掃きとるや落葉にまじる石の音 高橋淡路女
落葉を掃いている人がいる。作者か他の誰か。静かに耳を澄ませて句を読んでみる。箒の先が地面を軽く引掻く音、乾びた落葉と落葉がぶつかりながら立てる音、それらの軽い音の中にカツンと硬い石の音。
落葉を掃いていて石が混じっているというモチーフは珍しくない。山ほどある。しかし「掃きとるや」の上五が書けそうで書けない。「掃く」と「掃きとる」は全く違う。塵取りにザッとのった一瞬の音の混在を作者は書分けているのだ。音だけではない。石は重く落葉の下に隠れて、掃きとっている人の目には映らない。視覚的には落葉が見えているだけだが、音でその下に石があるのだとわかる。落葉の一つ一つの在り様まで見えてくる。
他にも、
<冬ざれやものを言ひしは籠の鳥>籠の鳥の声がした前後に何も音のない空間。心の中にまで及ぶ「冬ざれ」という季題の効果。<白菊のまさしくかをる月夜かな>この「まさしく」が白菊の凛とした白と芳香をこれ以上ない程に表している。<渋柿のつれなき色にみのりけり>「つれなき色」などという言葉、どこから出て来るのだろう。心底驚かされる。
高橋淡路女は明治23年神戸に生まれたが12歳ごろ東京佃島に転居。大正2年に結婚したものの翌年夫と死別している。本格的な作句は大正5年から。「ホトトギス」を経て、大正14年に飯田蛇笏に師事。「雲母」「駒草」(阿部みどり女主宰)に拠る。掲句を含む第一句集『梶の葉』は明治45年から昭和11年までの作品のうち蛇笏選870句を収録する。「○○女」という俳号は月並で、名前からのインパクトが薄いという点で淡路女は損をしていると思う。870句の打率は決して低くない。蛇笏にして「その実作に於ける芸術価値といふものが、幾多彼女等の追随をゆるさぬ、独自な輝きを示すところがある」(『梶の葉』序)と言わしめただけの内容である。
序文における蛇笏の力の入れようを、もう少し引いておこう。
蛇笏は故人女流俳家二三者として千代女、園女、多代女の句を引用した後にこう続ける。
要するに彼女等の諸作が持つ薄手のクラシカルな芸術味に比し、これを咀嚼し、而してこれを滲透し、より高踏的に、若干の近代味をもつてコンデンスされた俳句精神の顕揚が、著しく淡路女君のそれを高所におくことを瞭かにすると思ふのである。
(句集『梶の葉』序 飯田蛇笏)
また、同世代の女流に対しても、たとえ天稟の才能があっても時に地に足が着かない憾みを感じていたという蛇笏が、淡路女については、その自覚的矜持を深く秘めながら女性的常識を失うことなく「実に生命的な、うつくしくして厳かなるものであることを反復せなければならない」と賛辞している。
淡路女の句は一読、平明淡白だが、読むほどに情感の豊かさ、言葉の抽斗の多さと的確さ、素材の掴み方に目を瞠る。彼女の巧みな言葉遣いにかかるとなんでもない景に光が与えられる。
俳句とは何かと考えるとき、淡路女の句に学ぶところは多い。
春寒しかたへの人の立ち去れば
花曇り別るる人と歩きけり
かんばせのあはれに若し古雛
まはりやむ色ほどけつつ風車
居ながらに雲雀野を見る住ひかな
炎天を一人悲しく歩きけり
風鈴に何処へも行かず暮しけり
ふくよかに屍の麗はしき金魚かな
むかし業平といふ男ありけり燕子花
家出れば家を忘れぬ秋の風
うきことを身一つに泣く砧かな
紫陽花の色に咲きける花火かな
草市やついて来りし男の子
ぽつとりと浮く日輪や冬の水
冬の蠅追へばものうく飛びにけり
(『梶の葉』昭和12年刊。『現代俳句大系 第2巻』所収)