とりて帰りし白ききのこを見てあれば涙流れぬ寄宿の夕 宮沢賢治
きのこを見て泣いている人間。いったい、どうしたのか。
『きのこ文学大全』でも著名な飯沢耕太郎さんによれば、宮沢賢治と泉鏡花にはきのこが重要な役割を果たすそれぞれ4作の「きのこ小説」がある。その意味ではふたりはきのこ文学者ということになる。
「まかふしぎなきのこ」を城戸みゆきさんの絵とともに紹介している『珍菌』というキノコ図鑑には「宮沢賢治とふしぎなきのこ」というきのこライター堀博美さんによるコラムがある。
そこには賢治が17歳のときに作った、現存する賢治作品の中では最初のきのこ作品と思われる次の短歌が紹介されている。
白きひかりを射けん石ころのごとくちらばる丘のつちぐり 宮沢賢治
「つちぐり」は別名まめだんごやぶんぶくちゃがまと呼ばれている丸く茶色い小石のような形のキノコだ。多くの場合地中にいるのだが、地上に顔を出すと皮が裂けて中から球が出てくる。この球の中には茶色の胞子が詰まっていて、この胞子を球のてっぺんの穴から放出する。それが、つちぐり。
堀さんはこの賢治のキノコ短歌をこんなふうに解説している。
傘に柄のあるいわゆる普通のきのこ形をしたきのこではなく、ツチグリの幼菌だとは、またマニアックです。
(堀博美「宮沢賢治とふしぎなきのこ」『珍菌』光文社、2016年)
きのこマニアの堀さんが「マニアック」と言うのだから相当マニアックなきのこ短歌だということになるだろう。
掲出歌もこのコラムで紹介されている賢治のキノコ短歌なのだが堀さんはこのキノコ短歌で語り手が「きのこを見て」泣いているのは賢治の童話や詩によく出てくるホウキタケを見て亡くなった親友のことを思い出して泣いているのだという。
ここで賢治のキノコ短歌二首をキノコを介しながらキノコの外で意味づけてみよう。これらキノコ短歌からなにが読みとれるだろう。
興味深いのはどちらのキノコ短歌も「白」という色とあわせられていることだ。この「白」と「きのこ」の取り合わせは賢治のきのこ小説にもうかがうことができる。
一郎が〔また〕すこし行きますと、一本のぶなの木のしたに、たくさんの白いきのこが、どつてこどつてこどつてこと、変な楽隊をやつてゐました。
(宮沢賢治「どんぐりと山猫」)
「あつあれなんだらう。あんなとこにまつ白な家ができた」
「家ぢやない山だ」
「昨日はなか〔つ〕たぞ」
あのまつ白な建物は、柱が折れてすつかりひつくり返つてゐます。
「あれはきのこといふものだつて。何でもないつて。あんなもの地図に入れたり消したりしてゐたら、陸地測量部など百あつても足りないつて」
(宮沢賢治「朝に就ての童話的構図(ありときのこ)」)
ここで小説の描写も考えながら「白」と「きのこ」についてだんだん気づきはじめることは、「きのこ」がどんな意味にもあらかじめ書き込まれていない〈意味の白さ〉だということである。
「どんぐりと山猫」の「あつあれなんだらう」「まつ白な家ができた」というきのこに対する意味づけられなさを見てほしい。また「朝に就ての童話的構図」の「あんなもの地図に入れたり消したりしてゐたら、陸地測量部など百あつても足りない」の地図=意味をたえず解消し、更新し続けるきのこたちの意味の繁生するありかたをみてほしい。キノコは、「あれ」としか呼べないものであり、「まつ白な家」と錯誤してしまうものであり、「陸地測量部」の数字=地政学的支配からも逃れゆくものである。
ここではキノコは人間たちが決めようとする意味にあらがう非意味として世界にどってこどってこわきだしているのだ。
そこからきのこ短歌にもどろう。「白きひかりを射けん石ころ」のような「つちぐり」は意味としてふちどることのできない〈白いひかり〉という意味に還元されない超越性と合わせられている。
だから、掲出歌の「白ききのこを見てあれば涙流れぬ」ときのこを見て泣いているひとの歌もきのこ的にはやばい歌だが、しかしそのきのこ的非意味のありかたを考えればなんの不思議もない。意味に回収されないアクションをしているのだ。この「涙」は意味からこぼれおちていく涙である。きのこを見て泣く行為。それは世界のありとある行為を測量しようとする意味の〈測量部〉の数字に還元していく働きを阻害=疎外するものだ。
こんなふうに考えると、賢治にとって世界のイレギュラーな働き、変則性をもたらすものが「きのこ」だったと言えるのではないか。
そうか、キノコよって規則的な世界は抜け出せたのだ。そういう意味では、すべてのキノコは世界から抜け出すための〈マジックマッシュルーム〉なのだ。世界から抜け出すためには、キノコだ。キノコを、見よ。
しかし、にもかかわらず、きのこ、とはなんなのか。最後に『新明解国語辞典』のきのこの項目を引用して終わりにしよう。泣かないで。
きのこ【茸・菌・蕈】[木の子の意]湿った所や木の皮などに生える胞子植物。柄とかさが有り、胞子で増える。例、マツタケ・シイタケ。「ーー狩り・ーー雲」《かぞえ方》 一株
(堀博美「宮沢賢治とふしぎなきのこ」『珍菌』光文社・2016年 所収)