行く春や踊り疲れし蜘蛛男 芥川竜之介
蜘蛛男を字面だけ見ていると昭和の現代っ子はすぐに戦隊物や仮面ナントカなどのテレビ番組の怪人を思い浮かべてしまうかもしれない。そうではなく、ここでいうのは蜘蛛に親しみをこめた尊称での「蜘蛛男」であろう。別な蜘蛛と争った果ての「疲れ」なのか、巣を拵えた後の「疲れ」なのか、動きに動いたすえの姿を「踊り疲れ」ととらえたのではないだろうか。とはいえ、怪人・蜘蛛男がハツラツと踊っていたら、それはそれでおかしくも絵になる眺めである。
「余技は発句の外には何もない」は知られた一文である。実際に芥川竜之介の残した俳句は執拗だったり自由だったり、読み進めていくとこんなこともやってるのか、と驚かされるところがある。
蝙蝠の国に毛黴は桜なる
稲妻にあやかし船の帆や見えし
夕立や我は真鶴君は鷺
茨刈る手になつかみそ蝸牛
万葉の蛤ほ句の蜆かな
クーリーの背中の赤十字に雨ふる
かげろふや猫に飲まるる水たまり
象の腹くぐりぬけても日永かな
迎え火の宙歩みゆく竜之介
「夕立や我は真鶴君は鷺」には「妓の扇に」の詞書が、「茨刈る手になつかみそ蝸牛」には「即興」の詞書がある。自由律の句作もあり、洋行の折に詠んだであろう「クーリーの背中の赤十字に雨ふる」のような新しい言葉を積極的に取り入れた句もある。挨拶も盛んに、菊池寛や井月を詠み込んだ句もある。「万葉の蛤ほ句の蜆かな」は書簡に書き留められた句ということだが、江戸っ子・芥川の俳句観が端的に表れた一句なのではないかと思う。
※作者名表記は底本に依る
〈加藤郁乎編『芥川竜之介俳句集』(岩波書店/2010)〉