2015年8月26日水曜日

目はまるで手のように言葉に触れる 20[石橋辰之助]/ 依光陽子



汗ばみし掌の散弾を菊にうつ  石橋辰之助


「心象風景」と題された連作の中の一句。散弾を握る手が汗ばんできて掌をひらく。ぬめりを帯びた幾つかの散弾がある。再び握りしめたそれを眼前の菊にうつ。銃に込めることなく、擲つ。うたれた散弾は菊を打ち、あるいは掠め、あるいは掠めもせずに地面に落ちるだろう。

菊は日本の象徴ともいえる花である。皇室の表紋、国会議員の議員バッジ、パスポートの表紙の十六弁一重表菊紋、自民党の党章、靖国神社の門扉の装飾。

掲句の書かれた昭和9年の前年、日本は国際連盟から脱退、昭和12年日中戦争、昭和13年国民総動員法制定、昭和14年第二次世界大戦と、時代は日常とは別のところで戦争へと着々と歩を進めており、その気配を感じることのできる者のみが言いようのない漠然とした怖れを抱いていたのではなかったか。

石橋辰之助は水原秋櫻子に従い「ホトトギス」を離れ「馬酔木」に拠ったのち、昭和12年「馬酔木」を離れ「京大俳句」に参加、新興俳句弾圧事件で検挙され、40歳という若さでこの世を去った。その事を鑑みると、掲句の「汗ばみし掌の散弾」の鈍い光が私を打つ。

掲句所収の句集『山行』は辰之助の第一句集。昭和6年から昭和10年までの句から成る。集中のほとんどが山行の中で作られた俳句であり、この句集が山岳俳句を切り拓いた句集であったことは紛れもない。その中にあって掲句を含む「心象風景」の連作は異質だ。やがて秋櫻子と袂を分かった辰之助の姿がここに見て取れる。

さて、上述のとおり句集『山行』には山岳俳句の嚆矢と称された<朝焼の雲海尾根を溢れ落つ>をはじめ“垂直散歩者”石橋辰之助の産んだ珠玉の山岳俳句が詰まっている。しかし高屋窓秋、石田波郷、西東三鬼ら才人の傍にいて山へ身を向けざるを得なかった心情を慮ると、単なる馬酔木調の山岳俳句とは言いきれぬ厳しさと哀しさが澱のように残るのであった。

岩魚釣歯朶の葉揺れに沈み去る
白樺の葉漏れの月に径を得ぬ
吹雪く夜の雷鳥小屋の灯に啼くか
岩燕霧の温泉壺を搏ちて去る
藁干すや来そめし雪の明るさに
霧ふかき積石(ケルン)に触るるさびしさよ
吹雪来て眼路なる岩のかきけさる
凍る身のおとろへ支ふ眼をみはる
雲海に人のわれらにときめぐり
山恋ひて術なく暑き夜を寝ねず
穂草持ちほそりし秋の野川とぶ
蒼穹に雪崩れし谿のなほひびく
風鳴れば樹氷日を追ひ日をこぼす
除雪夫の眼光ただに炉火まもり

(『山行』昭和10年刊。『現代俳句大系 第2巻』所収)