2015年3月4日水曜日

目はまるで手のように言葉に触れる 1[水原秋櫻子]/ 依光陽子




葛飾や桃の籬も水田べり   水原秋櫻子

籬は竹や柴などで目を粗く編んだ垣のこと。「桃の籬」とは大胆な言い回しで、籬に区切られた家の敷地内に桃の木があり、桃の花がその籬を突き抜けるかの如く咲き誇っている様をこう省略したのだろう。平らかに水田の広がる景色。その籬も水田べりにあって、桃の花明りが田水に映っている。

葛飾一帯は早稲の産地であった。句集『葛飾』にも<葛飾は早稲の香にある良夜かな>などの句が見られるが、こんな東歌が万葉集に遺っている。

鳰鳥の葛飾早稲を饗すともその愛しきを外に立てめやも(万葉集巻14 作者未詳)

早稲が神事に饗するものであり、籬がかつて俗世間と聖なる空間を仕切る結界の象徴「神籬(ひもろぎ)」と同義であったことを考えるとき、この桃の花の色は祝祭の色と化す。

そんな深読みを宥すほどに、句柄が大きい。整った調べの中に春の駘蕩とした時間が流れている。俳句に抒情の回復を成し得た秋櫻子の、句集『葛飾』の、否、秋櫻子全句業の中でも代表句といえる掲句は、一幅の絵の如く美しいだけではない。むしろ「ますらをぶり」な詠み口に着目してこそ、かつての葛飾の野趣溢れる地貌と共に、句が生き生きと立ち上がってくるのだ。

来しかたや馬酔木咲く野の日のひかり
沈丁の葉ごもる花も濡れし雨
涼風の星よりぞ吹くビールかな
青春の過ぎにしこころ苺喰ふ
寄生木やしづかに移る火事の雲
むさしのの空真青なる落葉かな
枯木星またたきいでし又一つ
春惜しむおんすがたこそとこしなへ


(『葛飾』昭和5年刊。『現代俳句大系 第一巻』所収)