2025年6月9日月曜日

DAZZLEHAIKU82[ふけとしこ]  渡邉美保

   夕顔別当薄闇に翅使ふ     ふけとしこ

 

 「夕顔別当」という美しい名前にふと立ち止まった。夕顔別当とはどういう役職?どういう人物?源氏物語の「夕顔」と関係あるの?などと素朴な疑問。その夕顔別当が薄闇に翅を使うというのは一体・・・。

 広辞苑によると「夕顔別当」は蝦殻天蛾(エビガラスズメ)の異称とある。夏の季語で、歳時記ではエビガラスズメのほかに背条天蛾(セスジスズメ)のこともいうとある。茶褐色や灰色、不気味な模様をもつ大きな蛾(翅の開帳9~10センチ)で、夜行性なので、夜咲く夕顔に蜜を求めて飛んでくる蛾とのこと。人に疎まれることの多い蛾であるが、優雅な命名である。

 夏の夕暮れ、薄闇に白く浮かぶ夕顔の花、そこへどこからともなく飛んできて花の蜜を吸う夕顔別当。長い口吻を持ち、翅を素早く羽ばたかせることで空中に静止することができる。花には止まらず空中に漂いながら夕顔の蜜を吸う姿はまさしく「翅使ふ」、高速の翅使いであろう。

 掲句には描かれていないが、薄闇にひっそりと咲く夕顔の花があり、夕顔別当がいる。その情景にある陰翳と寂寥。どこか幽玄の世界を思わせる。夕顔別当は、薄倖な夕顔の前に現れる貴人の化身かも知れない。

〈『香天』79号(2025年/香天の会所収)〉  


2025年3月3日月曜日

DAZZLEHAIKU81[中村堯子]  渡邉美保

 海苔炙る裏返したき雲もあり   中村堯子


 「海苔」は新海苔の収穫期が春先ということで、春の季語になっている。「海苔炙る」という情景はとてもなつかしい。ガス火ではどうも炙りにくく、

 我が家では、電熱器(電気コンロ)を使っていた。電熱器に近づけすぎると焦げるので、少し遠火で炙るのだが、片面に火が通ったら海苔を裏返して反対側もさっと炙る。炙る過程で黒紫の海苔の表面は、やや緑がかり、磯の香があたりを包む。ぱりぱりの海苔と温かいご飯。もうそれだけで至福のひとときである。

 とはいえ、掲句、「海苔炙る」のおいしそうな情景は、突如「雲」へと飛躍する。大胆な展開は読み手の意表を突く。なんで雲? あの雲も、この海苔のように軽やかに裏返せたらどんなにいいか・・・。裏返したき雲とは、心に覆いかぶさる重苦しい雲なのか、あるいは、春の空に薄く広がる、淡い白色のベールのような巻層雲かもしれない。後者の方が楽しそう。

 地上から見上げてばかりの空の雲を裏返したいという希求、その豪放さに惹かれる。


〈句集『布目から雫』(2024年/ふらんす堂所収)〉


2025年1月28日火曜日

DAZZLEHAIKU80[嵯峨根鈴子]  渡邉美保

ひろびろとつかふ夜空や六の花   嵯峨根鈴子


 「六の花」は雪の異称。六角状に結晶する形から六の花(むつのはな)、六花(りっか)などと呼ばれる。

 さえぎるもの何ひとつない、広くて深い夜空から雪が降る。雪はゆったりと間隔を大きくとりながら、地上へと降りてゆく。そして雪の結晶は、徐々に大きく、六角形の花となっていくのだろう。

 夜空と雪だけの静謐な世界なのだが、「ひろびろとつかふ夜空」の表現から、雪が意志を持って、夜空をひろびろと使っているように感じられ、六の花のひとつひとつが生き生きと弾んでいるかのようだ。雪の結晶の精緻な美しさが目に浮かぶ。

 作者もまた、六の花のひとつとなって浮遊し、冬の夜空を堪能しているところではないだろうか。そんな場面を想像する。

 

『ちはやぶるう』より冬の句を。

 風花や青空映す水たまり      嵯峨根鈴子

 寒晴や仇の如くガム嚙んで

 大寒のかあんと消火器が倒れ

 汚れてはならぬ兎よてのひらよ

 狐火にぴつたりの尾を選びけり

〈句集『ちはやぶるう』(2024年/青磁社所収)〉