2016年1月15日金曜日

またたくきざはし5 [高野ムツオ]       竹岡一郎



霧は息野菊は睫毛鬼眠る   高野ムツオ

霧は鬼の息であり、野菊は鬼の睫毛だというのである。下五まで読んで、息と睫毛の正体が分かる。曠野自体が鬼の、散逸し眠り続ける体なのだ。

野菊はある一定の秩序を以て生えているのだろうか。それともばらばらに生えているのだろうか。ばらばらに生えているのだとすれば、鬼はその瞼に至るまで容赦なく引き裂かれたのだと読める。
記紀以前の巨人であるダイダラボッチを思い出す。あるいは遙か古代の国つ神を。いずれにしても、引き裂かれ隠されたモノである。「鬼」とはまつろわぬゆえに、朝廷に追われた者の謂である事を考えるなら、この鬼は古代東北の魂であり、荒夷の魂であろう。

曠野を「鬼」と観ずるのは、作者が鬼に共感しているというよりは、むしろ自らを、「鬼たる曠野」と密かに認識しているからだろう。

眠る鬼が目覚め、曠野から立ち上がる、いや、曠野自体が立ち上がる事があるなら、それは東北の人々の心として立ち上がるのだ。掲句が大震災の年の秋に作られた事を念頭に置けば、また一層の凄みを以て迫って来よう。

<平成23年作。「萬の翅」所収。>