2016年12月30日金曜日

フシギな短詩71[松岡瑞枝]/柳本々々






  お別れに光の缶詰を開ける  松岡瑞枝


 昨日、森の中で、わたしはこんなふうに考えた――死を考えることを避けてはいけない、自分の人生の終わりの、ある一日のことを想像してみよう。穏やかなある日、一見、ほかの日とほとんど変わらないように思える、そのくせ突然、すべてがスピードを上げ――あるいは、おそらく、スピードをゆるめて――すべてが非常に密接に感じられる日のことだ。 

  (アン・ビーティ、亀井よし子訳「人生の終わりの、ある一日のことを想像してみよう」『貯水池に風が吹く日』草思社、1993年)

今年最後の記事になるので、少し〈終わり〉のことを考えてみよう。

どうして川柳という文芸には〈終わり〉をめぐる句が多いのだろう。

掲句もそうだ。「お別れ」で始まっている。たとえば次のような句もあげてみていいだろう。

  三十六色のクレヨンで描く棺の中  樋口由紀子
   (『容顔』詩遊社、1999年)

  たてがみを失ってからまた逢おう  小池正博
   (『セレクション柳人6 小池正博集』邑書林、2005年)

上記三句はどれも〈さようなら〉をめぐる句である。

松岡さんの「お別れ」、樋口さんの「棺の中」、小池さんの「たてがみ」の喪失。どれもそれぞれの〈さようなら〉である。

ところがもうひとつこれら三句に共通しているものがある。それは〈さようなら〉に突入しはじめたしゅんかん、現場がいきいきと息づいてくることだ。「光の缶詰」、「三十六色のクレヨン」、「また逢おう」。どれも、いきいきと輝いている。さようならの現場で。

なぜ現代川柳は〈さようなら〉をすると輝きだしてしまうのだろう。

フシギである。

ここで、ひとつの乱暴な仮説を提出してみたい。

俳句には季語があって、川柳には季語がない。

季語とは、なんだろう。季語とは自分の意志ではどうしようもできない言葉のことである。季語は共同体的なものであるため、勝手なシステムの改変は許されない。季重なりをしてはいけないなど季語をめぐる法=禁忌がきちんと定められている。

いわば、俳句はそのために季語というひとつの去勢から句をつくりはじめる。しかしその去勢という不能感をとおして俳句は俳句にしかない俳句的主体をたちあげることができる。

では、川柳は、どうやって川柳的主体をつくりあげるのだろう。川柳には季語がない。しかも、川柳というのは柄井川柳という選者の〈個人名がそのままジャンルになった〉奇妙なジャンルなので、定められた法も禁忌もない。自由にできる万能感に満たされた文芸といってもいい。その意味では小津夜景さんが指摘したようなSF・雑食的なジャンルであり、飯島章友さんが述べていたように異種格闘技・プロレス的なジャンルである。

しかしその万能感を去勢するものが現代川柳にとっては〈さようなら〉だったと言えないだろうか。現代川柳は〈さようなら〉を密輸することで、みずからに去勢をほどこす。「お別れ」「死」「喪失」という去勢をとおして不能感におちいってから五七五をたちあげる。それが川柳的主体なのではないか。そうやって川柳独特の川柳的主体をたちあげたのではないか。

川柳は、〈さようなら〉を、嬉しがっている。

さようならから、始めること。それが現代川柳なのかもしれないとおもうのだ。

ちがうかもしれない。でもいつでもさようならから始められることを教えてくれる現代川柳はわたしにふしぎな勇気をくれる。

終わっても終わってもさらなる「やあ」がやってくる。

これがほんとうに終わりなのか、と思ったせつな、真顔でやってくる「こんにちは」。それは真顔なのにきらきらしている。

今年が、終わる。前へ。

  Oh, Mama, can this really be the end もといこんにちは  柳本々々
   (『川柳 北田辺』74号・2016年11月)



          (「前へ」『光の缶詰』編集工房円・2001年 所収)