たまに居る小公園の秋の人 松本たかし
妙な句である。なんとなく妙だ。内容も、こんなことを句にする作者も妙だ。
そこらへんにある、これといって特徴のない公園。通常「小」などと入れると失敗するのがお決まりであるのだが、「小」と念押しするくらい余程たいしたことない公園なのだろう。住宅街に申し訳程度にある公園だ。毎日の通い路か、家から見えるのか、普段は特に気にしていないが、ふと見るとたまに人が居る。説明はなくとも大人で一人だとわかる。その人物は同じ人なのか、はたまた違う人なのか。兎も角「秋の人」なのである。「秋の人」としか表現しようのない存在としてそこに居るのだ。
本を読んでいる青年、ただぼんやりと遊んでいる子ども達を眺めている男性、犬を連れてベンチに座っている女性。同じ人であれば、その人物の心象が外見に顕れたような「秋」を感じるし、同じような人というのであれば、「秋の」という全体的な季感が一層強く感じられてくる。結局、この人物はどんな人でもいいのだ。作者はただ、眼前のシーンを切り取っただけだ。ぶらんこも砂場も滑り台も木々もそこに居る人も、一と色に溶けているシーン。
そこで再び句に戻って見ると、この「小」と「秋」が動かしがたく置かれていることに気付く。やわらかな秋の日差しの中にうっすらとした哀感がある。存外、この「秋の人」は作者自身かも知れぬ。
川端茅舎に「芸術上の貴公子」と言われた松本たかしは、能の宝生流十六世家元の高弟でシテ方宝生流の能役者松本長の子として生まれ、本来であれば能役者の道を進むべき運命であったが、肺尖カタルなどの胸部疾患に併せて神経症が痼疾となり能役者の道を断念し俳句道を進むことになった。幼い頃より重ねた能の鍛錬が、枯淡な句姿として表れている。
たかしの短文に<間髪――俳句の表情は一瞬間で決まる――>というものがある。一部分を引く。
だから俳句の表現は、時に、一貫した意味のある叙述といふより、何かの合図か、気合の声にすぎないと思はれることがある。気合をかけられ、ハツとした読者の眼にあるひらめきが映り、かすかに精神が伝はつてゆく――――。
経験、把握、表現という複雑な総工程がほとんど無意識に近い状態で間髪を入れずに一挙に行われ、そんな工合に結晶した作品は「一粒の白露が、ぽろりと掌の中にこぼれてくるやうなものでもあらうか」とたかしは書く。
気合いの声によって掌の中にこぼれた白露。そんな句が散りばめられているのが、第一句集『松本たかし句集』である。端正で且つ清冽、一方、どこか舞台劇のような趣の句も多く、掲句もその一つだ。しかし何故か心に残る。たかしの精神がかすかに伝わってくるということだろう。松本たかしは昭和31年5月心臓麻痺のため長逝。享年50歳であった。
すこし待てばこの春雨はあがるべし
いつしかに失せゆく針の供養かな
仕る手に笛もなし古雛
恋猫やからくれなゐの紐をひき
たんぽぽや一天玉の如くなり
羅をゆるやかに著て崩れざる
一夏の緑あせにし簾かな
柄を立てて吹飛んで来る団扇かな
金魚大鱗夕焼の空の如きあり
月光の走れる杖をはこびけり
秋扇や生れながらに能役者
とつぷりと後ろ暮れゐし焚火かな
水仙や古鏡の如く花をかかぐ
赤く見え青くも見ゆる枯木かな
枯菊と言捨てんには情あり
(『松本たかし句集』昭和10年刊。『現代俳句大系 第2巻』所収)