テラベクレルの霾る我が家の瓦礫を食へ 関悦史
「霾(つちふ)る/土降る」は春の季語だ。春風によってもうもうと土やほこりが舞っている。それを〈つちふる〉という。
ところがその季語が、放射性物質の飛散によってリスキーな季語になっている。春を感じることが、どうじに、リスクを感じることにもつながっているのだ。
語り手はいまや季語をあんのんと使える世界には暮らしていない。季語を使い、季節のなかに身を置こうとすると、〈テラベクレル〉をも抱えこまざるをえない世界。それが語り手が身をおく春である。語り手にとっては〈季節〉を考えるということはリスクを抱えることであり、〈震災〉によってもたされた逆説的な「うるはしき日々」を詠むことにつながっている。
現実なるレベル・セブンの春の昼 関悦史
それは、ある意味で今までなかった〈超‐時間〉だ。しかし、それでも《春》は、やってくる。
掲句のすぐ隣に並べられた句が、
テラベクレルの霾る我が家の瓦礫を食ふ 関悦史
である。
テラベクレルの霾る我が家の瓦礫を食へ
テラベクレルの霾る我が家の瓦礫を食ふ
ここには明らかな対比がある。「食へ」と「食ふ」の。
語り手は、「食へ」と怒りをあらわにしたのちに、「食ふ」とただちにみずからそれを「食」おうとしている。「食へ」で対象化された訴求相手はすぐさま「食ふ」と自己に回収されてしまう。
これは震災から発する言葉の位相の難しさを端的にあらわしている。
わたしたちはいったい震災をめぐる言葉を《誰に》むかって発信しているのか。その言葉を受け取るのは《だれ》なのか。自分を《さておいて》震災のことを語れるのかどうか。しかし、自分《も》込みで震災のことを語れるのかどうか。
震災をめぐる発話はつねに発話(と受信)の主導権の闘争がある。
いったい、誰が震災のことばを食べているのか。
この発話をめぐる闘争が、関さんのふたつの並置された句にはあるようにおもう。というよりも、それはどこにも回収されず、葛藤しあったままずっと緊張関係をつづけている。「食へ」と「食ふ」の拮抗のなかで。
「食へ」と言った刹那、その言葉を「食ふ」こと。震災をめぐる言葉を発するとき、わたしの身体も汚染された瓦礫を食らう可傷性をもたなければならない。ことばはいつも〈誰か〉向かって発信されている。でもそこには必ず言葉を発した代償としての〈私の傷〉が潜在的に予期されていなければならないはずだ。
春の日や泥からフィギュア出て無傷 関悦史
〈無傷〉を見つめる言葉はいつも〈傷〉を背負っている。
(「うるはしき日々」『六十億本の回転する曲がつた棒』邑書林・2011年 所収)