2015年12月31日木曜日

人外句境 30 [高山れおな] / 佐藤りえ



初夢に踊り狂へり火星人  高山れおな

「初夢」が正月の大晦日から新年三日ぐらいのあいだに見る特別な、運勢を占う夢としてひろまったのは江戸時代ごろというが、起源ははっきりしていない。一富士二鷹三茄子、は家康の好物である、などという俗説も巷間には唱えられているようだがそれも定かなものではないようだ。さらに言えば、「宝船の絵を枕の下に敷くといい夢が見られる」ことは初夢とは別に発達(?)した風習なのだという。いろいろな思惑が組み合わさり、睦月二日の夜から三日の朝にかけてよい夢を見て、一年の幸運を得るために、宝船の絵を枕の下に秘す、というのが現在のスタンダードなまじないの一連だろうか。

掲句では、火星人が踊り狂っているのだという、初夢で。これはいったいどんな卦が読み取れる夢なのか。踊り狂う、と表されるその踊りは、ゴーゴーダンスのようなものだろうか。火星人のビジュアルはやはり『マーズ・アタック』に登場するような(というよりはほぼH・G・ウェルズ『宇宙戦争』のせいと言うべきか)おなじみのタコ型なのだろうか。地球人の夢が地球の事象に限定される謂われはない。なのに我々は現実空間に縛られすぎている。それにしても、これは途中で飛び起きてしまいそうな夢である。

句集『ウルトラ』には他にもラジカルな夢にまつわる俳句が登場する。「チチョリーナ」は世界初のハードコアポルノ女優出身の国会議員として90年代当時何度もニュースに登場した人物である(ググってみたら御年64歳とのこと)。

 昼寝せば額に釘打たるる恐れ 
 白鳥の首つかみ振り回はす夢 
 大根の畑を夢で拡げけり 
 チチョリーナの夢に見られて沖膾 
 早馬が夢の花野を過りけり

句集題『ウルトラ』は文字通りの「超」の意味はもとより、フランス王政復古期の極右反動の一派「超王党派」を意識しての命名である、とあとがきにある。超王党派の“天晴れな現実無視と時代錯誤の精神”とは、現代俳句そのものをある側面からまったく等身大に言い表しているように思えてならない。

〈『ウルトラ』沖積舎/1998所収〉

2015年12月24日木曜日

人外句境 29 [竹久夢二] / 佐藤りえ



チルチルもミチルも帰れクリスマス  竹久夢二

メーテルリンクの戯曲「青い鳥」は童話として親しまれているが、主人公のこどもふたりが青い鳥を探して巡るのは「記憶の国」「夜の宮殿」「墓の国」「森の国」といった暗示的なところで、冒険譚というよりは、もうはっきり哲学的な設定が色濃い。

掲出句では夢二本人がそれら国の住人となり、ふたりのこどもに帰宅を促しているようにも見える。「どこまで行っても幸福はないから帰れ」なのか…とは、物語の「鳥」を幸福のメタファとして限定しすぎた解釈になろう。進取の気性に富んだ夢二にして、そのようなオチをつけるのは違う気がする。自らのアメリカ進出の失敗を重ね合わせて…などと言っていくと、より道をはずれていきそうだ。ここは、クリスマスなんだから、家でお菓子を食べなさい、と言っているぐらいに取っておきたい。

「夢二句集」は竹久夢二伊香保記念館が発行した、夢二の全句をほぼ編年体で収録した一冊。掲出句は結核を患い入所した、富士見高原療養所での最晩年の作になる。

 押へれば花はなせば胡蝶かな 
 淋しさは牛乳壜のおきどころ 
 パレットに蛭のおちきて染りけり 
 今は昔星と菫があつたとさ 
 ふりあげし袂このまゝ羽根となれ 
 来て見れば拙(まづ)い男よ富士の山 
 梅の木はどこから見ても漢字なり

「押へれば花はなせば胡蝶かな」女性のことを詠ったと思われる作。「今は昔星と菫があつたとさ」は明星派への皮肉のようにも受け取れる。「来て見れば拙(まづ)い男よ富士の山」は「黒船屋」発表後の充実期、富士登山の折に詠んだもの。詩情ただようものからこうしたおどけた調子のものまで、多様な句を残している。

〈『夢二句集』竹久夢二伊香保記念館/1994所収〉

2015年12月20日日曜日

ノートは横書きのままで。3[武藤紀子] /  宮﨑莉々香



 
魚はみな素顔で泳ぐチェホフ忌  武藤紀子

 チェホフ忌といえば、中村草田男の「燭の灯を煙草火としつチエホフ忌」を思う。『俳句入門』(1971年角川学芸出版)で秋元不死男はこの句に対し、季感について考察している。「作者がこれらの句では季感表出を意図しようとしたのではなく、寓意と象徴をそれぞれ表出しようとしたからである。」

 掲句。アントン・チェーホフは有名なロシア文学の作家の一人であるが、文豪としての顔を持つ一方で複数の女性と関係を持つなどし、紳士的でない人間臭い一面も見られたとされている。人間らしく自分に素直に生きた、チェーホフの一面に、魚に対するしみじみとした発見を重ねあわせている。

<「圓座」2015年10月号所収>

2015年12月17日木曜日

人外句境 28 [小川軽舟] / 佐藤りえ



夕闇に冷蔵庫待つ帰宅かな  小川軽舟

一人暮らしの部屋にひとりで帰る。留守宅で待っていてくれる家財道具のうち、冷蔵庫はもっとも頼もしい存在と見なしてよいと思われる。一人暮らし用ではさほど巨大ではないかもしれない(2ドア、140センチほどの製品もあるし)が、通電して食品を冷やしていてくれること、人並みの大きさと存在感を有していること、扉を開ければ庫内灯がともることなど、実に頼りがいのあるものである。ここでの「冷蔵庫」は擬人化とみなすより、そのものが待っている、と受け取りたい。人には無理だが、冷蔵庫ならビールを冷やしていてくれる。腹の中で。

『掌をかざす』はふらんす堂のホームページ上に掲載された俳句日記をまとめた句集である。この日記は一日一句ずつ、きっちり365日更新されていくもので、2007年の東直子氏の短歌日記を皮切りに、年替わりで歌人・俳人が担当している。

句集の構成はホームページ掲載当時のままに、ページごとに一句とその日の短い日記が綴られている。こうした構成により、小川軽舟氏が当時単身赴任の独居であったこともわかった。句集からもう少し句を引く。

 爆竹を痛がる地べた春近し 
 梅散つてこの世のどこか軽くなる 
 白梅や死んでから来る誕生日 
 暗闇は光を憎みほととぎす 
 虫しぐれスターバクスの人魚照る 
 人間が人形に見ゆ冬の雨

「爆竹を痛がる地べた春近し」は春節の日の句。「白梅や死んでから来る誕生日」は虚子忌に詠まれた句である。「人間が人形に見ゆ冬の雨」は四谷シモン展を訪ねた日の一句。日記の記述と俳句との距離感もさまざまである。ページ一句組みの句集とはまた違った、歩調をゆるやかに読むことができる本である。

インターネットが一般に普及した、その開始時期をいつからと考えるか、定説といっていいほどに時期が定まっているとは思えないが、常時接続が広まった2000年代はじめ頃から、と考えたとしても、すでに10年以上の月日が流れている。通信速度の高速化、大容量化は進んだが、それによって詩歌の表現や伝播方法が大きく変質したのかというと、そうでもないのではないか、と、実感に照らし合わせて考える。

情報量が増えたとはいえるが、詩歌の見せ方そのものはインターネット黎明期と大きく違ってはいないのではないか。特に新しい技術を要しているわけではない、短歌日記、俳句日記といったコンテンツが今成り立ち、紙の本へとゆるやかにつながりを見せているのは、毎日更新する、という書き手と編集側の地道な努力によって培われているものである。
何ができるか、どうするか―と、「何を見たいか」が如何に噛み合うか、なのだろうか。短歌日記、俳句日記には即時性と一貫性の綾があると思う。

〈『掌をかざす』ふらんす堂/2015所収〉

2015年12月13日日曜日

ノートは横書きのままで。2  [藺草慶子] /  宮﨑莉々香




夏めくや何でも映すにはたづみ  藺草慶子


 この冬に、藺草慶子氏の第四句集がふらんす堂から刊行された。「いづこへもいのちつらなる冬泉」の一句が本の帯に大きく印刷してある。季節は「冬」だが、夏の俳句をひとつ。

 「にはたづみ」は雨が降って、にわかに地上にあふれ流れる水のことであり、枕詞でもある。要するに水溜りのことであるが、にはたづみに対する「何でも映す」が実に清々しい。最近気になっていることは、別誌文章にも書いた通り、副詞の使い方である。「何でも」は「映す」という動詞に対してプラスの方向性に掛かっている。夏のはじまりの晴れ晴れとした景色に「何でも」が呼応していくのである。

<『櫻翳』2015年ふらんす堂所収>

2015年12月10日木曜日

人外句境 27 [藺草慶子] / 佐藤りえ



たましひも入りたさうな巣箱かな  藺草慶子

何年か前の夏、短い避暑として清里高原を訪ねた。清泉寮に泊り、翌朝は周囲の自然歩道を散策した。歩道から見える森の中だけでなく、施設の近辺にもリスや野鳥のための巣箱がちょいちょい設置されていた。8月なかばでも標高1300mの朝夕はかなり涼しい。掲句を見て思い出したのは、高原の森のかたすみに設えられた巣箱だった。

いつか自分のたましいが入ろうというのか、そのへんにただようたましいが入ってしまいそうに居心地のよさそうなものなのか。たましいの「容れ物」としての巣箱は静かな空間を思わせる。鳥のなかには以前の住人(住鳥か)の巣材が残っているところには巣作りをしないものもいる。空き家が増加し続けるかつてのニュータウンに住む身からすると、人間の「巣」は地上の愚かな残骸だよなあ、という思いがする。

掲句の収録されている 『櫻翳』は今年刊行された著者の第4句集。静かな視線が投げかけられ、五感の用いられ方がじわっと後からきいてくる印象がある。句集からもう少しひいてみる。

 十人の僧立ち上がる牡丹かな 
 わが身より狐火が立ちのぼるとは 
 納めたる雛ほど遠き人のあり 
 火の映る胸の釦やクリスマス 
 額づけば海の匂へる踏絵かな 
 白靴や奈落といふは風の音

「わが身より狐火が立ちのぼるとは」あまり驚いていないように見えるところが愉しい。何かが出そうで、出たと思ったら狐火だった、まあ、ぐらいの肝の据わった感がある。「納めたる雛ほど遠き人のあり」、憧憬、距離感の喩として年に一度取り出す「雛」が用いられている。ここでの「雛」は不滅の存在でもあるように思う。

〈『櫻翳』ふらんす堂/2015所収〉

2015年12月6日日曜日

ノートは横書きのままで。1 [石田郷子] /  宮﨑莉々香



 かへりみて冷たき空のありにけり  石田郷子


 「空」を詠んだ俳句はたくさんある。青空、大空、季節の空。なんども同じことを詠んで、そのなかで一番いいものが生み出せたらそれでいいよう思って、今日も空がわたしの前にあるなあ、と思って、俳句ノートをひらく。

 わたしたちは「冬空」として空を認識することはなく、おそらく「空」として空自体を見る。 振り返り一瞬で冬空を感じることはない。ただゆっくりと、奥まで澄みきった「空」を認識し、それから「冬空」としての「空」をたしかめていく。「冷たき」は「空」を修飾しているので、もちろん空が寒々としていると見ることができる。一方で、作品の主体自身も「つめたさ」をからだに感じていて、身体的な寒さを追うようにして空がひらける。自身の感覚を通して「空」を「冬空」と捉えているようにも考えられる。

 振り返る行為はあらためるニュアンスを含む。いつも目にしている空だが、あらためて見ると違って見えた。それはただの「空」でなく「冷たい空」だったのだ。


<『草の王』2015年ふらんす堂所収>

2015年12月3日木曜日

人外句境 26 [髙橋睦郎] / 佐藤りえ


大凧の魂入るは絲切れてのち  髙橋睦郎

畳一畳、とまでいかなくとも、大ぶりの凧を上手に揚げるには力とコツが要る。紙であるのに、上手にあがった姿はおのずから自由に動いているふうにも見える、凧は単純にして愉しい遊びである。
おのずから動いているふうに見える、けれども、凧の魂が呼び覚まされるのは、糸が切れ、人間の力の及ばぬところとなった後だという。重力にしたがってあとは落ちるばかり、そこに凧の自由?がある。落ちるばかりなどというのは、人間の側の小賢しい見方であって、凧揚げなどというものは、そもそも人間側は「揚げさせていただいている」のかもしれない。空に行かねばならぬ、という、凧の意思に操られているのはこちらの側ではないのか。

『稽古飲食』は前半部分が句集『稽古』、後半部分が歌集『飲食』となっている句歌集である。飲食にまつわる短歌のみの歌集『飲食』を上梓しようとしたところ、安東次男氏のすすめにより句集と対にする仕儀となったことが巻末の「佯狂始末」に綴られている。
句集部は八百万の神を引き合いに出すまでもなく、あらゆるものの声が、昼夜も明暗もいとわず、そこかしこから聞こえてくるような、季感と人事の間隙をすくいとったような句が並ぶ。「何」とも名の知れぬ、この世のものかどうかもわからない何者かの気配が、読み進む合間にすっ、と感じられる。

黴の秀の靡きに二百十日來る 
山梔子のくたるるもなほ奢りかな 
ななくさや落ちて暗渠の水のこゑ 
世阿弥忌のこの波がしらいづくより 
大甕に湛へて後の無月かな 
早乙女が足もてさぐる泥の臍

一方、歌集部は悉くデモーニッシュな世界がつらぬかれ、濃味についついページがすすむ。

うちつけに割つてさばしる血のすぢを鳥占とせむ春立つ卵
食慾も性慾も過ぎずは浄し然言へ過ぐるゆゑ慾とこそ
飲食の入り來る道の反(かへ)りをば出で行くなれば腥し言葉
蓮食ひのうからならねどこの頃や穴(あ)開きしごと繁(しじ)に忘るる

一冊の書物の、前半と後半のコントラストの妙を味わう、などという生易しい惹句が跳ね返されてしまいかねない、しかし何か癖になる、中毒性のある本である。

〈『稽古飲食』不識書院/1988〉