2016年3月11日金曜日

フシギな短詩7[中山奈々]/柳本々々



  絆創膏外す大きな春の夢  中山奈々


前回は関悦史さんの〈傷〉の句で終わったが、〈傷〉といえば中山奈々さんの一連の俳句には〈傷〉があるとわたしは思う。

たとえば、掲句。「絆創膏」を貼っていたのはもちろんそこに〈傷〉があったからだ。「絆創膏」を「外す」のだから〈傷〉も癒えようとしている。


しかし。


同時にその〈傷〉を季語が担保しようとしているようにも私にはみえる。この句の季語は「春の夢」だが、その「大きな春の夢」によって、ほんとうに〈傷〉が癒えたのかどうかはわからなくなっている。〈治癒〉はただ〈春の夢のごとく〉いっしゅんの大きな夢だったのかもしれないから。

「大きな春の夢」。ふしぎな言辞だ。「大きな」とはなんだろう。ここには明らかに語り手の偏差(バイアス)がある。この「大きな」はなんに対する「大きな」だろう。もちろん、「夢」の大小を語り手は語っているのだが、しかし、「夢」に大小などあるのだろうか。「夢」は「夢」でしかないではないか。

この「大きな」は「夢」ではなくむしろ「絆創膏外す」に掛かっていくものかもしれないとも、思うのだ。語り手はここで〈傷〉の大小のレベルを語っているんじゃないかと。

  吐くたびに死なうと思ふ寒の内  中山奈々

  切腹のやうな腹痛十二月  〃

  生理痛きつい日パセリまぶしい日  〃

だとしたら、絆創膏は《外せない》、のかもしれない。「大きな春の夢」は「絆創膏」を「外す」ことの〈可能性〉と〈不可能性〉として機能しているようにも私は思う。それは〈どっか〉にある希望であり、絶望である。

  心臓はどつかにあつて春の雨  中山奈々

心臓が「どこ」にあるかはわからない。でも同時に「どつか」にあることも語り手は知っている。

〈傷〉も、そうだ。どこかにあることは知っているが、そのどこかはわからない。それは「春の夢」を通して《だけ》わかる〈傷〉なのだ。

でも〈傷〉のありかは問題ではない。問題は、〈傷〉とともに生きる〈すべ〉なのだ。奈々さんのこんな句を見てみよう。

  茂吉忌や床の一部として過ごす  中山奈々

語り手は〈傷〉とともに生きていく〈やり方〉を知っているようだ。「床の一部として過ごす」ことを。〈傷〉のやり〈過ごし〉かただ。

語り手はたとえ自らの〈傷〉がピンポイントで〈どこ〉にあるかはわからなくても、その傷を世界の〈一部〉に所属させ、生きていくだろう。

傷は、〈切断〉の記号ではない。〈付着〉の記号なのである。

わたしもときどき「床の一部」になる。つっぷしたまま、動かないでいる。

でも、奈々さんを通して、私は〈傷〉について既に学習している。そうか、ってわたしはつっぷしながら、おもう。

〈傷〉って消すもんじゃないんだよ。生きられるものなんだ。

私は、もっと、床の一部になる。

          (「綿虫呼ぶ」『しばかぶれ』第一集・2015年11月 所収)