2015年8月18日火曜日

人外句境 17 [中山奈々] / 佐藤りえ



防湿のパンドラの匣百日紅  中山奈々

 そもそも、プロメテウスが火を盗まなければ、パンドラの箱とパンドラはエピメテウスの元に差し使われることもなかったのか。そんなこともなかろう、と思う。嫉妬深く、「いらんことしい」のゼウスのことである。そうでなくとも何か別の機会に、なんかかんかの理由をつけて、パンドラの箱を地上に送りこんだに違いない。
 パンドラの箱の中味は「厄災」であるという説と「祝福」であるという説がある(ついでにいえば箱か壺か、という説もある)。いずれにしろ持ち重りのするやっかいきわまりない中味だ。完全に道具としてしか見られていない感のある「匣」の側にも言い分があれば、もっと違うものを入れてもらいたいんじゃないか。いい匂いのする果物とか種とか、宝物とか。箱を開けさせたのは箱そのものの意思ってことはないのだろうか。「こんなの入れておくの嫌です」と電波的なものを出したとか。
 パンドラの箱が防湿だったら、地上はもう少しさらっとした世の中だったろうか。蓋をあけ、中をのぞき込んだところで「むあっ」とするのが多少軽減されただろうか。箱から飛び出した諸々は、もう少し軽やかに飛散していっただろうか。
 掲句の「パンドラの匣」は、どうにも自宅にしまってあるふうに思える。ウチのは防湿で、まだ開けていないんですよ。百日紅の繁茂する陰で、ひっそりしまわれた匣がじわじわ恐ろしい。

〈「セレネッラ」第四号/2015〉