水鳥の水尾引き捨てて飛びにけり 松藤夏山
水鳥は冬、水上にいる鳥の総称。北方から越冬のために渡って来た鳥だ。春になって生殖地である北方へ再び帰るまでの一冬を水の上で躰を休める。大抵は頸を背の羽根に埋めて浮き寝しているが、あたたかな日には水面に線を描きながら泳いだり、時には鳥同士の小競り合いも。そんな冬の光の中に繰り広げられる鳥たちの世界は見ていて飽きることはない。
掲句は、水から別の水へ飛び移るところだろうか。一旦水を離れて空へ移る。空を飛ぶという鳥の本分を掲句は改めて読者に確認させる。水鳥を観て和むのは人間の勝手で、水鳥は野生の厳しさを忘れているわけではない。「引き捨てて」の措辞に現されている。射貫くほどにモノを見て摑んだ言葉だ。
松藤夏山は明治23年生まれ。大正5年ごろに俳句を始め、昭和7年「ホトトギス」同人となる。虚子提唱の花鳥諷詠の忠実な使徒でありつつ、虚子が携わった歳時記の編集にあたり手足となって働いたという。手元にある改造社版『俳諧歳時記 春之部』を開いてみたところ、解説に当った者のリスト33名の中に夏山の名も確かにあった。
君は命がけで俳句を作つた。俳句は君にとつては、決して趣味や道楽ではなかつた。句会に出ても、制限の句数だけはとにかく耳を揃へるなどといふ遊戯的なやり方は、絶対に君の採らざるところであつた。苟も君が発表するほどのものは、悉く君の肺腑から絞られる、生き血の垂れるやうなもののみであつたといつていい。
(『夏山句集』序文より 富安風生)
『夏山句集』は著者32歳から病没する45歳までの13年間の588句を収録、作者の死後上梓された。虚子は次の弔句をしたためている。<この寒さにくみもせずに逝かれけん 虚子>。「寡黙ではあつたけれども、その頬辺には、いつも柔かく温かい微笑をたたへてゐた。(富安風生)」という夏山の人柄が偲ばれる一句だ。夏山の句は一読、派手さからは遠く静かな句ばかりだが、読み込むほどにじわじわと沁みてくる。何物もをいとおしむような包容力、十七音の中のたっぷりとした“間”、衒いのない言葉遣い。
花鳥諷詠句でも詠み手の姿が見えてくるのが俳句。そんなことを考えた句集だった。
霧雨の雫重たや桜草
傾きて蠟燭高き燈籠かな
草刈女帰るや蓮を手折り持ち
洗ひ障子赤のまんまに置きにけり
初冬やここに移して椅子に倚る
封切れば溢れんとするカルタかな
鶸の群小鳥の網をそれにけり
案内図に衝羽根の実を添へてくれし
大漁の鯨によごれ銚子町
足どりに春を惜しめる情(こころ)あり
立葵声をしぼりて軍鶏啼きぬ
暖かき日となりにける炬燵かな
同じ日が毎日来る柿の花
風邪の子に着せも着せたる紐の数
蛆虫のちむまちむまと急ぐかな
(『夏山句集』昭和12年刊。『現代俳句大系 第2巻』所収)