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(十二個の)赤い実だ リチャード・ブローティガン
「イチゴの俳句」と題された一句。イチゴは、夏の季語だ。しかしブローティガンにとっては、かれの小説ではおばあさんや階段が小川のせせらぎに見えたりすることもあるように、あらわれてきたイチゴはイチゴそのものではなく、・(ナカグロ)という〈つぶつぶ〉だった。かれは俳句という形式によってなにも語ろうとはしなかったのだ。
ブローティガンにとって〈俳句〉とはなんだったのだろうと時々、かんがえている。
ぼくは十七歳になり、十八歳になり、十七世紀からの日本の俳句を読みはじめた。芭蕉と一茶を読んだ。感情と細部とイメージを一点にあつめるように言葉を使って、露のしずくのような堅固な形式にたどりつくかれらの方法が、ぼくは気に入った。
(ブローティガン「はじめに」『東京日記』)
ブローティガンにとって俳句は「露のしずく」だった。そう言われてみれば、掲句の「・」もしずくに見えなくもない。彼が発明した〈しずくの俳句〉である。
もし〈俳句〉がなにかを熱心に物語ろうとする行為を厭う表現形式であるならば、かれの『アメリカの鱒釣り』という小説はある意味で、とても〈俳句的〉というか〈俳文〉のようなものだったかもしれない。
なぜなら、かれはそこで、なにひとつ語ろうとはしなかったからだ。〈アメリカの鱒釣り〉に固執し、それだけをえんえんと周回し、断片を重ねる奇妙な小説。そこにはさまざまなかたちをとって〈アメリカの鱒釣り〉があらわれるけれど、決して〈アメリカの鱒釣り〉そのものは最後まであらわれない。メタモルフォーゼした〈アメリカの鱒釣り〉があらわれては消え、物語はどこにも収束=終息しない。
いや、ゆいいつ、最後に一点だけ、物語は収束する。「マヨネーズ」に。
語り手は、いう。私は以前からマヨネーズで終わらせる小説を書きたかった、と。ここには〈大いなる意識の逸脱〉がある。それまで積み上げた〈アメリカの鱒釣り〉を放棄し、「マヨネーズ」へと逸脱すること。
わたしはときどき俳句とは、この〈意識の逸脱〉を形式化したものではないかとおもうのだ。用意された季語のかたわらにふっと逸脱した〈なにか〉が配置される。しかしそれが定型によってマヨネーズのように奇妙な塩梅で配合され、組成されたもの。HAIKU。
掲句が載った『東京日記』はブローティガンが東京をうろうろしながら綴った詩であり日記である。それは東京に点在する〈しずく〉のようなもの。〈黄色いライオン〉と呼ばれた詩人は、東京のあちこちで、新宿で、明治神宮で、銀座で、東京駅で、〈詩のしずく〉を拾い集めた。ひとつひとつの〈・〉を。
いつの日か自分は日本に行かなくてはならないとさとった。ぼくの生命の一部はぼくより先に日本に行っていた。ぼくの本は日本語に訳されていて、それに対する反応はとても知的なものだった。そのことがぼくをはげまし、森の中をこっそりと動いてゆくオオカミのように、書くということの、ひとりぼっちの道すじをたどりつづける勇気をあたえてくれた。
(ブローティガン「はじめに」『東京日記』)
わたしもブローティガンがかき集め、残した言語化できない〈・〉のひとつぶひとつぶから今まで「勇気」をもらってきた。それはたぶん〈勇気のイチゴ〉だったんじゃないかなと今あらためて思うのだ。次のような。
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今回の記事は(あえて唐突に)この言葉で終わってみたい。わたしもこの言葉で終わる記事をいつか書きたいと思っていたから。
マヨネーズ。
(福間健二訳「イチゴの俳句」『東京日記』思潮社・1992年 所収)