さ。夏の嵐のあと、海岸に打ち上げられた半人半魚を見つけたら…と、妄想は果てなく続く。

掲句では夜の雷を聞いて人魚を恋しがる、という景が詠まれている。

川上弘美には人魚を題材にした短編がある。文庫『神様』所収の「離さない」がそれで、登場人物エノモトさんが南方へ旅をした際に「まぐろよりは小さく、鯛よりは大きい」人魚を偶然見つけ、自宅へ持ち帰って(連れ帰って?)しまう話である。

この作品中では、人魚は人をひきつけ、自分の側から離れられなくさせる能力を有したものとして描かれている。浴室に人魚を飼ったエノモトさんは部屋から出られなくなり、危機感を抱いた彼から人魚を預かった「私」も同じように、会社を休み、人魚のいる自宅に引きこもるようになる。

ついに意を決した二人が人魚を海に帰すと、人魚ははじめて口を開き「離さない」と呟く…。

掲句を読んでまずはこの話を思い出した。異形の者のなかでも半身に人の形を持つ人魚は、それゆえに近しさと悩ましさを併せ持った存在である。

ローレライしかり、人魚姫しかり、共存のかなわぬ間柄だからこそ、惹かれてしまうという矛盾。あやうい距離感が、人魚の魅力の一面だと思う。


〈『機嫌のいい犬』集英社・2010〉

2015年4月13日月曜日

今日の関悦史 1 /竹岡一郎



官邸囲み少女の汗の髪膚ほか    関悦史


「ケア 二〇一四年六月三〇日・七月一日」(「週刊俳句」第376号、2014年7月6日)より。

集団的自衛権反対デモに取材した十二句の連作の一句である。こういう社会運動を描写した作品は、私の属する結社「鷹」では親しいものであって、その代表は「鷹」創始者・藤田湘子の第二句集「雲の流域」(昭和三十七年、金星堂)に収められた、砂川闘争の連作であろう。「砂川 支援労組の一員として十月十一日早暁より砂川基地拡張反対闘争に加はりたり」という前書付である。

幾つか代表句を挙げると、

鵙の下短かき脚の婆も馳すよ      藤田湘子
農婦の拍手われらへ激し黍嵐      同
闘争歌ジヤケツがつゝむ乙女の咽喉   同
高度成長期という時代のせいか、或いはインターネットといういわば「渾沌たる正義」がまだ無かったせいか、関悦史と比べると、表現は直截で素直である。

社会性俳句にどれだけの普遍性があるかという判断は、時間の経過に掛かっているのであって、十年後、二十年後にどれだけ古びるか、どれだけ手垢が付いた類句に埋もれるか、というのが一つの基準であろう。十年後、二十年後なら、まだ当時の状況を理解できるのである。戦後七十年経っても、第二次世界大戦に関わる句が共感を呼ぶのは、まだ当時の経験者が存命し、その語りを聴いた者達が存命しているからである。これが百年後、二百年後となるとまた状況が違って来て、もはや誰も当時の状況を如実に聞いたことがないという場合、残る判断基準は、その句に詩的感興があるかどうかだけとなる。

関悦史は「共感の罠を避ける」(「俳句四季」2015年2月号)と題した攝津幸彦論において、攝津の俳句を『これは俳句が社会を相手取りながらそれに呑まれることなく、「共感」の罠を避けて、詩として斜め上に勝ち上がってしまった稀有な例と言えるだろう。』と記している。攝津のような非意味によるか、或いは幻想的にその本質のみを摑み出すか、或いは藤田湘子のように素朴に直截に詠うか、方法は作家それぞれであろうが、関悦史もまた、社会性俳句が如何にして時の流れに耐え得るかという問題に苦闘していると思う。

さて、掲句であるが、「官邸」という言葉が百年後に理解できるかどうかという点を除けば、充分な詩的感興はあるように思われる。

官邸というのは言うまでもなく、政権の象徴であって、目に見える国家権力である。官邸を囲むのは、決して少女たちだけではないのは、末尾の「ほか」に表わされているのだが、先ずイメージされるのは、少女の群であろう。汗ばんだ、或いは汗だくの少女たちである。少女とは、権力に対して無力な、暴力の世界においては更に無力な者であり、その思春期のほんの数年が永遠のように錯覚されるほど美しい者の謂である。もっと言うなら、「妹の力」、日本では古来、神を降ろす無垢の器として、時に崇められ、時に奉げられた者の謂である。天照大神が女性である事をも想起する。

少女と呼ばれるその者達が、俗世の汚濁に最も塗れねば生きていけぬ政治家という人種の、その代表者の棲家「官邸」を囲む。掲句では、世間的には無力な美しい神々が、世の地獄或いは深淵を囲んでいるのである。(基督教において、悪魔を「この世の君」と呼ぶ。悪魔こそがこの世の君主、という意味である。基督教に限った事ではない。人類史上、常にそうであった。ならば、あらゆる政治家は、その性情が如何に善良であろうとも、職業の性質上、その地位が上がれば上がるほど、どこかで世の地獄或いは深淵と手を結ばざるを得ない。)

掲句では、「汗の髪膚」と、少女の具象をその髪と肌にクローズアップしていることから、若々しい不安定なエロスが匂い立つのだが、その匂いは人間における山河の匂いとでもいうべきものであって、日本の神々が自然神と重なることを思うなら、神々の匂いが官邸を囲んでいるのだ。

こう読んだときに、掲句は超現実的であるか。むしろ現実を詠もうとして、その現実の背後に潜む神秘性を表現してしまっているのだ。それが詩人の特質であろう。

「ケア」には次の秀句もある。

怒り静けき地帯滝ほど怒鳴る地帯
「怒り静けき地帯」と「滝ほど怒鳴る地帯」は二物衝撃のようでいて、実は同じ念の渦巻く、陰の領域と陽の領域を表現している。今はこれをデモの描写として読む事が出来るが、百年後にこれを何の予備知識もなしに読めば、戦争、あるいはレジスタンスの描写と思うかもしれぬ。或いは、何か霊的なものの渦巻く因果の地の描写と読むかもしれぬ。そして「滝」とは、例外なく霊的な場なのだ。

いずれにしても、ここから感じ取れるのは、人間の群の思念の渦である。デモという臨場性のある現実を描こうとして、結果としてデモを発生させている思念の渦巻のみを摑み出しているという点において、詩的な抽出に成功している。それは「地帯」という、およそ人の群の描写には使われぬ語の手柄でもあろう。この語によって、怒りという思念も、怒鳴るという「思念の現れ」も、繁殖する植物のような趣を持つ。

汗や地下を嗄れし喉として帰る
ここでも、或る抽出が行われているのであって、それは自らを、またデモ参加者たちを「嗄れし喉として」という、ユーモラスで不気味な表現により特化している事である。帰路につく人々の情景に、叫び続けて疲弊した喉だけが地下を進んでゆく情景が二重写しとなり、それがある切迫した疲労感を浮かび上がらせている。仮にこれがデモの句と判らずに読まれたとしても、「嗄れた喉」は勿論叫び続けた喉であり、何の為に叫ぶかといえば訴える為であり、そして人間が喉嗄れるほど叫んで訴えるのは正義であると、昔から決まっているのだ。(しかし、私は、民衆の正義を、国家の正義や民族の正義と同じく、信じない。ただ、正義に殉ずるさまの美しさにのみ感ずるのである。)

高みからの演説による喉の嗄れでない事は、地下を帰るからである。「地下」とは地下道か地下街であろうが、それを「地下」と表現する事により、為政者側或いは勝者側でないことは想像できよう。為政者或いは勝者ならば、意気揚々と地上を帰るからである。

句のリズムが功する処も大きい。上五の字余りと、上五の半ばで「や」とつんのめるように切字を入れる様、下五のやはり字余りと「と」と中七から躓くように続く様、全体にぎくしゃくとしたリズムが、疲弊に満ちた帰路の歩みをそのまま表している。

仮に片仮名でそのリズムを表わすなら、

アセ」ヤ」チカヲ」シワガレシノド」ト」シテカエル」

鍵括弧部分が、帰路の足取りが躓いている箇所である。

或いは、「嗄れた」を「カレタ」と読むのなら、中七の字足らずはやはり、つんのめるような足取りを表わすであろう。

アセ」ヤ」チカヲ」カレシノドト」シテカエル」

今掲げた三句が「ケア」の白眉であって、他の例えば「舗道は主権者ひしめき団扇拾ひ得ず」や「万の主権者と警官隊に夜涼のヘリ」や「法治国家の忌の涼風が群衆に」などは、かなり生硬な詠い方であろう。こういう生硬さ、つまり、ナマである事を観念的とか、こなれていないとか批判する事は容易であるが、むしろ批判を予期しつつも敢えて詠った勇を評価したい。なぜなら、社会性俳句というものが、その動機においてナマであるからだ。ナマである理由は、社会性俳句が、稚拙で観念的で且つ根底において正義を求め勇をふるわんとする人間という生き物そのものを抉り出すからだ。そして、ナマだろうが何だろうが、とにかく詠い続ける先にしか、先に挙げた少女の句、地帯の句、喉の句のような白眉は生まれ得ない。

今一度、主権者の句に戻ると、こなれていないように見える最大の要因は「主権者」という言葉が観念的に見えるという事であるが、なぜここで「民衆」という、共感を与え易い、耳慣れた語を使わずに「主権者」という語を使ったのかは、考えるべきだろう。

「ケア」の集中に、「広場なき国主権者蛇となり巻きつく」という詩的な句があるからである。この句においては「主権者」という語は、漸く或る普遍性を持ち、詩として昇華しているように思われる。

この句の上五、「広場なき国」に籠められた二重の皮肉を考える。一つには、民衆の集結する場所がないという皮肉であり、もう一つは「赤の広場」や「天安門広場」を思うとき、「広場ある国」においても容易に弾圧は行われるという皮肉である。

「蛇」とは、デモ隊のうねり、それを構成する人々の念のうねりの表現である。「蛇」はまた、首都に堆積した歴史のうねりでもあり、地祇神をも想起させる。そして、主権者は何に巻きつくのか。何に、という対象が示されていない以上、主権者は実際には触れ得ないものに巻きつくと見るのが妥当であろう。主権者は、具象を持つ物体又は個人、つまり官邸や総理大臣に巻きつくのではなく、国家や政権という概念に巻きつくのである。

なぜ「主権者」という言葉を使ったかといえば、それが法律の用語であり、国家の主権は国民にある、という憲法の条文を想起させるからであろう。主権者の句群において詠われる論点とは、「民衆の正義」という多分に情感に満ちた曖昧なものではなく、(民衆の正義というなら、かつてナチスを、あの論理的なドイツ国民が熱狂的に支持したのである)、憲法として記される条文の存在である。此の世に完璧な正義というものが存在しない以上、一国内における正邪の判断はその国の憲法を基とするより他ないからだ。

そして、人間はどうしても正義が欲しい。正しく義人として生きたく、意味のある死が欲しい。一方、人の世に完璧な正義が有ったためしは無い。此の世に有る限り、無いものねだりをする、それが人間の煉獄である。

デモの句を取り上げた以上、やはりここで集団的自衛権について、意見を述べねばならないのだろうか。私は、ぐしゃぐしゃと考える。一国における正義ということを考える、憲法遵守という理念を。一方で、自国の空母も大陸弾道ミサイルも持たぬ国が、米国の核の傘に守られるための代償ということを考える。では、強力な軍を持てば良いのだろうか。三つの軍事大国を相手取って、果てしない軍拡競争を続ければ、競争し続けている間は、危うく平和でいられるだろうか。或いは、軍需産業によって各国の軍の需要を充たし、武器商人として生き残りを図れば良いのだろうか。

此の世には存在し得ない穏やかな正義、如何なるときにも平和と両立する正義を夢想し、一方で、国が生き延びるための身も蓋も無さを見る。地獄の覇者に連なるために、他国に地獄を作り出さざるを得ない業を考える。

靖国を思い、遊就館を思い出す。館内に七十年変わらず充ちる悲愴さを思う。個々の兵は国際政治の為に命を賭けたわけではなく、国土即ちふるさと或いは家族、友垣、恋人の為に、命を賭けたのだ。

英霊の遺書の数々を思い出す。一人一人の遺書を読み返してみる。同時に、中東の砂漠で、大国の為に、何の恨みもない国の兵と戦わねばならぬ自衛隊員の姿を想像する。それは有り得る事である。その姿を思い描く時、自衛隊員は「自衛隊員という概念」ではなく、ある年齢に達し、ある背丈と面貌を持ち、先祖や家族と繋がり、喜怒哀楽を抱いて、兵器ではなく人間として呼ばれる、独自の名を持つ個人の姿なのだ。

「自衛隊員」と一括りにされる個々の人間の、それぞれの戦闘の様を見て、靖国の英霊はどう思うだろう、と考える。

兵が国家に属する限り、兵には戦争か否かの選択権はない。何の為に、誰の為に、なぜ戦うのか問う権利は与えられず、だから兵は黙っている。何処の国の兵でも同じである。その悲痛さを考える。兵の、吐くことの出来ぬ心情を考える。

社会性俳句とは、「身の丈を知らない」句の、代表の一つである。俳人という、権力的には全く無力な者が、世界の地獄を詠い、天下国家を批判し、五七五で「この世の君」の不条理に刃向かう。
詠うのは、どうにかして寄り添わねばならぬ、と志すからだ。その対象が、生者であれ、死者であれ、その無念に寄り添い、無念を共にしようとする。それが社会性俳句の動機であろう。




(注)英霊の遺書を読みたい方には、「私の遺書―アジア太平洋戦争」(NHK出版、1995年刊)をお勧めしたい。330通の遺書が収録されている。現在は絶版であるが、アマゾンで古本が入手可能。こんな貴重な本をなぜ絶版にしたままでいるのか、理解不能である。

2015年4月12日日曜日

貯金箱を割る日 25[古庄薫] / 仮屋賢一



予約した鼓動と走る春一番  古庄薫

 「予約」という言葉が、いちばん不思議。ふつうの生活だったら、「予約」は現実的で堅実な行動。でも、そんな卑近なイメージ、この作品中の「予約」には漂っていないんだよなあ。「予約」って言葉、他に何で見たっけな。

そうだ、「予約語」なんて言葉があった。プログラムを書くとき、変数の名前だったり、関数の名前だったり、何かと自分で定義して使うことが多い。あとで見て分かりやすいように、だいたい自由に名付けることができるけれども、使えない名前もある。あらかじめそのプログラム言語で意味が決まっている言葉だったり、紛らわしいから使えないようにしている言葉だったり。それが、「予約語」。プログラム言語に、その語の使用を予約されているようなイメージ。

なるほど、こんなイメージなのかもしれない。「予約」には、「自由に扱えない」というイメージもある。あらかじめ、プログラムされている、そのとおりにしか使えない。このくらいのイメージが、この作品にはぴったりだ。ただ、それは必ずしもネガティヴなイメージではない。「予約」という一種の制約により、却って広がる可能性の世界。

「予約」なんて言葉にこんな世界へ誘われるなんて、どんな言葉も侮れないな、と思わせられる。『春を探して』二十句中の一句。

《出典:『乙女ひととせ ver.2013』(同志社女子大学表象文化学部日本語日本文学科)》

2015年4月11日土曜日

今日のクロイワ 22 [中島斌雄]  / 黒岩徳将



讃美歌や揚羽の吻(くち)を蜜のぼる  中島斌雄

讃美歌にはその高音域も手伝ってか、天・上昇のイメージがある。大体に上五で切ってしまうことで、そのイメージが揚羽としっかりとぶつかった。しかも、揚羽蝶をズームで捉えているところに心を掴まれる。人間と生物の間に流れる時間の響き合いに身を預けたい。

<『光炎』(1949七洋社)所収>

2015年4月10日金曜日

黄金をたたく16 [遠山陽子]  / 北川美美



老人を老犬が曳く桜かな  遠山陽子

桜前線が北上している。Facebook、Twitterなどを通じての桜を見ていると、東京の桜がことさら豪華に見えるのはやはり、鑑賞用のソメイヨシノが江戸の発祥で、江戸期の河川の整備にともない桜、柳が植えられたことに起因しているように思う。爆発的人気となったのは、明治以降というのだから、そう古い歴史ではないのだ。今年はニュースで外国人観光客に桜が人気ということが取り上げられていた。歌の中の桜は、平安の時代から詠み継がれているが、桜の種類や歴史を調べることにより、意外にその読みの範囲が多義になることに気が付く。その年の桜を何処で誰と見ていたのか、というような想像、まさしくfacebook的な取り上げ方に興味が湧くかどうかというところだろうか。

掲句、作者はひとりでいるのかもしれないが、たまたま、老犬に曳かれる老人を見た。その背景に桜が咲いていたという設定。おそらく散歩のコースなので、公園や街路樹という場所だろうか。なので桜の種類はソメイヨシノと想像。

「老人を老犬が曳く」(言い換えれば、老犬が老人をリードしている)というのが面白い措辞であり、犬側からみると、それには2つの理由が考えられる。

(1)老人が一番のボスでないので犬がリードしているというケース。おそらく郊外の一軒屋に暮らすご老人で、一番のボスは老人の息子または娘。老犬が勝手に先を歩いて躾が悪いケース。

(2)同じく、郊外の一軒屋に暮らすご老人で、息子または娘の家族と同居だが、ご家族がご老人に対して尊敬と愛情をもって暮らしていらっしゃる、なので犬側が「俺がリードしなければならない」という使命感で先を歩いているケース。坂道を上っているのかもしれない。

2ケースとも、その状況設定が老人にとって幸せかどうかはわからないが、少なくとも傍若無人な老人ではなく、家族とともに多少遠慮がちに余生を送っている、という想像である。

筆者の暮らす地方のとある町では、「老人が老人を曳く」「老人が老人を乗せる」(元気な老人であれば人と集うのだが、ほとんどの老人は一人で手押し車を押している。)というケースが散見される。町の医師会の予測では、20年後にはその老人すらもいなくなる、市が存続するかどうかわからない恐ろしいデータが出ているらしい。ソメイヨシノであれば桜の寿命も同じくらいかもしれなく、なんとなくネガティブな想像もする。

それよりも掲句の老人が無事に帰宅できたのかが気になる。飼い主が倒れたり、緊急の事態になったとしても犬は勝手に帰宅するらしいので…、と余計なことばかり想像してしまう。それだけ人に勝手な想像させる効果が桜にあるからだろう。

《『弦響』2014年角川学芸出版》

2015年4月9日木曜日

 目はまるで手のように言葉に触れる 7[吉岡禪寺洞]/ 依光陽子




あめつちの中に青める蚕種かな   吉岡禪寺洞


蚕は昆虫だ。しかし人間の保護下以外では生き続けることは出来ない。何千年もの間、人に飼われ続けることで野生回帰能力失った唯一の家畜化動物、完全なる新種の虫だ。

蚕は生糸を生産する「普通蚕」と、種を遺すための「原蚕」に分けられる。原蚕は次代のために交配し産卵させられる。蚕の卵ははじめクリーム色で菜種に似ているため蚕種と言われ、出荷のため洗われ小分けにされた蚕種は催青まで保護される。孵化直前の状態が催青だ。それまで黒味を帯びてきた卵が青く透き通る。

あめつちの中、この世界の中で、数万の命が刻々と青みを帯びてゆく。良質の桑の葉に風の影響があるならば、外は轟々たる春の嵐かもしれない。天地一指、生命の誕生は劇的だ。

吉岡禪寺洞は明治22年福岡県生まれ。14歳で俳句を知り「ホトトギス」などに投句、30歳のときに「天の川」を創刊。昭和4年40歳で「ホトトギス」雑詠予選を任嘱されたが、その3年後から新興俳句運動に加わり、無季俳句の提唱、多行形式の試みを理由に「ホトトギス」同人を削除され、定型文語俳句と訣別し口語俳句協会を結成するに至った。掲句の収録されている第一句集『銀漢』は昭和7年刊。まさに禪寺洞が新興俳句へと歩み出した年である。つまり『銀漢』刊行は新しい一歩を踏み出すための過去の清算とも受け取れる。芝不器男、横山白虹、篠原鳳作、日野草城、橋本多佳子など禪寺洞の門を叩いた俳人の顔ぶれを見れば、その存在、影響力は大きかったに違いない。

今まさに産まれんとする夥しい数の蚕種の青は、俳句界における新興俳句の誕生の色であった。

うちまじり葬送凧もあがりけり
目刺焼いて居りたりといふ火を囲む
春の池すこし上れば見ゆるなり
衣更へて庭に机にある日かな
篠曲げて拙き罠や鳥の秋
椋の実を拾ふ子のあり仙厓忌
屋根の上に月ありと知る火鉢かな
日向ぼこ影して一人加はれり


(『銀漢』昭和7年刊。『現代俳句大系 第一巻』所収)

2015年4月8日水曜日

人外句境 12 [摂津幸彦] 佐藤りえ


雲呑は桜の空から来るのであらう  摂津幸彦

ワンタンを「雲呑」と表記するのは、まことに正しいことである、と思う。

食感、外観、存在感、どの点からしても「雲を呑む」ような食べ物であることに疑いはない。

材料からすると餃子とさして違わないようにも思うのだが、なぜこれほどまでにあえかな食物であるのか。

だいたい、分類すると何になるのか。飲み物なのか。包子の一種なのか。

カレーも飲み物になる時代である。飲み物といっては今一つパンチが利いていない。

しかし「おかず」としては、どうなのか。成分のほとんどは小麦粉、炭水化物になる。

成分だけならうどんも同然だ。もちろん具材があるから別なんだけど、そもそも正しい具材って何なんだ。

汁はラーメンスープと違うのか。「ワンタン麵」のワンタンは、メンマみたいなものなのか。

ラーメンどんぶりで供されるワンタンは、何になるのだ。


そんな不思議な存在である「雲呑」がやって来る場所として、桜の空は、これまたとても相応しい。

満開のソメイヨシノの花びらに紛れて、ひらひらと舞い降りる雲呑。絵になる。

端が風にそよいでいる姿が容易に想像できる。

お花見に雲呑、はどうしたらいいのか。魔法瓶に詰めていったらいいんじゃないか。

魔法瓶、などというと、イマドキの子供に笑われてしまいそうだ。

〈『摂津幸彦全句集』沖積舎・2006〉

2015年4月6日月曜日

黄金をたたく15 [上野ちづこ]  / 北川美美



不機嫌である特権 娘たちに  上野ちづこ

特に春を詠む句ではないが、春の気分に相応する。吹き出物が出る思春期はとうに過ぎても、我慢していたことが突出するような感情は、ことさら春に出やすいのではないか。ネガティブな感情は押し殺すべきだ、と思えば思うほど不機嫌になる。娘たちに限らず、人間に不機嫌である特権があってもいいのかとは思うが、社会生活の上ではやれパワハラ、セクハラ、モラハラという言葉と結びつき何かと問題視され、不機嫌になることにより自己に跳ね返ってくるものが予想外に大きい。感情がうまく処理できないことになると、有名な一文でいう、「とかくに人の世は住みにくい。」と感じることになる。かの『草枕』の冒頭部分も春に出来たのではないかと思う。

この句、「娘たち」に限って不機嫌の特権を与えているところが、さすがの後に社会学者として高名になる上野千鶴子女史の句である。「娘たち」とは未婚の出産経験のない女性たち(ただし20~30代くらいと想定しよう)のことだろう。娘たちはいつも笑っていること、にこやかなことが必須という社会的認識が我々に植え付けられていることが、句の作成から25年経過した今でも変わっていない可笑しみみがある。

「娘たちに」をいろいろ置き換えたらどうなるのか考えてみた。例えば、「妻たちに」「夫たちに」であったら恐ろしい離婚劇、「老人たちに」であれば、年金問題への反逆、さらに具体的な会社名、「マクドナルドに」とか「松屋に」としたら社会性俳句か?とも思える組織への反逆ともとれるし、もっと大きく「市民に」「国家に」とすると政治的感情と解することができる。「不機嫌」というのは恐ろしい人間の感情であることが味わえる。

現在、貧困という格差の狭間に息を潜めている「娘たち」がいることも確かである。そういう作者の先見の眼も感じる。作句時に「娘たち」のひとりであった作者の並外れた「知的な大人らしさ」が漂うのである。

娘たちよ! 大手を振って不機嫌になって、世の中を変えていってください。


減るもんじゃないし 感情の大浪費
からだという一つのうそをまた重ね
腐ってゆく貝とひとつ部屋に居る
むきみのあさりとなって悪戯(ふざけ)あう



《「黄金郷」1990年深夜叢書》


2015年4月5日日曜日

今日のクロイワ 21 [関悦史]  / 黒岩徳将


布団の横白馬現れ消えにけり    関悦史

常套な読み方としては、布団に潜っている人の夢の中に白馬が…と思ったのだが「横」に引っかかった。白馬なので、足音はしないと感じた。また、白馬は何匹が出入りしている気がする。寝苦しいのか、それとも意外にすやすや眠れるのか。

筆者の読みの世界の範疇にはなかった作品である。例えるならピーカブースタイルのボクサーの堅固なガードをすり抜けて打つパンチのようだ。

(GANYMEDE vol.63 50句作品「断片A」より)

2015年4月4日土曜日

貯金箱を割る日 24[ひで] / 仮屋賢一



点三つ並べれば顔万愚節  ひで

 異なる3点が決まれば、平面が決定する。異なる3点が決まれば、円が決定する。異なる3点が決まれば、放物線が決定する。異なる3点が決まれば、顔が決定する。
∵シミュラクラ現象

 「決定する」は言い過ぎだが、確かに「∵」は顔に見える。一度顔に見えたら、「∵」の本来の意味すら吹き飛んでしまうくらい、強烈だ。ボウリングの球の指を入れる穴が顔に見える、といった経験がある人も多いだろう。「人間の顔をした埴輪の絵を描け」と言ったら、多くのうろ覚えの人は、適当な輪郭に丸を三つ書くだろう。なんとも滑稽な顔が出来上がる。ほんとうは、顔には目と口以外に、鼻をはじめとして点で表せそうなものはいっぱいあるんだけれども、顔を表すには点三つで十分だ、なんていう人間の認識の不思議な部分がある。こういった、大きな発見を言っているようで、実は大したことのない、というよりナンセンスなようで、という絶妙な塩梅の事実の呈示が、「万愚節」という言葉と調度良く響き合っているのではないかな、と思う。「エイプリルフール」よりも、「四月馬鹿」よりも、「万愚節」って少し知的な滑稽さがある気がする。

 点三つ並べれば顔なんだけれども、そうやって出来た顔は誰の顔でもない。

∵そんな人、どこにもいないんだから。

《出典:『万愚節の結果発表|俳句ポスト365』(2015年4月5日閲覧)》

2015年4月3日金曜日

 目はまるで手のように言葉に触れる 6[山口誓子]/ 依光陽子




どんよりと利尻の富士や鰊群来  山口誓子


山口誓子の第一句集『凍港』の一句目に置かれた句である。

同句集には<唐太の天ぞ垂れたり鰊群来>が収録されており掲句よりも評価は高い。だが、第一句集の一句目に掲句が置かれていることに私は驚く。その句集の印象を左右する句として、普通の作者ならばもっと印象明瞭なスカッとした句を置くのではないだろうか。それが「どんよりと」を選んだのである。常軌を逸している。


利尻島は北海道北部、日本海にある島。その円錐形から利尻富士とも呼ばれる。稚内近くのサロベツ原野からその雄姿を見たことがあるが、端正ながら厳格な印象であった。その利尻富士が眼前にどんよりと見えている。季節は春。産卵期の鰊が北海道西岸に向って大群を成して押し寄せて来る。鰊曇ともいわれる空は雲が垂れるほどに重く、海は蠢いている。それら全体の濁りの中の利尻富士の尖った山容は厳しく凄まじい。


誓子は幼くして外祖父母に預けられ、離れて住む母の不慮の死の後、12歳の時に外祖父の移転先の樺太に迎えられ5年間を過ごしている。俳句はその樺太時代に始めた。と知るに、掲句は北海道側からの景ではなく、樺太側からの景と捉えるべきだろう。

さらに普通に考えれば「利尻の富士」という言い方はもたついている。しかし利尻富士をあえて「利尻の富士」と「の」を挟んだことで、恐らく突端の急峻な部分だけ見えているであろう利尻富士の見え方や「他ならぬ利尻の」という意味合い、鰊の大群の生命の迫力、波のうねりがたくましく伝わってくる。それらはどこか不気味で、まるで何かの予兆のようだ。同時に、この「の」は誓子自身の本土への心の距離感、ある種の虚無感を「どんよりと」という言葉に滲ませる。緻密な計算がある。


同じく春の句で<流氷や宗谷の門波荒れやまず>も少年時代の回想句。誓子は、宗谷の海峡をゆく汽船の船腹にぶつかった流氷のごつごつという音を忘れることができない、と著書『季語随想』の中で書いているが、そのごつごつという音は『凍港』の通奏低音として耳に鳴り続ける。

山本健吉に「近代俳句の黎明」と言わしめた『凍港』前半の句群には、「焦燥と流転」の境遇と辺塞詩的な特殊性が相まって形成された岩盤が横たわり、生涯山口誓子という俳人格を支える礎として在り続けたと思うのだ。


学問のさびしさに堪へ炭をつぐ

犬橇かへる雪解の道の夕凝りに

氷海やはやれる橇にたわむところ

郭公や韃靼の日の没るなべに

掃苔や餓鬼が手かけて吸へる桶

探梅や遠き昔の汽車にのり

日蔽やキネマの衢鬱然と

かりかりと蟷螂蜂の㒵を食む


(『凍港』昭和7年刊。『現代俳句大系 第一巻』所収)

2015年4月2日木曜日

人外句境 11 [辻桃子] 佐藤りえ


絵本すずしピーターラビツトずるしずるし  辻桃子

子供が寝つくまでの間に絵本を読み聞かせているようにも、夏の夜更けに大人がひとり絵本をめくっているようにも見える景。体感「すずし」が「絵本」にかかっていて、その措辞が実際読んでいて涼しい。

「すずし」と結句の「ずるし」が対応しているのも、ワザが目に見えながらも涼しく処理されている印象を受ける。


ピーターラビットといえば、擬人化されつつも控えめなデフォルメのキャラクターであることからか、金融機関のイメージキャラクターとしても採用されるなどしているようだ。

日本では福音館書店版の石井桃子訳が最もひろく読まれているのではないだろうか。

CFなどで見られる、ピーターが後足で立ち上がりレタスを食べる姿は可愛らしいものだが、作品の中での彼はやんちゃで、食べているのは主にお隣のマクレガーさん(人間)の畑から盗んだ野菜であり、トレードマークの青い上着は、野菜窃盗の際に置き忘れ、泥棒よけの案山子に利用されるなどの憂き目にもあっている。

水彩の透明感が活かされた画風で、愛らしいウサギたちが描かれているが、アナウサギである彼らは巣穴の中で生活していて、「家」として巣穴の様子も描写されている。しかしそこでは、ピーター兄弟の母ウサギが「鍋を火にかけて」調理をしているのだ。


この、現実とおとぎ話がミクスチャーされた感覚がなんともいえずおもしろい。


ピーターの可愛さへの嫉妬が「ずるい」と言わせているのか、絵本のなかのピーターの行動を「ずるい」と思っているのか、「ずるし」の理由は不明だが、この一語が「ピーターうさぎ」に対してのひとつの正しい見解であるようにも感ぜられる。


〈『桃童子』蝸牛社・1997〉

2015年4月1日水曜日

今日の小川軽舟 36 / 竹岡一郎



眼光ととほきひばりともとめあふ   「手帖」

 作者は野にあって、空に鳴く雲雀を見ている。「とほき」とあるから、空に響き渡る声がなければ遠い一点にしか見えない雲雀である。その一点の雲雀は、眼光鋭く求めねばわからぬ姿である。だから、上五を「眼光が」として、下五を「もとめけり」としても、一応景が立つ句であるのだが、そこで上五の末尾に「と」をおき、下五の末尾を「あふ」としたのが、さらなる工夫である。

作者の目は雲雀を求めている。だが、雲雀の方はどうか。雲雀も、地の遙かな一点であるこちらを見ようとしているのではないか。雲雀の目と自分の目は、或いは互いに相手の姿を求め合っていて、もしかしたら期せずして雲雀と自分の視線は交わっているのではないか。こう考える処に、雲雀の立ち位置から自分を見ようとする客観性が生まれる。単なる客観写生ではない。雲雀と作者と、二つの主観が合い交わる事によって生まれる客観性である。平成十七年。