ふる雪にみなちがふことおもひゐる 中尾白雨
雪が降っている。次々と現れては目の前を落ちてゆく雪片。まっすぐ落ち、風に撓り、枝に懸る。大きな雪片。小さな雪片。光。翳。
掲句は「療養所の人々」と前書がある。療養所の箱の中の、更に一つ部屋の中の人々。四角い窓の外に雪片の絶え間ない運動が見えているだろう。窓辺に立って見ている人はガウンのようなものを羽織っているだろうか。重ね着とはいえ痩せた身体は寒々としているだろう。ベッドに横たわって天井を見つめている人もいるだろう。瞼を閉じている人もいるだろう。世界は白く、ベッドのパイプも白く、人々の着衣も白く、後姿も白いことだろう。
雪が降っている。
その日、その時の雪を見ている人。その誰もが違うことを思っているだろう。それはそうだ。人それぞれ違うのだから。だが療養所に入っている人の想いは、決して明るいものとは限るまい。雪のひとひらに命を重ねただろうか。雪の美しさに永遠を思っただろうか。しかし掲句は単にその事実を述べているだけではない。療養所の人々の「おもひ」に引きつけながら、彼等の姿を突きつけてくる。雪の降るある日の白々とした空間と静寂を。命ある者らは動かず、命なき雪のみが動き続ける、静と動の、生と死の逆転を。
中尾白雨は明治44年生まれ。明治学院中学部卒業後、教員となるが病のため昭和5年に退職。昭和7年より作句開始。わずか2年後に第三回馬酔木賞を受賞。昭和11年11月26日喀血により死去した。享年25歳。掲句所収の『中尾白雨句集』は昭和8年から昭和11年までの三年間の作品と推測され(『現代俳句大系』解説に拠る)、白雨没後に刊行された。序文はなく、一句目の「妹に日夜のみとりを感謝しつつ」という前書のある<汝が吊りし蚊帳のみどりにふれにけり>に始まる184句全て病床俳句と思われる。
水原秋櫻子の跋文を引く。
妹さんの見舞の手紙を受け、その返事として詠んだといふ前書のある、
紫陽花に手鏡おもく病むと知れよ
といふ句は僕の特に感心してゐる句だが、この手鏡は無聊さに折々顔を見る用をしてゐるのだらうと思つてゐた。ところがある日訪ねて見ると、白雨君はその手鏡を持つてゐて、それを顔の上にかざし、庭の景色をながめてゐるのであつた。仰臥ばかりつづけてゐる人の哀しい発明で、僕はつくづく気の毒に思つたことがあつた。
(『中尾白雨句集』跋文「白雨君のこと」水原秋櫻子)
庭のものを見るために身体を起こすのではなく手鏡を使う。なんという創作熱だろう。跋文によると、白雨は相談相手もなく独り作句し、その度に熱を出し苦しんでいたという。彼の作品は多くの病床俳句の作者たちの尊敬を集めた。そしてそれはさぞや大きな励ましとなったことであろう。石田波郷は白雨に手向け、次の言葉を残している。「僕の心に俳句の住まふ限り、而してこの国に俳句の滅びざる限り静謐なる精神の華の不易なるすがたをのこすであらう。僕は僕なりに、莞爾として、中尾白雨氏の壮絶の死を送るものである」(「馬酔木」昭和12年2月号)
てのひらにのせるとうち透けてゆく雪片のような透明な詩魂だと思った。
手花火の香のきこえたるふしどかな
朝顔はひといろなれどよく咲きぬ
この冬を花菜さくてう君が居は (病友H君へ)
病み耐へてをさなごころや金魚飼ふ
朝顔の鉢のかづあるついりかな
紫陽花に胸冷しつつわれは生く
寒燈下脈奔流のごとく搏ちぬ
薔薇培り詩をつくりみな若きひとよ
荒園に落葉とぶ日ぞ病みおもる
ひややかなひとたまゆらを菊に佇つ
(『中尾白雨句集』昭和12年刊。『現代俳句大系 第2巻』所収)