骨壺を抱いてゐさうな日傘かな 北大路翼
日傘は「専ら女性がさすもの」と書かれた歳時記がある。ここでも女性のさしている傘と思いたい。
古日傘われからひとを捨てしかな 稲垣きくのという句があり、
まへをゆく日傘のをんな羨しかりあをき蛍のくびすぢをして 辰巳泰子
という短歌もある。ひとを捨てる決然とした女、女に羨ましがられる女。日傘を手にした女はなにかを増幅させるものなのか。
「骨壺を抱いて」そうな、は骨壺のように見えるものを持っているのではなく、それが似合う、またはそういう雰囲気である、という比喩だろう。簡潔にいえば未亡人ぽい、ということになろうか。
勿論世の未亡人が骨壺を抱いて歩いているわけではない。現実には存在しないけれどフィクショナルなものとして浸透している、にっかつロマン風な意味での「未亡人」イメージが「骨壺を抱いてゐさうな」から導き出される。
声をかけてみたいところだが、くるりと振り返った途端、なにか思わぬことが起こってしまう(たとえば持っていた骨壺が割れるとか)(比喩はどうした)ような気もして、迂闊には近寄りがたい。
「骨壺」の白さと「日傘」の白さがハレーションを起こし、白日夢のなか、いつしか女は消えていってしまいそうだ。
〈「天使の涎」邑書林/2015〉