2016年8月16日火曜日

フシギな短詩32[車谷長吉]/柳本々々



  夏帽子頭の中に崖ありて  車谷長吉


小説家の車谷長吉と詩人の高橋順子の結婚生活をラジオドラマ化したFMシアター『時の雨』(NHKFM、1999年4月3日)にこんなシーンがある。車谷と高橋が二人だけの句会を行うのだが、「崖」を席題にして詠む。高橋はこんな句をつくる。


  五月雨(さみだれ)の我らが崖を流れけり  高橋順子

この高橋の「崖」と、掲句の車谷の「崖」は共振しあっている。なぜなら、車谷にとつぜん現れた〈頭の中の崖〉を引き受けたのは一緒に暮らしていた高橋順子だったからだ。

  「頭の中には崖があるのね?」「そうや、崖があるんや」 
     (FMシアター『時の雨』NHKFM、1999年4月3日)

その意味では、車谷の〈頭の中の崖〉は「我らが崖」なのである。それは「時の雨」のなかで出会った〈ふたりの崖〉だった。いつ崩れるかもわからない、しかしそれゆえに〈ふたり〉で登り続けなければならない生活。

高橋順子は結婚生活をそのまま〈詩〉として昇華した詩集『時の雨』の「あとがき」でこんなふうに書いている。

  晩い結婚の二年四ヶ月後、連れ合いが強迫神経症を発病しました。…ものに怯える家人は、私に対してもまた怯えたのでした。私たちは自由に息をすることができなくなり、緊張の日々を過ごしました。 
連れ合いの書く小説には髪の毛一すじの狂気が宿っていることに私は無意識であったわけではありません。それは、文学だと思っていたのです。生活とは別次元のものだ、と。ところが或る日、文学が生活に侵入してきてしまった。日常が非日常の霧におおわれてしまった、ともいえます。そのとき、人はどうするか──。 
  生活を強引に文学にしてしまうこと。自分を全力で虚の存在と化し、文学たらしめること。 
    (高橋順子「あとがき」『時の雨』青土社、1996年)

高橋順子は車谷長吉の「頭の中」にできた「崖」を〈詩〉によって取り出そうとした。詩として言語化することで、「頭」という〈ひとり〉のなかに生成される「崖」を、〈ふたり〉で取り組む「我らが崖」に転位させたのだ。「我らが崖」。ここには「頭の中に崖」をもった人間と共に生活する人間が、〈頭の言語〉ではなく〈ふたりの言語〉を見据えながら、一緒に生きていこうとすることの〈意志〉がある。


詩とは、〈(意)志〉なのだ。いまだかつて経験したことがないことを、経験として編む志(こころざし)なのだ。哲学者ラクー=ラバルトは言っていた。「詩が翻訳するもの、それを私は《経験》と呼ぶことを提案する」と(『経験としての詩』)。詩によってふたりの《経験》をつくりだすこと。崖、としての。


「時の雨」という〈生きられる時間〉のなかで、もしふいにこれからの時間を共に生きるひとと出会ってしまったら、わたしたちはそのひとと生きていくためにしなければならないことがある。お互いの「崖」をどうふたりの〈経験〉に変えていくかということだ。その〈経験〉をしずかにみつめてくれるのが〈俳句〉であり、〈詩〉であったのではないか。


ラジオドラマ『時の雨』は車谷の次のセリフで唐突に終わる。すなわち、「わたしはあなたが大好きです」。

  精神病院からの帰り道
  休耕田の真ん中に生えている一本の
  椎の木の下に坐り
  二人でおにぎりを食べた
  野漆と耳菜草の名をおぼえた
  模型飛行機をとばしている人たちがいた
  川で釣りをしている人たちがいた
  いつかきっとこの木のことを思い出すだろう
  二人ともまだ若かかったころ
  木の下に坐ったことがあった と
    (高橋順子「この木のことを」『時の雨』前掲)

        

  (「駄木輯」『車谷長吉句集』沖積舎・2005年 所収)