2015年8月5日水曜日

目はまるで手のように言葉に触れる 19[軽部烏頭子]/ 依光陽子




みとりゐの蚊帳つられあり白き蚊帳  軽部烏頭子


「みとり」と題された連作の中の一句目。連作を総括した次のような前書きがある。

託されたるみどりごのいのちあやふければとて或夜修道院に聘かれける

修道院に託された嬰児。この子は、この世に生まれた祝福も受けず、愛情の日溜まりの中で微笑むこともなく、今その短い命を終えようと蚊帳の中で小さなからだを横たえている。作者の目に映ったものは、ただ白い蚊帳だ。ここには医師としての目はない。ただ俳人としての眼があるばかりだ。客観写生の、なんという厳しい事実描写だろう。

全句引く。

みとりゐの蚊帳つられあり白き蚊帳 
かかげ給ふ蚊帳も十字架(クルス)もゆらめける 
蚊帳せばく合掌の人たちならぶ 
白き蛾のきて合掌の瞳をうばふ 
白き蛾にささやかれしは伊太利亜語 
合掌のもすそに白き蛾を見たり

蚊帳の白と引き合う蛾の白を俳人の眼は捉える。蠟燭の灯に来た蛾は暴れ飛び、合掌する人々の瞳まで奪う。聴こえてくるのはイタリア語。カトリック総本山、バチカン市国をいただくイタリア語の響きが天国へと導く音楽のように囁かれ、蚊帳も十字架も揺らめく。先ほどまで荒れ狂っていた蛾は、魂が肉体を離れる時を知るかのごとく、蚊帳と一体となってその裳裾にひたと留まっている。

この「みとり」6句の連作を、烏頭子にとっては旧友であり、また彼が兄事した水原秋櫻子は「これを読まずして連作を語るべからず」と書いた。連作俳句を手段として新興俳句運動が発展していた時期である。中学から東大医学部まで同期であり、特に一高時代は寄宿寮の同室で二年間を共にした秋櫻子と烏頭子。秋櫻子に従い「ホトトギス」を離れ「馬酔木」に拠った烏頭子は終生主宰誌を持たず、「沈黙の指導者」と称されたという。

掲句を含む軽部烏頭子の第一句集『樝子の花』の跋文の中で秋櫻子は、感情の純なる美しさ、表現の正確さ、調べの巧みさを挙げ、「これほど美しい俳句には無論現代に於て比肩するものはない。過去の文献をさがしてもたしかに類を絶してゐる」と賛辞を送っている。この美しさは耽美さではない。俳句でしか言い得ないことを、過不足なく正確な言葉で、しずかな心の眼で書きとめる。全てに抑制が効き単純化された美しさ、それが烏頭子の魅力だ。
(ちなみに『樝子の花』は石田波郷に依る編輯である)


日曜の庭にひとりや春の雷 
まつはりし草の乾ける跣足かな 
触れてゐる草ひとすぢや誘蛾燈 
蓮の中あやつりなやむ棹見ゆる 
とんぼうや水輪の中に置く水輪 
鳴きいでて遠くもあらず鉦たたき 
片頬なる日のやはらかに晩稲刈 
返り花まばゆき方にありにけり 
夕立のはれゆく浮葉うかみけり 
後れたる友山吹をかざしくる 
いなづまに白しと思ふ合歓の花 
舟ぞこに鳴りて過ぎしは枯真菰 
をかまきり贄となる手をさしのぶる

(『樝子の花』昭和10年刊。『現代俳句大系 第2巻』所収)